カラス、ハト、イカ、ベラーー鏡に映る自分がわからない「意外すぎる動物」とは?

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『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』の著者であり、動物行動学者の松原始さんによる連載。鳥をはじめとする動物たちの見た目や行動から、彼らの真剣で切実で、ちょっと適当だったりもする生きざまを紹介します。第11回では、動物、人間それぞれの「知能」とは何かを考えます。

鏡の中の「自分」がわかるのは?

 

多くの動物にはできない認知能力がある。例えば「鏡像認知」だ。
鏡像認知というのは、「鏡を見て、映っているのが自分だとわかること」である。人間はこれができるが、小さな子どもにはわからない。だいたい2~3歳頃にできるようになるようだ。

動物の場合、鏡を見ると大抵は「他個体がそこにいる」と思い込む。魚もネコも、鏡を見ると後ろをのぞきに行くが、これは「そこに誰かがいる」と思っているからである。

多くの鳥、例えばセキレイやジョウビタキは、自動車のバックミラーに喧嘩を売る。鏡に映る相手を威嚇すると向こうも威嚇し返してくるので、闘争はエスカレートする。さりとて相手の周りを回ろうとすると、鏡の裏には誰もいない。戻ってくると相変わらずそこにいる。かくして、最後は鏡を蹴り飛ばすのも珍しくない。

ヒト以外の動物の中で鏡像認識ができるのは、チンパンジーやゴリラだ。彼らの体の、自分では見えないところにこっそり汚れをつけておくと、鏡を見て汚れに気づき、自分の体を触る。もちろん最初は鏡に触れたりするのだが、そのうちに「これは他個体ではない」と認識する。

ゾウとイルカも鏡像認識ができるとされている。類人猿と鯨類とゾウなら、まあ納得いくだろう。彼らも非常に賢い動物だからだ。カササギもできる。カササギはカラス科の鳥で、さすがにカラスの一派だけあって利口なのだろう。そうそう、ハトもできる。イカもできる。ホンソメワケベラという魚にもできる。だが、ハシブトガラスにはできない。

ハトのあたりで疑問を感じ、イカに魚で「はあ?」と思われたのではないだろうか。

おまけに、カササギにはできるのにカラスにはできない。ハシブトガラスに鏡を見せるとものすごい勢いで喧嘩を売るばかりである。ひょっとしてバカなのか、カラス。
この点についてカラスを擁護しておくと、彼らは縄張りと順位を持ち、非常に喧嘩っ早い生き物だ、という理由が考えられる。鏡を見て「これはなんだかおかしい」と思いつく前に、頭に血が上って攻撃してしまうのだろう。

だが、あのハト(ドバト)にも、時間はかかるそうだが、鏡像認識ができるのは驚きだ。
イカの場合は実験方法が少し違い、本物のイカに対面させた場合と、鏡像に対面させた場合で行動が違うことがわかっている。もちろん鏡像は自分と同じ信号しか返さないし、匂いなどもないので、本物のイカを相手にしている時とは状況が違うだろう。そのような違いによって反応が変わるだけかもしれないのだが、少なくとも「これは本物じゃない」と判断しているらしいとのことである。

そして、ごく最近研究結果が発表されたのが、ホンソメワケベラの例だ。この研究ではチンパンジーと同じく、魚の腹に汚れをつけておくと、鏡を見てこれに気づき、腹を石などにこすりつけて落とそうとする行動が観察されている。これはなんとも驚くべきことだが、ちょっと引っかかるところもある。

魚にはしばしばウオジラミなどの寄生虫がつくが、もし、群れのメンバーに寄生虫がついている場合、自分にもついている可能性があるだろう。よって、鏡に写っているのが自分だと思っていなくても、寄生虫を除去する行動が誘発されるかもしれない。いや、もちろんこれは単なる思い付きにすぎず、ただのイチャモンみたいなものだ。今後の研究を楽しみに待ちたい。

動物は様々な方法で外界を認識し、彼らなりのやり方で反応する。その認識が人間と同じだという保証はない。
世界は様々な、人間とは異質な知性で満ちていると言ってもいいだろう。

 

知能は生き残るための性能の一つ

さて、鏡像認識のところで、ハシブトガラスには鏡像認識ができないようだ、と書いた。反面、ワタリガラスとハシブトガラスで、数の概念を持っている可能性が示されている。印(しるし)が4個あるものを選べ、といった課題が解けるからだ。この実験の解釈は難しいのだが、印の大きさや面積を変えてもやはり識別できたことから、数を判断したのではないかと結論されている。

カレドニアガラスは道具を使うし、計画性もある。「パイプの中に餌があるが、こっちからでは取れないから、反対側から押して穴に落としてこっちから取り出そう」なんてこともすぐ読み取るのだ。ワタリガラスは将来の利益のために目先の利益を我慢することさえできる。

一方で、自他の区別がちゃんとついているかどうかは怪しい。「自分から見えないから、相手も自分が見えないはずだ」という振る舞いをしばしば見せるからである。このように、動物の知能の発達パターンは人間からするとチグハグで、バランスが悪いように思えることがある。

だが、考えてみたら、それは当たり前のことだ。知能というのは、生き残るための性能の一つにすぎないのである。だから、動物の知能は、その動物が必要とするものになっているはずだ。例えば、社会を作らない動物には社会的知能はいらない。だが、獲物の動きを読んで先回りする能力はいるかもしれない。

こういう一匹狼みたいな知能は、「人間でいうと何歳児並み」といった言い方ができないだろう。先読みは大人並み、社会性ゼロ、道具使用はそもそも手がないのでできません、なんて動物相手に、「何歳くらいの知能」という言い方は通用しないのである。そういう意味で、動物の認知能力を安易に「何歳児並み」と言ってしまうのは間違いだ。マスコミはそういうシンプルなフレーズが大好きなようだが。

 

人間の知能の盲点

人間の知能だって、決してスタンダードでバランスが取れているわけではない。実は、結構なバイアスがかかっている。

例えば、「4枚カード問題」と呼ばれるものがある。片面にアルファベット、片面に数字が書かれたカードを用意する。ここに「A」、「K」、「4」、「7」の4枚のカードがあるとしよう。
さて、「実はカードに書かれたアルファベットと数字にはルールがある。片面が母音なら、その裏側は偶数でなくてはならない」と言われた場合、ルールが正しいことを確かめるには、最低限、どのカードをめくらなければならないか?

正解は「A」と「7」だ。

「母音の裏が偶数である」こと、およびその対偶である「奇数の裏は子音である」ことを確かめればいい。ところが、多くの場合、人間は「4」の裏が母音であることも確かめたがる。問いをよく見ると「偶数の裏が母音」とは言っていないので、「4」の裏を確かめる必要はない。

だが、人間は「お、やっぱり正解」という例を集めたがるのだ。おそらく、「あるルールが適応されているっていうけど、ほんと? ちゃんとルール守られてるの?」という点を、何度も確かめたくなるのだろう。正解が増えるほど、この世の確実さが増す、とでもいうように。
だから、母音の裏は偶数かを確かめたあと、「偶数の裏は母音だよね」という一対一対応を確かめたがる。

また、進化心理学者のコスミデスによると、人間は裏切り者の顔を覚えるのが早い。さらに、論理学的には犯人が特定できない場合でも、「あいつは裏切りものっぽい」という証拠があると、とっさに「あいつが犯人」と決定しがちである。

これについては、人間の認知が論理学的な正しさを追求するようにではなく、集団内で不利益をかぶらないために進化したせいだろう、という説がある。

集団を作ることにはコストと利益がある。町内会に参加していると夏祭りに出られるが、町内会費を払わなくてはいけない、といった例を考えてほしい。この時、人間の知能は「会費を払っていないのに、祭りだけ楽しんでいる裏切り者を探せ」という方向に働くのである。

知能というのが何やら世知辛いものに思えてきたが、そもそも、生き残って子孫を残せさえすれば、知能なんて別にいらない、とも言えるのだ。
例えば、すごい力と爪と牙を持った動物がいたとしよう。この動物は道具を使う必要があるだろうか? 多分ない。道具なんか使わなくても、自分の体だけでなんでもできてしまうからだ。

もちろん、道具を使うことで、汎用性は飛躍的に高まるだろう。鳥の嘴は餌ごとに特殊化しているが、人間は道具を持ち換えればどんな作業もこなせる。自分の体を進化させるよりも早く的確に、環境に適応することもできる。だが、それすらも、子孫を残すための一手段にすぎない。

単に「草原に適応したサルとして生き延びる」だけなら、別にサバンナヒヒだってよかったのである。あるいは、2億年ちかく地球の海を支配し、海中の物質生産の基礎となり、2万種とも10万種ともいわれる珪藻はどうだろう。彼らは生物としては問題なく大繁栄しているが、おそらく、測れるような知能は持っていない。陸上では昆虫が最も栄えていると言っていいが、彼らだってさして知能が高いわけではない。

こうして見てくると、動物に自分たちの知能の基準を当てはめ、「人間のレベルには達していないな」と安心するのも、あるいは「知能があるから人間は偉い」と思い込むのも、単なる人間の独りよがりであり、人間の知能のバイアスなのではないか、と思うことさえある。

(本記事は『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』からの抜粋です)

 

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『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』
著者:松原 始
発売日:2020年6月13日
価格:本体価格1500円(税別)
仕様:四六判288ページ
ISBNコード:9784635062947
詳細URL:https://www.yamakei.co.jp/products/2819062940.html

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【著者略歴】
松原 始(まつばら・はじめ )
1969年奈良県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館 ・ 特任准教授。研究テーマはカラスの行動と進化。著書に『カラスの教科書』『カラス屋の双眼鏡』『鳥マニアックス』『カラスは飼えるか』など。「カラスは追い払われ、カモメは餌をもらえる」ことに理不尽を感じながら、カラスを観察したり博物館で仕事をしたりしている。

プロフィール

松原始

1969年奈良県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館 ・ 特任准教授。研究テーマはカラスの行動と進化。著書に『カラスの教科書』『カラス屋の双眼鏡』『鳥マニアックス』『カラスは飼えるか』など。「カラスは追い払われ、カモメは餌をもらえる」ことに理不尽を感じながら、カラスを観察したり博物館で仕事をしたりしている。

カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?

動物行動学者の松原始さんによる連載。鳥をはじめとする動物たちの見た目や行動から、彼らの真剣で切実で、ちょっと適当だったりもする生きざまを紹介します。発売中の『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』(山と溪谷社)の抜粋と書き下ろしによる連載です。

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