【書評】怪異を引き出し語らせる力『山怪 青』
評者=安曇潤平
ある番組の企画で田中さんと対談させてもらう機会があった。その話の中で「安曇さん。実は僕、登山目的で山に入ったことがないんですよ」と言われて驚いたことを思い出す。
同じ山の怪異をテーマにしながら、そのとらえ方がまったく違うことに、その時はたいそうびっくりしたものだ。
田中さんの『山怪』はすべて読ませてもらっているが、思い起こしてみれば確かにその怪異の数々は、すべて土地の人や、あるいは知り合いから聞いた話であった。僕の場合、その土地の人に「この土地になにか怪異はないか?」と聞くと「そんなのはないよ」と言われることがほとんどである。そんな時は「僕や山仲間はこんな事柄にあったことがあるんですが」とこちらから話してみる。すると「ああ、そんな話ならいくつかあるよ」とその話を聞き出せることが多い。つまりは誘導尋問である。
ところが僕が思うに田中さんの場合は、あらかじめその土地の伝承を丹念に調べ上げ、外の人からみたら怪異と思えるその話を地元の人々から実に細かく聞き出しているように思える。田中さんの怪異の収集方法の根源は、その研究心にあるのではないだろうか。その土地の人々から話を引き出せる田中さんの人柄ももちろん含まれているのだろう。特にマタギの人々には僕も話を聞いたことがあるが、その多くは独特の信念をもっていて、簡単に深い話はできないよと思っているように感じたものだ。しかし田中さんの場合は、そんな気質のマタギからも実に細かくその時の状況を語らせることに成功しているのである。今回の本では、そんな話が67も収録されている。北は北海道から南は九州まで、まさに飛ぶが如くの行動力と取材力である。
僕の登山は基本的に単独テント山行である。この本の中にある「テントの外は」や「夜の訪問者」などは、実際それに近い状況に遭遇したことがある。怪異の内容こそまったく違うが、僕の本の中にも「真夜中の訪問者」というテントの中で恐怖する話があるほどだ。
二十数年前、神奈川の丹沢山塊の登山道の中腹に休憩するのにぴったりな広場があったのだが、その広場の光景を見て仰天したことがある。森側の隅に、黄色いビールケースの上にテレビが置かれていたのである。とにかく昔の話だ。現在のような地デジ対応の薄型テレビではない。後ろが大きく出っ張った重たいブラウン管テレビである。もちろん広場に電源コンセントなどあるはずがない。普通の登山者ならばその景色を見て「おもしろいことをする奴がいるなぁ」と思うかもしれないが、僕の場合はそれよりも、大きなビールケースと重たいブラウン管テレビを、山の中腹まで運び上げる登山者の神経を思って思わずぞっとしたものだ。
おそらく田中さんは、そんな小さな違和感を敏感に感じ取る感性を、僕以上に持っているのだろうと思う。

山怪 青 山人が語る不思議な話
| 著 | 田中康弘 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,650円(税込) |
田中康弘
1959年、長崎県生まれ。日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場、特にマタギなどの狩猟に関する取材多数。著書に『山怪 山人が語る不思議な話』シリーズや、『鍛冶屋 炎の仕事人』『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(いずれも山と溪谷社)などがある。
評者
安曇潤平
1958年、東京都生まれ。旅情怪談作家。山を舞台にした怪談を描き続ける。著書に『山の霊異記』シリーズ(KADOKAWA)など。
(山と溪谷2025年9月号より転載)
登る前にも後にも読みたい「山の本」
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