小さな村の、小さな祭り|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第7回は、村のお祭りについて。

文・写真=星野秀樹

 

 

盆を過ぎると祭りだ。
月末の祭礼に向けて、毎晩公民館に集まって神楽の練習が始まる。
笛、太鼓、子供たちの舞、獅子。

移住してきた最初の夏、「じゃあ、星野さんは笛ね」と言って篠笛を手渡されて以来、僕の山道具に笛が加わった。せっかく与えてもらった自分の役目、なんとかできる範囲ででも演奏できるようになりたくて、撮影で山に入るたびにこっそり笛を吹いた。もしも黒部とか雲ノ平とかで、怪しげな笛の音を聞いた人がいたとすれば、それは山賊とか河童の仕業ではなく、僕が練習する情けない笛音だったかもしれない。
そもそも数多い演目のメロディーがわからない。何度聞いても全部同じに聞こえて、ピーヒャラとか、プーピーとかにしか聞こえない。楽譜もない。だいたい篠笛なんて、いったいどうやって音を出したらいいの?
しかし、いつもは呑んだくれて馬鹿話に興じる村の面々が、ひとたび笛を構え、太鼓に向かい、獅子の面を被り、舞に臨むと、びっくりするようなアーティスト集団へと変貌する。
はっきり言って、カッコいい。

祭りの一番の見所は若手、青年による「剣の舞」だ。明治時代に上越の安塚地区からここ羽広山集落に伝えられ、後に周辺の集落に広まったとされる。勇壮果敢でありながら、どこかしら妖艶さをも感じさせる舞だ。昨年は逆に、この舞が途絶えてしまった上越の集落から、舞の継承のために保存会の人たちが見学にやってきた。このような関田山脈を挟んでの信越の親交関係は古くから伝えられる話だが、昔、祭りを見にきた上越の娘さんが、勇ましい獅子の舞い手に一目惚れをして、この村へ嫁いできたという事例も実際にあると聞く。

 

 

2日間に渡って行われる祭礼の1日目は舞や獅子舞などの神楽を、2日目は神主を招いての神事と直会を行う。初日の午前中は会場準備、夜の9時に公民館で神楽が始まる。すでにだいたいみんな酔っ払っている。そりゃ祭りだから。子供たちの舞と、獅子舞が披露された後、お囃子にのって、みんなで村中を練り歩く。御神酒を飲りながら吹く僕の笛は、なおいっそう怪しく、しかし酔えば酔うほど調子に乗って…。
村を一巡りしてお宮へ。そこで天狗の舞と獅子舞が始まる。いよいよ調子に乗って笛を吹き鳴らしていると、それは違う曲だ、と言って怒られる。だって似ているし…。やがて松明片手に舞っていた天狗が注連縄を断ち切ると、一連の天狗と獅子の舞が終わる。
以降は舞台を境内と御堂に移して、さらに舞が続く。子供たちの舞、獅子舞。住人100人足らずの村で、よくもまあこれだけの演目を、と思う。笛と獅子を兼ねたりして、人によっては何役もこなしたりする。境内に店を出す露店はおでん屋と唐揚げ屋の2軒だけだ。これだって、先週隣の温井の祭りに出かけて行き、直々に出店の依頼をしてきたお店だ。そんな小さな村の、小さな祭り。

そのトリに行われるのが、「剣の舞」だ。
深夜の山間に流れる緩急変化に溢れるリズム。古く小さな御堂で、激しく静かに舞い踊る3人の姿。
ただ見るのではなく、自分自身が参加することで、この村の仲間たちと過ごす時間のありがたさがひしひしと湧いてくる。村の、祭りの一員として、今僕はここにいる。
そんな「おらほの」祭りの余韻が、酒の酔いとともに、いつまでも僕の中から離れない。

この土地では、お盆を過ぎると急に寒さを感じ出す。
祭りの後、囃子を口ずさみながら、ぶらりぶらりと千鳥足で家まで帰る夜道が、なんとも寒々しく感じる。
確実に夏が終わって秋の到来を、来たる雪の季節を意識せざるを得ないのが、祭りの後の寂しさである。

 

 

●次回は9月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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