名前と分類に翻弄されても美しく咲く アヤメ(アヤメ科)

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社会活動も生活も大きく制限せざるを得ない今、身近に咲く花の美しさに心癒されることはないでしょうか。『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、身近な花の生きざまを紹介する連載。美しい姿の裏に隠された、花々のたくましい生きざまに勇気づけられます。

「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉がある。
 アヤメもカキツバタも美しいことから、どちらも優れていて優劣がつけがたいことをたとえて、そう言うのである。
 アヤメとカキツバタ、そしてハナショウブの三種はとてもよく似ている。
 この三種を見分けるポイントはいくつかあるが、もっともわかりやすいのは下の花びらの模様である。ハナショウブは花びらの模様が黄色であるのに対して、カキツバタは白色である。そしてアヤメは、網目状の模様がある。また、ハナショウブは、葉の中央の葉脈がはっきり見えるという特徴もある。

 よく似た三種の植物だが、もともと生息地が異なる。
 野生の状態では、カキツバタは水がたまるような湿原に生息する。これに対して、ハナショウブは、湿った草原に生える。そして、アヤメは排水の良い草原に生える。
 つまり、水の中に生えるのはカキツバタだけで、ハナショウブやアヤメは、もともとは湿原というよりは、水のない草原に生える植物なのである。
 菖蒲園では、ハナショウブは水を切った状態で栽培されるが、花の時期には、美しく見えるという理由で、わざわざハナショウブのまわりに水を張っているのである。
 ハナショウブにとっては、ずいぶんと迷惑な話である。

ハナショウブ、ショウブ、アヤメの名前の謎

 ところで、アヤメという名前は相当にややこしい。
 ショウブは漢字で「菖蒲」と書く。それでは、アヤメは漢字でどう書くのだろうか。
 じつはアヤメも漢字で書くと「菖蒲」である。ショウブもアヤメも同じ漢字表記なのである。ショウブとアヤメとは何ともややこしい。

 かなり頭がこんがらがってしまうので、ぜひ、ここから先は覚悟して読んでいただきたい。
 すでに紹介したハナショウブは、サトイモ科のショウブに葉が似ていることから名付けられた。ところが、これだけでもややこしかったのに、ここにアヤメが登場する。
 あろうことかサトイモ科のショウブは、万葉の時代にはアヤメ(文目)と呼ばれていたのである。これは、剣のような形をした葉が並ぶようすが文目(あやめ) 模様に似ていることから名付けられたと言われているのである。 
 つまり、ショウブもアヤメも漢字で同じ「菖蒲」と書くのは、どちらも同じサトイモ科のショウブを指す名前だったからなのである。

 ところが、やはり同じような葉を持ちながら、ショウブにはない美しい花を咲かせる植物が登場した。それが、現在のアヤメ科のアヤメである。
 一説には、アヤメ科のアヤメは花の文様が文目模様であることに由来するとも言われているが、ショウブ科のアヤメがすでに存在していたことから、アヤメ科のアヤメの名も、葉の形によるという説が有力である。
 いずれにしても、アヤメと呼ばれる植物が二つあってはややこしいので、最初のうちは両者を区別するためにサトイモ科のショウブを「あやめ草」、アヤメ科のアヤメ を「花あやめ」と呼ぶようになった。ところが、美しい花の方が目立つので、やがて 単に「アヤメ」といえばアヤメ科のアヤメのみを指すようになってしまったのである。

 現在では、商標や名称をめぐるトラブルが絶えないが、「ショウブ」や「アヤメ」という名称をめぐる植物の関係も相当に込み入っている。
 しかし、アヤメやハナショウブが悪いわけではない。じつは、サトイモ科のショウブが「アヤメ」の名前を奪われてしまった原因には、名前を巡るショウブ自身のトラブルもあったのである。

中国からやってきたセキショウ

 そもそも「菖蒲」という名は、同じサトイモ科のセキショウという植物を指す名前である。中国で「菖蒲」といえばセキショウのことなのだ。セキショウは中国では不思議な薬草とされていて、端午の節句には菖蒲酒として飲まれたり、魔よけとして用いられていた。平安時代の日本は、とにかく先進国である中国のものを尊んでいたから、こうした端午の節句の習慣もさっそく取り入れたのである。

 ところが、日本には中国でショウブと呼ばれていたセキショウが自生していない。
 そこで、セキショウによく似たあやめ草をショウブと呼んで、端午の節句に用いるようになったのである。こうしてあやめ草はショウブを名乗るようになり、花あやめはアヤメの名を継承するようになったのである。
やがて中国から本物のショウブが導入されたが、すでにそのときにはもともとあやめ草だった植物がショウブの名を語っていた。そこで、中国からやってきた本物のショウブは、岩場に生えるショウブ(菖蒲)という意味でセキショウ(石菖)と呼ばれるようになってしまったのである。

 植物自身は、昔から何一つ変わっていないが、名前をつけて分類したがる人間のせいで、ずいぶんとややこしいことになっている。
 本当は自然界には、何の区別も差別もない。いずれがアヤメかカキツバタとくらべたがり、差をつけたがることも人間の悪い癖の一つなのである。

(※本記事は『花は自分を誰ともくらべない』の抜粋です。)

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【著者略歴】
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

プロフィール

稲垣栄洋

1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿

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