台風一過、思い出の槍ヶ岳へ

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読者レポーターより登山レポをお届けします。ミキミキさんは13年ぶりの槍ヶ岳(やりがたけ、3180m)へ。

文・写真=ミキミキ

1日目:上高地バスターミナル〜明神〜徳沢〜横尾〜槍沢ロッヂ

仕事が山を越えたので、金曜日に休みをもらって三連休にして、槍ヶ岳に登ることにしました。写真を見返すと13年前に登っていて、久々の槍になります。

楽しみで、2週間くらい前から毎日天気予報を欠かさずチェックしていたのですが、天気は悪くはなさそうで、一安心していました。それが、出発の数日前になって急に九州の南海上に台風15号が発生と、なんとも泣けてきます。そこからは、速度が早まったとか、四国で向きを東に変えたとか、台風の一挙一動を監視する日が続きます。

当日の朝は案の定の雨模様、槍沢ロッヂまでが今日の行程で、コースタイムでも4時間30分ほどなので、思い切って遅出することにしました。予報では昼頃から天候が回復に向かうそうで、それを期待して11時ごろに歩き始められるよう準備をして自宅を出発します。

調布から中央道に入り八王子から小仏へ抜ける辺りは災害級の大雨でした。松本からバスターミナルのある沢渡の駐車場までも大雨でテンションがまったく上がりません。台風は、本州の南岸を東進しているそうで、雨こそ猛烈に降っていますが、風はほとんどないのが助かります。

そんなこんなで10時前に沢渡の足湯駐車場に到着。車内でスパッツやカッパまですべて装備し、バスターミナルまで歩きます。上高地行きのバスは30分おきに出発しているようでしたが、この日は臨時便も出ていたようで、10時15分発のバスがあり、それに乗せてもらいました。まさかの貸切状態で、自分のためだけに運行してもらっているようで申し訳なさを覚えます。

上高地までのバス
上高地までのバスは貸切状態

上高地バスターミナルに到着してからもそこそこ雨が降っていましたが、登山客や観光客の姿がチラホラあり安心します。一応、お約束の河童橋から穂高方面を望む写真を撮りますが、当然ながら雲がガッツリ被っていてなんとも映えない写真が撮れました。

上高地バスターミナル
上高地バスターミナルは雨で人がまばら

明神から徳沢にかけて歩いているうちに雨が小降りになってきて、徳沢園を目前にして傘が不要になりました。昼頃にやむという天気予報に期待しつつ徳沢園で昼食を取ることにします。これまでは、カレーや野沢菜炒飯を食べることが多かったのですが、今回はピザに挑戦してみます。自販機で食券を買うと自動的に注文が入る仕組みで、あとは席で待つだけです。あっという間にチーズのピザが到着します。小ぶりのピザなので、女性でも1つペロリと食べられると思います。おいしくいただきました。食事後に外に出てみると薄陽が差していて雨は完全にやんでいました。カッパを脱いで身軽になり、お腹も満たされて気分揚々、横尾をめざして再出発です。

徳沢みちくさカフェ
徳沢みちくさカフェでランチ

横尾では一服しただけで槍沢方面へ歩を進めます。人間の記憶など大して残らないもので、13年ぶりの槍沢コースは断片的に薄めの記憶があるだけで、風景はほぼ頭に残っていません。よって、新鮮な気持ちで歩くことができました。

日向ぼっこする猿
雨が上がってお猿も日向ぼっこ

雨上がりということもありますが、川沿いの道は湿度こそ高いものの、気温はさほど高くなく涼しく歩くことができました。アップダウンのないほぼ水平の道を歩き、槍沢ロッヂ手前で少しだけ勾配が出てきますが、特に汗をかくことなく今日のお宿に到着です。外には大勢の宿泊客がビールやおつまみを持ち出して宴会が始まっていました。槍沢ロッヂのいいところは、なんといってもお風呂があるところで、15時から風呂が始まると皆さん風呂場に殺到して芋洗い状態で湯船に浸かります。これもまた日本人的で良しですね。

槍沢ロッヂ
13年ぶりの槍沢ロッヂは変わらぬたたずまい

この日は、播隆上人が槍ヶ岳を開山してから197年目の前日ということで、ロッヂでは前夜祭と称して夕食時にビールやジュースが振る舞われました。20時の就寝までは持参した松本清張の短編集を読みながら過ごし、いつも通りの耳栓とアイマスクとで安眠することができました。

槍沢ロッヂ 3階の大部屋
3階の大部屋にお世話になる

2日目:槍沢ロッヂ〜殺生ヒュッテ〜槍ヶ岳〜殺生ヒュッテ

4時ごろに自然に目を覚まし、準備をしつつ5時からの朝食を待ちます。朝食後はすぐにスタートです。小屋前で軽めの準備運動を済ませ、5時30分にスタートします。2日目は距離こそ長くありませんが、かなり標高を上げるので、脚に負担がかかることが予想され、最後まで歩き通せるようにゆっくりとしたペースで歩くことを心掛けました。コースはスタートから登り基調であるものの、急登はなく、ペースを乱されることなく調子よく標高を稼ぐことができます。水の多いコースで途中何度か沢を徒渉します。途中からは槍の穂先がドーンと正面に現われ、行くべき場所がはっきりしますが、歩いても歩いても近づきません。

槍ヶ岳 槍の穂先
見えた!槍の穂先ドーン

今回お世話になる殺生ヒュッテに荷物をデポさせてもらい、東鎌尾根経由で槍の穂先をめざすことにします。

殺生ヒュッテ
殺生ヒュッテに荷物をデポしていざ、槍へ

殺生ヒュッテでチェックインを済ませ、アタックザックに最小限の荷物を詰め込んで小屋裏にある東鎌尾根へ直登する道を登っていきます。あっという間に尾根に出てそこからは足元に注意が必要ですが、槍の穂先を目の前にした絶景の稜線歩きです。道幅は充分ですが、左側が切れ落ちているので足元には注意を払いつつ歩く必要があります。小さなハシゴや鎖場をいくつか越えると槍の穂先の直下を巻くように歩いて、槍沢本流と合流した後で槍ヶ岳山荘に出ます。

東鎌尾根と槍沢本流の合流部
東鎌尾根と槍沢本流の合流部

槍ヶ岳山荘の前のベンチで呼吸を整えて、いよいよ槍の穂先に取り付きます。登りと下りでルートが分かれていることから、すれ違う際の渋滞は発生しません。また、要所要所にはステンレスの鎖、ハシゴ、鉄の杭が打たれていて、足がかり手がかりには不自由しません。久々に登り、体力が落ちているのでやや不安もありましたが、問題なく登りきることができてよかったです。下りも、見た目ほどの怖さはなく、うまいことルートが作られているなと感心しました。

槍ヶ岳 槍の穂先
槍の穂先は見た目ほどの威圧感はない

殺生ヒュッテまで下山してからは、夕飯まで自由時間です。ちなみに、auユーザーの私は、殺生ヒュッテでもWi-Fiは無料で繋がりました。まずは外のテラスでランチを食べます。おいしそうだったので、黒マサラカレーをチョイスしましたが、これが当たりで甘さと辛さにスパイスの風味が入り混じる感じでおいしかったです。

黒マサラカレーと殺生ヒュッテと槍
黒マサラカレーと殺生ヒュッテと槍

あとは、ひたすら持参した松本清張の短編集を読むという贅沢な読書タイム、あっという間に時が流れていきました。夕方になるとかなり肌寒くなり、外にはダウンジャケットを着用されている方もいます。お友達と登ってこられた方々は思い思いに宴会を始めており、羨ましい限りです。17時からの夕飯を食べたら、また消灯の20時までは幸せ読書タイム。20時になるころに耳栓とアイマスクを着用して眠りに落ちます。この脱力感がなんとも言えず幸せ。

殺生ヒュッテの2階
ヒュッテの2階が今夜の寝床

3日目:殺生ヒュッテ〜槍沢ロッヂ〜横尾〜徳沢〜明神〜上高地バスターミナル

最終日も晴れ予報ではありますが、朝一番は槍の穂先にガッツリと雲がかかっていて風が強く吹いています。風が冷たいものの、標高を下げて汗をかくであろうことから、半袖Tシャツでスタートします。ヒュッテの玄関を後にし、石の多い登山道をテンポよく下っていきますが、槍の残像が頭に焼き付き離れません。そのため、何度も何度も振り返りつつ槍の穂先をもう一度見ようとしますが、残念ながら強風は穂先にまとわりついた雲を吹き飛ばしてくれません。そのうち登山道は左へカーブを描くようになり、槍ヶ岳は姿を消しました。こうなったらもう未練はありません、あとはケガをしないように気をつけつつ、ゴールとなる上高地をめざすだけです。

朝焼けに染まる槍沢を見下ろす
朝焼けに染まる槍沢を見下ろす

途中、槍沢ロッヂを過ぎると道が平坦になり、道幅も広くなって快適に歩けるようになります。間もなく横尾山荘が目に入ると、「ああ、帰ってきたな」という安心感とも、寂しさともとれない感覚が湧いてきます。横尾からは通い慣れた道、もう迷う心配もありません。

横尾山荘前から前穂を臨む
横尾山荘前から前穂を臨む

徳沢には想定よりも早く到着し、せっかくなのでコーヒーソフトを食べて行くことにします。いつのころからかソフトクリームに追加されたこのメニュー、濃いめのコーヒーにソフトクリームが入っているシンプルな食べ物?飲み物?ですが、登山中はコーヒーを抜いていたのでカフェインと糖分のダブルパンチで息を吹き返します。

徳沢みちくさカフェのコーヒーソフト
みちくさカフェでコーヒーソフトをいただく

その後は、明神、河童橋と、無事に戻ってこられました。河童橋には日本人と外国人の観光客が大勢いました。天気がよく、今日訪問した方は景色の美しさに感動したのではないでしょうか。上高地バスターミナルで沢渡行きのバスに乗ってこの山行も終了です。今回も無事の下山に感謝です。

観光客でにぎわう河童橋
観光客でにぎわう河童橋

(山行日程=2025年9月5~7日)

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数:2泊3日
コースタイム: 【1日目】4時間45分
【2日目】5時間25分
【3日目】6時間50分
行程:【1日目】
上高地バスターミナル・・・河童橋・・・明神・・・徳沢・・・横尾・・・一ノ俣・・・槍沢ロッヂ
【2日目】
槍沢ロッヂ・・・ババ平・・・乗越沢・・・天狗原分岐・・・グリーンバンド・・・槍ヶ岳殺生ヒュッテ・・・槍ヶ岳山荘・・・槍ヶ岳・・・槍ヶ岳山荘・・・槍ヶ岳殺生ヒュッテ
【3日目】
槍ヶ岳殺生ヒュッテ・・・グリーンバンド・・・天狗原分岐・・・乗越沢・・・ババ平・・・槍沢ロッヂ・・・一ノ俣・・・横尾・・・徳沢・・・明神・・・河童橋・・・上高地バスターミナル
総歩行距離:約37,800m
累積標高差:上り 約2,274m 下り 約2,274m
コース定数:66
ミキミキ(読者レポーター)

ミキミキ(読者レポーター)

東京都武蔵野地区在住。関東近郊の山を中心に一年を通じて登山を楽しんでいて、登山の前後のドライブとグルメが週末の楽しみです。

この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

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