剱岳・早月尾根 黄金に染まる秋を求めて【山と溪谷10月号】

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発売中の『山と溪谷』10月号の特集は、「山小屋主人が案内する 北アルプス絶景紅葉スポット」。特集のなかから、剱岳(つるぎだけ、2999m)の早月尾根(はやつきおね)紅葉のルポを紹介。年々、紅葉のタイミングを当てるのが難しくなってきているようです。

文・写真=星野秀樹


やはり温暖化の影響なのだろうか。もう9月も終わりに近いというのに、思ったように紅葉が進んでいない。

とはいえ夏の色とは明らかに違うし、なんともややこしい季節に来しまったようだ。ただでも難しい紅葉を「当てる」タイミング。それが年々難しくなってきている気がする。

ナナカマド
ナナカマドの葉は赤くならずとも、実は赤く染まった

秋の早月尾根が好きだ。

剱岳西面に位置するこの尾根は、日本海からの湿った空気の影響を受けやすい。だから夏の早い時間帯でも、下界の暖気と山の冷たい空気が上昇気流で混ざり始めると、あっという間にガスってしまう。朝は逆光で撮影できず、昼前にはガスって撮影できず、というカメラマン泣かせの尾根である。なので、秋がいい。乾いて澄んだ空気は裏切らない。しかも2600m付近まで岩壁にまとわりつくダケカンバに覆われて、黄葉の岩肌と、冷たい頂上岩壁の様相が、別山尾根(べっさんおね)では味わえない「秋の剱」を演出してくれるのだ。

早月尾根上部から眺める別山尾根・平蔵の頭
早月尾根上部から眺める別山尾根・平蔵の頭(へいぞうのずこ)。もうまもなく二つの尾根は合流し、頂上へと至る

もうひとつ、秋の早月は夕景がいい。日本海まで遮るもののない地勢は、雲海と夕日、それに小窓(こまど)尾根や剱尾根の岩稜を赤く染め上げて、荘厳な雲上界を現出させる。海と平野と山の狭間で味わう夕べの一時は、早月らしい贅沢な時間である。

松尾奥ノ平に根を張るタテヤマスギの大木
松尾奥ノ平に根を張るタテヤマスギの大木。いつも一言挨拶をして、ここを通る
アキアカネ
夏を山ですごしたアキアカネも、そろそろ里に帰る頃

いつものことながら早月小屋までの登りはつらい。最近はすっかり頂上を日帰り往復する人が増えたけれど、確かに重荷に煩わされずに登下降してしまう方が、この尾根にはふさわしいのかもしれない。

丸山から望む早月小屋
丸山から望む早月小屋。背後は剱御前と別山

テントを張る前に小屋に寄ると、受付にはニコニコと爽やかな堅太郎君がいた。大汗かいた後なだけに、髭づらのむさ苦しいオヤジよりも、高校球児のように清々しい彼に迎えられる方が、随分さっぱりとして気分がいい気もする。一通りの挨拶の後、色味の悪い紅葉の愚痴を言う。やはり夏の猛暑のせいなのか、色づくのがだいぶ遅れているらしかった。

早月小屋の佐伯堅太郎さん
爽やかな笑顔を見せる、早月小屋の佐伯堅太郎さん

大学を卒業後すぐに、父親の謙一さんに代わって小屋に入った堅太郎君。そんな彼に、この早月での紅葉のお気に入りスポットを尋ねると、「2400m付近から見下ろす早月小屋とか、小屋北側の谷筋の紅葉とかがいいですね」と言う。やはり早月は紅葉のバリエーションが豊富な尾根だと気づかされるが、彼の一番のお気に入りは、小屋前の丸山から見る夕方の小窓尾根だという。

「紅葉が夕日に赤く照らされて、すごくきれい。さらに新雪がかかると、なおさらすばらしいですよ」と教えてくれた。そういえば、彼の祖父で、早月小屋を建てた伝蔵さんは、ここの夕景をとても気に入っていたそうだ。奥さんと二人で夕方に小屋の外に出て来ては、雲海と夕日、小窓尾根の岩稜を眺めていたという。

テントを張った夕方、そんな夕日に出会えるかな、と期待する。しかし雲海こそ湧いたものの、岩壁を染めるほどの夕日にはならなかった。

手前を右上する剱尾根と、背後に連なる小窓尾根
手前を右上する剱尾根と、背後に連なる小窓尾根。早月尾根らしい眺め

翌日、剱の頂上を往復した。やはり、想像したとおりに紅葉の進みは遅く、黄色に染まりきらないダケカンバ、赤くならずに散り散りになってしまったナナカマド、そんな木々の間を伝い歩いた。それでも下りの2600m前後では、光の加減もあったおかげで、黄味が強い山肌が強調され、なんとかやっと「秋の剱」に出会えた気がした。重厚な剱岳本峰と、池ノ谷(いけのたん)を挟んでそびえる小窓尾根、剱尾根。足元には長大な早月尾根と、ポツンと赤い屋根を見せる早月小屋が佇んでいた。

剱岳頂上手前から望む立山方面
頂上手前から望む立山方面。遠く右手には薬師岳を望む
剱岳山頂
馬場島から標高差2240mもの登りの末にたどり着いた剱岳山頂。祠が登山者を迎えてくれる

テントに戻った後、夕景がよければ途中まで登り返して撮影を、と思って夕方まで酒も控えめにしていたが、今日も雲多めの日没となり、残照を肴にひとり酒宴となった。

翌日山を下りた。下るほどに秋色は遠のいて、夏の名残に包まれる。まあ、また来年。来年こそは。呪文のように、僕はひとりつぶやいた。

(取材日=2024年9月25~27日)

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数:2泊3日
コースタイム:【1日目】5時間10分
【2日目】6時間
【3日目】3時間10分
行程:【1日目】
馬場島・・・松尾平・・・三角点・・・早月小屋
【2日目】
早月小屋・・・2600m標識・・・剱岳・・・2600m標識・・・早月小屋
【3日目】
早月小屋・・・三角点・・・松尾平・・・馬場島
総歩行距離:約14,400m
累積標高差:上り 約2,426m 下り 約2,426m
コース定数:56
アドバイス:早月尾根上部の分岐表記。付近には標識などもある。視界不良の下降時に、誤って別山尾根を下らないように確認を
早月尾根上部の分岐表記

『山と溪谷』2025年10月号より転載)

この記事に登場する山

富山県 / 飛騨山脈北部

剱岳 標高 2,999m

 剱岳は剱・立山連峰と呼ばれるように、北アルプス北部の立山三山や大日岳と同じ山域にある。地籍は富山県中新川郡立山町と上市町。  北アルプス南部の盟主、穂高連峰と同じように、いかにも日本アルプスの名にふさわしい岩峰で飛騨系閃緑(せんりよく)岩や斑糲(はんれい)岩が氷雪で削り出された氷食冠帽である。氷河の痕はU字谷が稜線を削ってできた「窓」と呼ばれる地形にも見られる。三ノ窓、小窓、大窓などだ。もちろんカール地形も剱沢などに見られる。  登山史としての初登頂は1909年、吉田孫四郎パーティにより長次郎谷から行われているが、その2年前に、すでに陸地測量部の柴崎芳太郎たちが測量のため登頂している。  前人未踏の岩峰と思われていた頂上で、彼らは思いがけない発見をした。槍の穂と錫杖、古い焚火の跡などであった。奈良時代のものらしい。隣の立山とともに修験道の霊場だったのだろう。  現在の一般登山道、別山尾根は、1913年に木暮理太郎、田部重治パーティが初トレースしている。日本でもトップクラスの岩峰でロックゲレンデとして超一流なので、それ以後はバリエーション・ルートをねらう多くのアルピニストにより、さまざまな登路、登攀ルートが開拓されてきた。1923年には今西錦司、西堀栄三郎などの京大パーティによるチンネやクレオパトラ・ニードル登攀など、未開拓の難ルートが登られてきた。豪雪地帯だけに豊富な残雪とすっきりした岩峰群の人気は高く、戦後の登山ブームも加えて多くのクライマーを迎えてきた。それだけに事故も多く、1966年に日本で初めて積雪期登山の届出条例が発令されている。  ロッククライミングの対象として人気の高い三ノ窓や小窓、池(いけ)ノ谷(たん)、東大谷(ひがしおおたん)などにはチンネ、ジャングルム、クレオパトラ・ニードル、小窓ノ王、ドームなどと名づけられた岩壁や岩塔がクライマーの血を躍らせてくれる。  一般登山道は別山尾根。別山乗越から行っても剱沢から入っても一服剱(いつぷくつるぎ)で合流する。前剱を越え、途中、カニのヨコバイ、カニのタテバイなど岩壁を行く所があり緊張する。所要3時間30分。  もう1つは剱岳へ西から突き上げる早月(はやつき)尾根。標高差が大きく、途中の早月小屋で泊まる健脚向。馬場島(ばんばじま)から早月小屋へ7時間、早月小屋から山頂へ所要3時間30分。  裏剱の展望台、仙人池へは剱沢、仙人新道経由で所要6時間。仙人池から仙人谷を下って黒部峡谷の阿曽原(あぞはら)から水平歩道を欅平へは所要7時間。

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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