第2回 乗鞍との出会い
長野県と岐阜県の県境に位置する乗鞍岳の山小屋「冷泉小屋」(れいせんごや)。その名前はすぐ脇を流れる“温泉”ならぬ硫黄冷泉に由来している。昭和6年(1931年)に創業後、16年間のクローズ期間を経て、2022年7月にリニューアルオープンした、そのリニューアルのストーリー。山登りしない。キャンプしない。アウトドアに興味がない。山が嫌い。海が好き。そんな村田実樹さんがある日突然、山小屋の女将になったお話。
文・写真=村田実樹
2018年。世間が新型コロナで揺れ動き始める前のことだが、某登山アプリ会社のPR施策を考える仕事の一環で、夫は山小屋を探していた。ほぼ半数が高齢者という登山人口を若返らせるために、若者が楽しめる拠点として山小屋をアップデートしようというプロジェクトだった。
山小屋は、世襲制の経営が多いことは実はあまり知られていない。国立公園や国有林にある小屋は、林野庁(農林水産省の外庁)から土地を借りて営業する。その経営権は林野庁が管理し、世襲制になっている。個人が簡単に継承できるものではなく、後継者がいないと廃業が待っている。全国でそんな山小屋は少なくない(この部分の解説はオットの独り言1へ)。
その後継者がいない山小屋のひとつが乗鞍岳の「冷泉小屋」だった。
そのころ、ヤマケイオンラインに「冷泉小屋を譲渡する」という広告が出た。後継者がいない、それでも「冷泉小屋」という由緒ある山小屋をのこしたいというオーナーの祈りのような広告であった。
夫は自分のプロジェクトを進めるため、冷泉小屋のオーナー筒木東洋男さんに連絡を取り、面会した。乗鞍で生まれ育ったオーナーは、急に都会のCMプロデューサーというよくわからない肩書きの調子のいい男が目の前に現われて、さぞ驚かれたであろう。半信半疑だったに違いない。
それでもオーナーは本気だった。親から譲り受けた山小屋を、地図にも載っている山小屋を、潰したくはないのだ。潰したとて、更地にして国に返却せねばならない。オーナーは山小屋の営業こそ止めていたが、建物はそのまま。時々出向いては空気を入れ替え、掃除をし、神様を祀っていた。夫の山小屋の第一印象は、外側はボロかったけど、中は小綺麗という感想だった。
その後、コロナが蔓延する。外出規制やら、隔離やらで、さまざまな仕事が止まり、夫の山小屋をアップデートしようというプロジェクトもストップ。それでもオーナーは夫に連絡をとり続けてくれた。
オーナーの筒木東洋男さんを少し紹介しよう。東洋男さんは現在80歳を超える。乗鞍の麓で奥様、お姉様と「旅館金山」という宿を営んでいる。味わい深く、どこか懐かしい空間と白濁した硫黄泉の温泉、季節の野菜や山菜を使ったおいしい食事はこの旅館の強いコンテンツだ。昔から通う常連さんも多い。かつては「頂上小屋」「冷泉小屋」も経営しており、山小屋経営の大先輩だ。今でも折につけ夫は東洋男さんにいろいろなことを教えてもらっている。天気のこと、冷泉のこと、設備のこと、お客さんのことなど。乗鞍のお父さんとして私たちはとても大事に思っているし、東洋男さんがいなかったら、乗鞍という知らない土地に入ることはできなかっただろう。いつも守っていただいている。
コロナの期間でも、私たちはことあるごとに東京から乗鞍に行った。跡を継いでほしいという東洋男さんの気持ちもわかるけれど、まったく知らない土地で見たこともない山小屋を、やるやらないより前に「見る」ことが大事だった。
「ともかく遠くてボロい」というのが私の感想。松本までも遠いのに、そこから1時間以上もかかるのだ。遠いし、山だし、やっぱ無理。
乗鞍岳は「乗鞍エコーライン」という道路が通っていて、許可車は通ることができる。山登りをしない私にとっては、その道路がなければ、まず山小屋経営に乗り出すことはなかっただろう。行って驚いたのは、冷泉小屋は道路からすんなり中に入ることができない。入口と道路の間はなにもない(離れている)。自力で橋を架けて、ようやく小屋に入ることができる。こんなことすんの?? と思いながら、ずっと使われていたオンボロの木とオンボロのベニヤ板を組み合わせた橋を毎度設置した。
窓は雪囲いで覆われ、中は真っ暗。雪囲いを取ってようやく見えた室内は、時が止まったまま。昭和の趣きだった。壁に貼られた当時の手書きのお知らせ、チラシ、カレンダーやポスター。山岳協会の飾り物や北アルプスの山の地図。古い食器、古い家具、古いキッチン、古い客室、古いトイレなどなど。全部が「昭和」だった。外と中、テコ入れするにはものすごい労力とお金がかかりそうだった。でもまだこの時点では、昭和レトロを見つけては懐かしいね〜とはしゃいでいる段階で、何千万円もの借金人生が待っていることはまだ想像できていなかったのである。
オットの独り言1
今ある山小屋は国立公園法ができる前に建てられたものが多く、国立公園法ができた後も環境省・林野庁の許可を受けて営業していて、新たに建てることが難しいことから、代々世襲でやられている小屋が多いと聞きました。もしくは市町村営ですね。ですので外部へ譲渡されることは極めて少なく、相談した省庁もどのような手続きが必要か手探り状態でした。
ちなみに廃業する場合にも解体後は資材をすべて撤去し、平地にして植林して返却という、これまた新たに山小屋を一軒建てるくらいの負担があります。だから後継者がいなくて営業できなくても、返却できず放置されている小屋があるんですね。
オットの独り言2
ぼくは、山登りはしていたけど山小屋をやろうと思ったことは一回もなく、なんとなくオーナーの熱意に押されて、なんとなく乗鞍へ行ってみたりして、なんとなく可能性を探る気持ちで林野庁の方にお会いしていたら、なんとなく逃げられなくなってしまった感じで。多くの人に背中を押されて清水の舞台から飛び降りたらとんでもないことになってしまいました(笑)。
この記事に登場する山
プロフィール
村田実樹(むらた・みき)
冷泉小屋女将、ALPS OUTDOOR SUMMIT理事、コミュケーションデザイナー、クリエイティブディレクター。広告会社でクリエイティブやコミュニケーションデザインの経験を積み、独立。株式会社クロールを設立。2021年に松本へ拠点を移し、冷泉小屋の経営を開始。冷泉小屋では運営、料理、PRを担当している。乗鞍岳には一度も登っていないことは内緒の話。山小屋でおいしいワインを飲むのが至福の時間。アウトドアイベント「ALPS OUTDOOR SUMMIT」も主催している。オフシーズンは従来のコミュニケーションの仕事に従事。
山嫌いが山小屋の女将に 〜乗鞍岳冷泉小屋ダイアリー〜
長野県と岐阜県の県境に位置する乗鞍岳の山小屋「冷泉小屋」(れいせんごや)。その名前はすぐ脇を流れる“温泉”ならぬ硫黄冷泉に由来している。昭和6年(1931年)に創業後、16年間のクローズ期間を経て、2022年7月にリニューアルオープンした、そのリニューアルのストーリー。山登りしない。キャンプしない。アウトドアに興味がない。山が嫌い。海が好き。そんな村田実樹さんがある日突然、山小屋の女将になったお話。
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