第5回 星降る山小屋だと気づく

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長野県と岐阜県の県境に位置する乗鞍岳の山小屋「冷泉小屋」(れいせんごや)。その名前はすぐ脇を流れる“温泉”ならぬ硫黄冷泉に由来している。昭和6年(1931年)に創業後、16年間のクローズ期間を経て、2022年7月にリニューアルオープンした、そのリニューアルのストーリー。山登りしない。キャンプしない。アウトドアに興味がない。山が嫌い。海が好き。そんな村田実樹さんがある日突然、山小屋の女将になったお話。

文・写真=村田実樹

山小屋の灯と満天の星、静寂の乗鞍の夜
山小屋の灯と満天の星、静寂の乗鞍の夜

手前味噌であるが、冷泉小屋周辺の自然のすばらしさはたくさんある。山は嫌いだが、感動する瞬間があるのが、むずがゆい。

雲海から昇る日の出の神がかった美しさ。

麓の山々を見渡す窓からの景色。

小屋のすぐ上から湧き出る冷泉。そしてそこに群生する瑞々しい苔。

刻々と色が変わる夕方の空。

そして、見たこともない満天の星空……。

天候によってはその景色を見られないこともあるけれど、それはまた次回へと繋がる理由となる。

その日はほぼ満室で、私たちスタッフは朝からバタバタしていた。ランチもとても混んでいて、その忙しさのままディナーも慌ただしく始まった。注文された料理を作り続け、ようやく手が空いたのはディナーの後半。

必ず私はお客様のところへ行き、挨拶をし、夕飯やお風呂はどうだったか、どうしてこの小屋を知ったのかを聞いてみる。

そのなかで娘さんとお母さんのお二人連れがいらっしゃった。この小屋に来た理由を聞いてみたら「乗鞍は星がきれいだと知ったから」だった。

星がきれいだから。

その理由は初めて聞いた。

登山、ロードバイクが目的の人は多い。小屋自体を目的という人も増えてきた。でも星目的の方は今までいなかった。確かに星にはすばらしいものがある。天の川だって、流れ星だって見える。小屋の明かりをできるだけ消して、道路に寝転がって見ると(夜は車両が通らないので安全です)、星との距離感がわからなくなるくらいの満天の星が見える。

冷泉小屋から見る天の川
見上げれば、天の川がすぐそこに

この夜はたしか流星群の日だった。

その親子は流星群を見るのが趣味で、日本各地に出向くという。寝袋と防寒具の準備もバッチリで、あとは星が出るのを待つのみだった。親子はしょっちゅう空を確認していたが、その日はイマイチ星が見えなかった。早い時間より、遅い時間の方が星はきれいに見えることが多いと二人に伝えて、私たちは片付けをし、寝る準備に入った。

時刻は12時。まだ星はよく見えない。今日はもしかしたら難しいかもしれません……、と伝えて私たちスタッフは先に床についた。ちょっとでも見えますようにと心の中で祈った。

そして朝。コーヒーを淹れて朝食を作っていると、例の親子が起きてきた。

「流れ星見えましたよ!!」とうれしそうな二人。

聞くと、夜中も何度も起きてチェックしていたら、夜明け前についに見えたらしい。寒い夜中粘りに粘った彼らの勝利だった。「よかったーーー!」と夫とスタッフ。

天候に関しては私たちではどうにもできないのだけれど、遠い乗鞍まで来てくれて、流れ星を見るという願いが叶ったのなら、こんなにうれしいことはない。

乗鞍に星を見に来るという目的の人がいるんだ。

今まで想定もしていなかったけれど、今年は星の話が少しはできるように準備してみようと思っている。

乗鞍の美しい朝
そして今日も乗鞍に美しい朝が来る

オットの独り言

古くは山頂近くに東大の天文台や宇宙線研究所、国立天文台のコロナ観測所があったりして、乗鞍は宇宙に近い場所なんです。空気がきれいなのと周辺に明かりがないのとで、晴れの日には星が本当によく見えます。僕は宿の営業日はほぼ車の中に泊まっているのですが、窓から流れ星が見えるのも日常です。逆に月が出ると明るすぎて星が見えにくくなり、道路に月明かりで自分の影ができるくらいです。

この記事に登場する山

岐阜県 長野県 / 飛騨山脈南部

乗鞍岳 標高 3,026m

 飛騨側から眺めた山容が、馬の鞍に似ているところから「鞍ヶ峰(くらがね)」と名づけられ、それが乗鞍岳となった。北アルプスの中で最も大きな山容をもち、裾野を長く引く優美な姿は、昔から飛騨人にとってシンボルとして親しまれてきた。  記録によれば、乗鞍岳は今から1万年前まで噴火していた、とある。5個ないし6個の火山錐が集まった集合火山で、四ツ岳と大丹生岳、恵比須岳、富士見岳、権現岳(剣ヶ峰)などの火山錐が、北から南へと並び、最後の噴火でできた火口湖が、頂上剣ヶ峰とその直下の権現池である。また、山頂部一帯は数kmにわたっていくつかの火口湖、山上台地などが形成され、緑濃いハイマツ帯の間には夏でも豊富な残雪を残し、彩り鮮やかな高山植物とともに、乗鞍岳の雄大で美しい景観をつくり出している。  開山は大同2年(807)の田村将軍と伝えられるが、飛騨側からは天和年間(1680年代)に円空上人が平湯から登ったのが最初で、明治年代には近代登山の先駆者ガウランドやウエストンも登っている。円空上人や木食(もくじき)上人など行者の錬行(れんぎよう)登山もあるが、この山は、御岳や白山と異なって比較的宗教的ムードが稀薄な山であったのは、山容が穏和であり、地理的な条件が悪いことによるものであろう。近代登山幕開け以前は、地元の村人にとっては資源採掘や狩猟の山であり、雨乞い、豊作祈願のための生活の山であった。  明治末期から大正中期にかけては、平湯大滝、平湯峠、旗鉾、大尾根、子ノ原、青屋、上ガ洞、阿多野、野麦などから登山道が開かれ、また信州側からも番所(ばんどこ)、白骨(しらほね)、沢渡(さわんど)、前川渡からの道がつけられた。  だが、乗鞍岳がクローズアップされてきたのは、近代登山が始まってからであり、大衆化したのは太平洋戦争後である。旧陸軍が山頂近くの畳平に航空研究所を建設し、昭和18年には、平湯峠から自動車道路を開発した。やがて敗戦となり、この道路はバス道路に転用され、昭和23年には、高山から標高2700mの畳平まで登山バスが運行されるようになった。さらに昭和48年には乗鞍スカイラインが完成したことにより、マイカー登山ができるようになった。特に夏の最盛期には、頂上剣ヶ峰まで約1時間で登れる手軽さから、畳平周辺は登山者や観光客であふれ、都会の雑踏と変わらないありさまである。 また、摩利支天岳付近には、東京天文台コロナ観側所や宇宙線研究所なども建設された。  しかし、乗鞍岳は壮大な山である。昔の登山道の多くは今も健在で、池塘あり、滝あり、湿原あり、その変化と趣のある道は今でも無尽に存在し、その魅力はいささかも失われていない。  ※環境保護のため、乗鞍スカイライン(平湯-畳平間)、乗鞍エコーライン(乗鞍高原・三本滝-畳平間)は平成15年(2003年)からマイカー規制を実施しており、畳平へは、途中でシャトルバスに乗り換える必要がある。

プロフィール

村田実樹(むらた・みき)

冷泉小屋女将、ALPS OUTDOOR SUMMIT理事、コミュケーションデザイナー、クリエイティブディレクター。広告会社でクリエイティブやコミュニケーションデザインの経験を積み、独立。株式会社クロールを設立。2021年に松本へ拠点を移し、冷泉小屋の経営を開始。冷泉小屋では運営、料理、PRを担当している。乗鞍岳には一度も登っていないことは内緒の話。山小屋でおいしいワインを飲むのが至福の時間。アウトドアイベント「ALPS OUTDOOR SUMMIT」も主催している。オフシーズンは従来のコミュニケーションの仕事に従事。

山嫌いが山小屋の女将に 〜乗鞍岳冷泉小屋ダイアリー〜

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