雪国の火祭り|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第12回は、小正月に行われる道祖神祭りについて。

文・写真=星野秀樹

 

 

11月下旬、飯山市内のあちこちに、謎のカタマリが出現する。
刈り入れの終わった田んぼに鎮座する、大小2つのカヤの山。
どうやら集落ごとにあるみたい。
晩秋の澄んだ空気の中で、不思議な存在感を放っている。
はて、いったいこれは何だろう?

道祖神、どんど焼き、左義長、サイノカミ。
日本全国で、小正月(1月15日前後)に行われる火祭りの呼び名である。それぞれの地域で内容に多少の違いはあるものの、その年に使った正月飾りや書き初めなどを燃やして無病息災を祈る。ここ北信地方では、国の重要無形文化財にも指定されている野沢温泉村の道祖神祭りが有名だ。
飯山市内では夏の祭礼同様に、集落ごとに道祖神(道陸神・どうろくじんとも言う)祭りが行われている。規模は野沢の道祖神祭りに遠く及ばないけれど、各集落で行う大事な「手作り」の行事である。
ほとんどの集落では雪の降る前にカヤの道祖神を作り、当日は周囲の雪を除けて点火する。
晩秋の頃に市内あちこちに出現する不思議なカヤ山の正体はこれだ。
1月半ばの厳寒時にカヤを積む作業をするよりも、根雪が来る前にしておく方が作業も楽だし効率もいいに違いない。当然ここ羽広山集落でもそうするものと思っていたら、季節が進んでも作業をする気配がない。不思議に思って尋ねると、「そりゃそんなことすりゃ、祭りの頃には雪の下に埋まってら」と笑われた。そう、ここは年明け頃には2mもの積雪に覆われる村だった。

11月、道祖神の骨組みを求めて、裏のブナ林に入って木を切る。あまり太くなく、まっすぐで、長さがそこそこのブナを探すのが難しい。毎年木を切り出すから車道に近い所から良木がなくなり、年々林の奥へと入って行かざるを得なくなる。道祖神は大小2体、3〜4本ずつの骨組みと、足場代わりにする横木が必要になるので、都合10本ほどのブナを切り出さなければならない。
切った木は村の公民館の倉庫へ運び、1月の祭り当日までしまっておく。さらに集落の各戸にカヤ10束の供出が求められ、これも各自で倉庫へと運んでおく。

 

 

祭当日。天気に恵まれれば幸い、吹雪が当たり前、という時期。まずは村のブルドーザー2台を使って会場を作る。さすがの豪雪も、強力な重機と腕のいいオペレーターにかかると、みるみるうちに広く踏み固められていく。そこに秋に切ったブナで道祖神の骨組みを作り、周りをカヤで覆う。雪降る中での手作業は、のんびりとした馬鹿話とともに進むので、辛さや悲壮感などは微塵もない。冬山登山の現場でも、こんなゆとりが必要なんだな、と考えさせられる。縄と番線でカヤを固定して、仕上げに誰かが持ってきたダルマを道祖神のテッペンに乗っければ作業はほぼ終了。あとは各自の正月飾りなどを持ち寄って、午後からの点火を待つばかりだ。

大きい道祖神をジジ、小さい方をババ、と呼ぶらしい。まずはババに火がつけられる。その火をカヤの束に移した子供たちが、ジジに火をつけようと向かってくる。それを邪魔する大人たち。そんな子供と大人の攻防戦が道祖神祭りのクライマックスだ。やがてもうもうと煙を上げて燃えだすジジ。御神酒が回った大人たちは、雪玉を投げたり、深雪の中に子供を投げ込んだり、他人の顔に炭を塗ったり、塗られたり。少子高齢化の進む小さな山村だけれど、こんな時は大人の方がよっぽど子供帰りして楽しんでいる。下火になったら灰で餅を焼いて、さあ、また飲もうか、となる。

全国で行われる小正月の行事だけれど、やはり雪国の火祭りは感慨深い。雪と火、雪に翻弄される日常。雪と共にある暮らしを共有する隣人たちとの連帯感、そして馬鹿騒ぎ。雪深い鍋倉山山麓の集落で、しんしんと雪降る夜更けになっても、公民館の明かりはいつまでも消えないのだ。

 

 

●次回は2月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

ずくなし暮らし 北信州の山辺から

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