積雪のために撤退したトムラウシ山の想い出、利尻山には何故雪がなかったのか? その答えは海にあった

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1991年9月末に日本列島を通過した台風19号、青森県のりんご果樹園に大きな被害をもたらせたことから「りんご台風」とも呼ばれるているため、記憶している人もいるだろう。この台風が去ったあとに、筆者はちょうど北海道登山を敢行したものの、トムラウシ山では季節外れの積雪に撤退を余儀なくされた。前々日の利尻山にはなかった雪が、なぜトムラウシ山にはあったのか? そのときの疑問を、55年長期再解析データ「JRA-55」を利用して検証、29年前の疑問に答える。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。 台風に関する遭難事例の話題が続きましたので、今回は1991年9月末に通過した台風19号による積雪のため撤退したトムラウシ山での実体験と、その時の気象状況について取り上げたいと思います。

このとき、2日前に登った利尻山(1721m)には積雪が全くなかったものの、トムラウシ山(2141m)には積雪があり、キックステップでは歯が立たない堅雪になっていて撤退を余儀なくされた理由が、29年後の今になってやっと分かりました。

気象庁による55年長期再解析データJRA-55が、30年近く前の気象状況を再現して、長年の疑問を解消してくれたので、今回はこの分析を行いたいと思います。

図1. 神遊びの庭から望むトムラウシ山の雄姿 (2005大矢撮影) 

 

1991年9月28日~10月2日の利尻山とトムラウシ山への山行の概要

1991年秋、私は3日連休を取って4泊5日の日程で利尻山とトムラウシ山への単独行を計画していました。ところが出発日の9月28日は台風19号が九州に上陸した後(図2)で、北海道に再上陸する真っ最中でした。当然のことながら、予約していた午前中の飛行機は欠航となったため、急遽、夜の便に変更するとともに山行計画を練り直すことになりました。

図2. 1991年台風19号の進路。数字は日付で、9月28日に北海道に上陸している (出典:デジタル台風) 


表1に当時の行動記録を示しますが、夜行電車を2回使って移動、利尻山は始発のフェリーに乗って、終発のフェリーで戻る弾丸登山という、若いからこそできた強行軍でした。


表1. 1991年の利尻山・トムラウシ山の行動記録


無謀と思われる方もいると思いますので補足しますと、当時の私は登山のトレーニングの一環としてやっていたフルマラソンではサブスリー(2時間台)で走り、六甲全山タイムトライアル(52km)も5時間台で走り切る体力がありました。また、前年秋には槍ヶ岳北鎌尾根や南アルプス鋸岳、年末年始には三ノ沢岳を含む中央アルプス全山縦走の裏付けもあったことを申し添えておきます。こうした裏付けなしに、決して真似をなさらないでください。

実際の山行では9月29日のお昼過ぎにガスと風の中、無事に利尻山頂上にたどり着きましたが、ルートにもガスの切れ目から見えたローソク岩にも積雪は全くありませんでした。しかし、10月1日にヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ山をアタックした時には、頂上目前で朝方の冷え込みでカチカチの凍った積雪があったため、単独行のリスクを考えて引き返しています。当時の行動記録から引用します。

<10/1>
ヒサゴ沼避難小屋を出発すると、石狩岳からニペソツへと続く東大雪の山々から日が昇った。稜線に出ると旭岳方面が見えたが、上部は降雪のため真っ白であった。
真下のヒサゴ沼の向こうに、沼の原の沼が朝日をきらきら反射しており、美しい。大小の沼の側を通り、北沼の左側からトムラウシの頂上を目指す。最初は岩のゴロゴロする登りから、クラストした北斜面のトラバースに入る。
昨日小屋に一緒に泊った人のステップはあるのだが、今日はキックステップを切ろうにも歯が立たない堅雪である。頂上の手前あと100mくらいの所のトラバースを何回か試みたが、ピッケルがないとヤバいので、ついに諦めて引き返す。
10時、小屋より下山。“神遊びの庭”から振返るトムラウシは、まさに天上の山だ。後ろ髪を引かれる思いで、またの再起を期してヒグマの爪痕に脅かされながら天人峡へ戻る。

図3. 冠雪したトムラウシ山 (1991大矢撮影)

 

気象庁JRA-55によって再現した当時の気象状況

このトムラウシ山での積雪はいつ降ったものなのでしょうか。当時の私は、利尻山では雪がなかったことから、利尻山を下山した9月29日の夜からトムラウシ山に登る前の9月30日の夜の間に降ったと思っていました。そのため、ほんの一日の間に、なぜあれほどの堅雪になったのか理解できませんでした。

そこで、気象庁による55年長期再解析データJRA-55を使って、当時の気象状況を再現してみました。すると、北海道付近の山で雪が降ったのは台風19号の通過直後の9/28の午後から夕方の間であろうということが判明しました(図4図5)。雪が降ってから3日たてば、朝方の冷え込みで堅雪になるのも頷けます。

図4. 1991年9月28日15時の地上等圧線 (JRA-55を使って大矢解析)

図5. 1991年9月28日15時の降水量 (JRA-55を使って大矢解析)


トムラウシ山の標高2000m付近と利尻山の標高1500m付近の気温を図6に示します。ともに28日の9時頃から急激に気温が低下していることが分かります。台風19号の通過によって一時的に「西高東低」の冬型気圧配置になったためです(図4)。そしてよく見ると、トムラウシ山と利尻山とでは、2℃ぐらいの気温の差しかないことが分かります。この程度の温度差なら利尻山にも積雪があってもおかしくないように見えますが、なぜ利尻山には積雪が全くなかったのでしょうか。

図6. 1991年9月28日3時~10月1日3時のトムラウシ山と利尻山の気温 (JRA-55を使って大矢解析)

 

利尻山に雪がなかった理由――、その答えは海にあった

いろいろと探ってみると、意外なことにその答えは海にありました。図7に気象庁による1991年9月下旬の海水温のデータを示します。

図7. 1991年9月下旬の海水温 (出典:気象庁)


利尻島周辺の海水温はまだ18℃もあります。利尻山はこの暖かい日本海に囲まれているため、内陸部にあるトムラウシ山や大雪山と違って雪にならずに雨が降ったと考えられます。初冬の北陸では、まだ日本海が暖かいため、冬型気圧配置によって内陸部では雪になっても、沿岸部ではみぞれや雨が降ることが多いのと同じ現象と思われます。これで長年の疑問が氷解しました。

1991年に一度は撤退したトムラウシ山ですが、2005年8月に会社山岳部の夏山合宿に参加して14年越しに頂上にたどり着いています。肝心の頂上はガスガスでしたが、神遊びの庭から、トムラウシ山の雄姿(図1)を見ることができたので大満足です。山は決して逃げません。思いを持ち続ければ、いつかは登ることができると思います。

図8. 14年越しでたどり着いたトムラウシ山頂上 (2005大矢撮影)


気象庁のJRA-55はこのように過去の山岳気象を蘇らせることができ、山岳気象の研究や山岳防災に大いに役立ちます。今後も岐阜大学の吉野純先生の研究室を拠点として、情報発信を続けて参りたいと思います。

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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