第4回 オフグリッドといえば聞こえがよいが

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長野県と岐阜県の県境に位置する乗鞍岳の山小屋「冷泉小屋」(れいせんごや)。その名前はすぐ脇を流れる“温泉”ならぬ硫黄冷泉に由来している。昭和6年(1931年)に創業後、16年間のクローズ期間を経て、2022年7月にリニューアルオープンした、そのリニューアルのストーリー。山登りしない。キャンプしない。アウトドアに興味がない。山が嫌い。海が好き。そんな村田実樹さんがある日突然、山小屋の女将になったお話。

文・写真=村田実樹

美しい空の景色を堪能
美しい空の景色を堪能するときに電気は不要。でも山小屋で快適な時間を過ごすためには電気も必要なのです

山小屋というのは基本的にはオフグリッド(送電網から独立して、エネルギーは自給自足すること)である。

山には電線が無いため電気がもちろんない。水道も通っていない。

冷泉小屋もしかりで、かつては発電機を燃料で動かして電力としていた。水は目の前に流れる冷泉を生活用水(トイレ、お風呂など)として使いつつ、飲用水は麓から持って上がっていたそうだ。ガスはプロパンガスを使用。私たちが小屋を始める際もその考えはほぼ同じだ。

ただ、夫は発電機が嫌だった。

なぜかというと、ガソリン臭くて音がうるさいからだ。せっかく山に来ているのに、発電機の人工的な音が嫌だったのだ。自分で小屋をやるからにはうるさい音を出したくない。

発電機が一生懸命働いている音は、「山小屋のシズル」とも言われているそうだが、山の静寂を奪われたくないという気持ちはよくわかる。

そこで考えたのは、大きな蓄電池(バッテリー)を購入することだった。時はコロナ禍〜コロナ後。急に訪れたアウトドアブームで、さまざまな会社が蓄電池を開発していた。

夫は引き寄せ力がものすごくある人だ。なにか必要なことやモノがあるときに、それに関連する人がなぜか現われ、助けてくれる。

この時もなぜか蓄電池の会社のPRの話が舞い込んできて、冷泉小屋を舞台にPRイベントや動画の制作というお仕事が来て、小屋のロケ地使用料と引き換えに蓄電池を提供された。

その時に大きな蓄電池を3台と、客室用の小さな蓄電池、普通サイズの蓄電池を提供いただいた。買うと高額なのでとても助かった。

ソーラーパネルと蓄電池
ソーラーパネルと蓄電池

小屋がオープンして宿泊が始まった。宿泊が始まるということは、冷蔵庫に結構な量の食材が入る。ある夜のこと。23時ごろに眠りについた私は、夜中にトイレに起きた。用を足した後に、そういえば冷蔵庫は動いているかなと気になった。扉を開けてみたら、中の照明が真っ暗だった! 止まってる! まずい! 食材が!!

急いで夫を起こし、電気が止まっている旨を報告。彼が計算した以上に小屋にある家電が電力を食っていたようだ。高地では電力消費量も違うのかもしれない。動きが止まった蓄電池の充電を急いでする必要があった。しかし冷泉小屋の前を通る乗鞍エコーラインは7月から9月の間、夕方18時から翌朝6時までは車両運行禁止なのだ! 不安を抱えて夜が明けるのを待ち、6時になるとすぐに蓄電池を車に乗せ麓まで走り充電をした。幸運なことに山の上は気温が低いおかげで冷蔵庫の食材もわるくなることはなく、充電を終えた夫が小屋に戻り、蓄電池は再起動した。

乗鞍エコーライン
乗鞍エコーラインは、4月下旬~6月は路線バス以外通行止め。7~9月は6時~18時、10月は7時~18時に車両通行止めとなる

普段生活していて、不安なく電気を使えていることに感謝した。

そしてなんでこんな山奥の場所で宿泊施設を経営しなきゃいけないんだ! とまた嫌になった。

しかし、このドキドキはあっちゃいけないドキドキなので、蓄電池に頼る山小屋生活もどうしたものかと問題提起させられることになった。しかも充電しに行くのにCO2を撒き散らしながらガソリン車を動かすのも、いいことをしてるんだか、してないんだかよくわからない。

オフグリッドといっても、素敵なものではなく、「不便なインフラ生活」をちょっとばかしかっこよく肯定したワードなのである。知恵と資金を大量投入しないと、イケてるオフグリッドは完成しないのである。そう、冷泉小屋はイケてなくてはいけないのだ。

電気ならば太陽光発電が一番だ。天気が多い乗鞍岳。しかも周囲に日差しをさえぎる障害物はなにもない。しかし屋根の上に載せる太陽光パネルは、冬期に屋根に雪が多く積もる環境では屋根を痛めてしまう。だったら冷泉を使った水力発電か? 協力してくれる人はいるのだがなかなか水力発電企画は進んでいなかった。

そんな冷泉小屋に、電気問題を一気に解決するすばらしい出会いがあったのは、そう遅くはなかった(その話はまた別の時に)。

オットの独り言

せっかく古い山小屋を再オープンするのだから、この先を見据えて新しく見える山小屋にしたいと思っていました。ただ、現時点でいろいろと決めきってしまうと小さくまとまってしまう気もして、最低限を整えつつ技術のアップデートを待つという、「アジャイル」というと聞こえはいいけれど、結果いつもの優柔不断方式を採用して山小屋をスタートしました(笑)。

冷泉小屋代表夫婦が主催する
「ALPS OUTDOOR SUMMIT2025」!

ALPS OUTDOOR SUMMIT展示の様子

今年も10月4日(土)〜10月5日(日)に松本市やまびこドームにて、長野県最大級のアウトドアイベント「ALPS OUTDOOR SUMMIT 2025」が開催されます(写真は昨年開催時のもの)。実は私たち夫婦が主催しておりまして、毎年秋の山小屋は紅葉のピークで混雑、大きなイベントもありで、夫婦でてんやわんやしております。

今年のイベントの合言葉は「山活しようよ」。山やフィールドでの活動や遊びを、さまざまな切り口で楽しめるようコンテンツをたくさん用意しています。クラフトマンシップを極めた国内外のアウトドアメーカーが70社以上出展し、100を超えるブランドが集まります。「クラフトの街・松本」だからこそ、そして「北アルプスのお膝元・松本」だからこそのイベントで、作り手のクラフトマンシップやこだわりを公式サイトやSNSで丁寧に紹介しているのも、私たちのイベントならでは。それだけメーカーさんをリスペクトしております。

今年は冷泉小屋も出展することになりました。私たちもたぶんいますので、ぜひお声がけいただけますと励みになります。

ステージではさまざまな「山活」をアウトドアトップランナーの皆様にお話しいただきます。特に『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』をこの春に出版したばかりの文筆家・情報キュレーターの佐々木俊尚さんのステージは、登らなければ登山ではない! という今までの常識をくつがえすお話で、登山を今までしなかった方のハードルが下がる、もしくはなくなる時間になるかもしれません(山登りしない私も聞きたい)。

「創る」ことを楽しむワークショップや、食の面でもクラフトマンシップが発揮されたフードやドリンクが出店します。ドーム内の出展メーカーの中にもこだわりのフードやドリンクブランドが並びます。

というわけで、私たちの汗と涙と喧嘩と努力の成果をぜひ見にきてください! 松本でお待ちしています。

ALPS OUTDOOR SUMMITフライヤー

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この記事に登場する山

岐阜県 長野県 / 飛騨山脈南部

乗鞍岳 標高 3,026m

 飛騨側から眺めた山容が、馬の鞍に似ているところから「鞍ヶ峰(くらがね)」と名づけられ、それが乗鞍岳となった。北アルプスの中で最も大きな山容をもち、裾野を長く引く優美な姿は、昔から飛騨人にとってシンボルとして親しまれてきた。  記録によれば、乗鞍岳は今から1万年前まで噴火していた、とある。5個ないし6個の火山錐が集まった集合火山で、四ツ岳と大丹生岳、恵比須岳、富士見岳、権現岳(剣ヶ峰)などの火山錐が、北から南へと並び、最後の噴火でできた火口湖が、頂上剣ヶ峰とその直下の権現池である。また、山頂部一帯は数kmにわたっていくつかの火口湖、山上台地などが形成され、緑濃いハイマツ帯の間には夏でも豊富な残雪を残し、彩り鮮やかな高山植物とともに、乗鞍岳の雄大で美しい景観をつくり出している。  開山は大同2年(807)の田村将軍と伝えられるが、飛騨側からは天和年間(1680年代)に円空上人が平湯から登ったのが最初で、明治年代には近代登山の先駆者ガウランドやウエストンも登っている。円空上人や木食(もくじき)上人など行者の錬行(れんぎよう)登山もあるが、この山は、御岳や白山と異なって比較的宗教的ムードが稀薄な山であったのは、山容が穏和であり、地理的な条件が悪いことによるものであろう。近代登山幕開け以前は、地元の村人にとっては資源採掘や狩猟の山であり、雨乞い、豊作祈願のための生活の山であった。  明治末期から大正中期にかけては、平湯大滝、平湯峠、旗鉾、大尾根、子ノ原、青屋、上ガ洞、阿多野、野麦などから登山道が開かれ、また信州側からも番所(ばんどこ)、白骨(しらほね)、沢渡(さわんど)、前川渡からの道がつけられた。  だが、乗鞍岳がクローズアップされてきたのは、近代登山が始まってからであり、大衆化したのは太平洋戦争後である。旧陸軍が山頂近くの畳平に航空研究所を建設し、昭和18年には、平湯峠から自動車道路を開発した。やがて敗戦となり、この道路はバス道路に転用され、昭和23年には、高山から標高2700mの畳平まで登山バスが運行されるようになった。さらに昭和48年には乗鞍スカイラインが完成したことにより、マイカー登山ができるようになった。特に夏の最盛期には、頂上剣ヶ峰まで約1時間で登れる手軽さから、畳平周辺は登山者や観光客であふれ、都会の雑踏と変わらないありさまである。 また、摩利支天岳付近には、東京天文台コロナ観側所や宇宙線研究所なども建設された。  しかし、乗鞍岳は壮大な山である。昔の登山道の多くは今も健在で、池塘あり、滝あり、湿原あり、その変化と趣のある道は今でも無尽に存在し、その魅力はいささかも失われていない。  ※環境保護のため、乗鞍スカイライン(平湯-畳平間)、乗鞍エコーライン(乗鞍高原・三本滝-畳平間)は平成15年(2003年)からマイカー規制を実施しており、畳平へは、途中でシャトルバスに乗り換える必要がある。

プロフィール

村田実樹(むらた・みき)

冷泉小屋女将、ALPS OUTDOOR SUMMIT理事、コミュケーションデザイナー、クリエイティブディレクター。広告会社でクリエイティブやコミュニケーションデザインの経験を積み、独立。株式会社クロールを設立。2021年に松本へ拠点を移し、冷泉小屋の経営を開始。冷泉小屋では運営、料理、PRを担当している。乗鞍岳には一度も登っていないことは内緒の話。山小屋でおいしいワインを飲むのが至福の時間。アウトドアイベント「ALPS OUTDOOR SUMMIT」も主催している。オフシーズンは従来のコミュニケーションの仕事に従事。

山嫌いが山小屋の女将に 〜乗鞍岳冷泉小屋ダイアリー〜

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