九州自然歩道2,100kmをスルーハイク! 第5回 熊本県では豪雨災害の爪痕を目の当たりにする

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齋藤正史さんの九州自然歩道2,100㎞のスルーハイクは、4県目の熊本県へ。天草地方の海を見ながらのトレイルを歩き、九州本土へ。球磨川周辺では、令和2年7月豪雨の被害を目の当たりにする。

 

齋藤正史(さいとうまさふみ)

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年生まれ。山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。

アメリカにあるロングトレイル、アパラチアン・トレイル(2005年)、パシフィック・クレスト・トレイル(2012年)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(2013年)を踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成。日本国内でロングトレイル文化の普及に務め、地元山形ではロングトレイル整備の活動も行う。

 

もっとも印象深い天草地方。ゼロデイでは「トレイルマジック」も

長崎県の島原半島からフェリーで下島に渡り、熊本県の九州自然歩道がスタートした。

そこから、上天草のある上島を通り、宇土市・玉名市、山鹿市と熊本市を大きく一周するように周り、阿蘇・くじゅう国立公園を通過し、人吉市へと至る道のりだ。

九州自然歩道で最も長い563kmの熊本県のエリアの中では、天草地方が一番印象に残っている。

九州自然歩道の中では、上島エリアの雲仙天草国立公園だ。観海(かんかい)アルプスのルートは、アップダウンが激しく、時折、見える八代海に心やされながら、高舞登山(たかぶとやま)まで縦走路が続いた。

観海アルプス縦走路より眺める上島の松島

観海アルプス縦走路より眺める上島の松島


高舞登山を下ると、アスファルトの道になり、天草松島を通る。天草諸島から九州本土までは「天草五橋」と呼ばれる橋が島をつないでおり、美しい景色に目を奪われる。ふと、道端の看板を見ると「日本三大松島のひとつ」と書かれてあった。橋を一つ、また一つと渡ると、確かに宮城県の松島に似ていた。もう一つの松島は何処だろうと考えながら、宮城の松島からさらにスケールを大きくした感じの景色に心が躍った。

出典:NATS自然大好きクラブ(熊本県図)


天草で僕は「ゼロデイ(トレイルを歩かない休養日)」を取っていた。このゼロデイは、以前、岩手県大船渡でレンジャーをしていた久保井さんが、この年の春から九州に異動になっていて、天草を案内いただけることになっていたのだ。ハイカーにとって素敵な出来事、「トレイルマジック」だ。

久保井さんの車に乗せてもらい、九州自然歩道を歩いている途中に見つけた足湯に行ってみると、ちょうど掃除中だった。ただ待つのも暇だったので、久保井さんと僕は、足湯の掃除を手伝うことにした。

ゼロデイで足湯の掃除をお手伝い

ゼロデイで足湯の掃除をお手伝い


ボランティアの女性2人と話しながら掃除をしていると、ひとりの方は地元の方ではなく、この天草松島が気に入り、数年前から年に数か月松島に来ては、こうして掃除のボランティアをしながら過ごしているとのこと。おふたりに、見晴らしの良い公園があると教えてもらって行ってみると、今度はそこにいた男性から、松島の歴史のお話を聞くことができた。

普段の「ゼロデイ」では、広範囲に観光することはできなかった。こうして、久保井さんに案内してもらい、いろいろな出会いがあり、一気に天草松島のファンになっていった。そして、最後に天草四郎記念館を訪れた。天草四郎の生い立ちや天草地方の出来事を、展示物を通して深く知ることができた。天草四郎記念館も九州自然歩道のルート沿線にある。

久保井さんからは食料の差し入れをいただき、翌日は上島のルートを歩いた。天草四郎記念館で知ったストーリーと景色を融合させ、想像しながら歩く。アスファルトの道とはいえ、僕には素敵な道のりだった。

まるで南国のような景色の天草エリア

まるで南国のような景色の天草エリア

 

もっとじっくり過ごしたかった山鹿温泉

熊本北部に入ると、山鹿温泉、菊池温泉、菊池渓谷を通り、阿蘇・くじゅう国立公園へと九州自然歩道のルートは進んでいく。宇土市からは、舗装路を歩くルートが多くなってくるのだが、個人的に、山鹿温泉がとても気に入った。九州自然歩道で訪れた温泉街の中で、一番好きな町並みだった。

山鹿温泉の街並み

山鹿温泉の街並み


この日は、午前中のうちに宿に着いた。計画より1日遅れていたという事情もあり、「ゼロデイ」は取らないことにしていた。しかし、到着して直ぐに後悔した。ネットで予約した宿がとても素敵だったのだ。

荷物を預かってもらい、チェックインの時間まで町の中を軽く歩いてみたのだが、宿の近くには千代の園という昔ながらの酒蔵があり、町の中心部には、名湯さくら湯があり、さらに周辺には、足湯や国の重要文化財も指定されている芝居小屋の八千代座と、歴史情緒あふれる街並がとても素敵だった。

九州最大級の木温泉さくら湯休館日だった八千代座

九州最大級の木温泉さくら湯/休館日だった八千代座


チェックイン時間になって宿に戻ると、食料補給や洗濯等に追われることになる。観光をしている時間はないのだった。もっとこの町を見てみたかった。そんな思いを断ち切るように、翌日は早くに出発した。

 

豪雨の爪痕が残る人吉市周辺を歩く

九州然歩道のルートは、球磨川沿いを通るのだが、山岳エリアの道は、通行止めとなっていた。僕はルートを迂回し、五木村から球磨川沿いに人吉市に向かって進んでいった。この付近は「令和2年7月豪雨」の被害が大きかった場所で、僕が歩いたのは10月の中旬頃だった。

球磨川沿いでも比較的被害の少なかった多良木では、僕が訪れる頃、避難所が間もなく閉鎖になると聞いた。なので人吉市内に入るまで、ある程度復旧は進んでいるものと想像していた。

まだ片付いていないところもあった

まだ片付いていないところもあった


しかし、人吉市に入ると、球磨川沿いには、いまだ大きな災害の後が残されたままだった。コロナウイルスによる影響で、災害ボランティアも十分集めることができず、復旧が遅れているのだ。

特に、人吉駅周辺の被害は大きかった。僕が泊まった宿では、女将さんの姪っ子さんも亡くなられ、掃除の女性も引っ越したばかりの家が水害で流されてしまった、とのことだった。

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九州自然歩道は、人吉市周辺を歩くので、人吉市に入るにあたっては、アウトドアシューズブランド「KEEN(キーン)」から、事前に周辺の状況について情報提供いただいていた。

「KEEN」では、環境保護・社会貢献活動を「KEEN EFFECT(キーン・エフェクト)」と呼び、活動を行っていて、「令和2年7月豪雨」に関しても、人吉市周辺で被災地の支援活動をする緊急支援団体「OPEN JAPAN」をサポートする形で行っていた。

復旧支援の様子(写真提供=OPEN JAPAN)

復旧支援の様子(写真提供=OPEN JAPAN)


豪雨災害のような場合、生活用品が流されてしまうことが多く、特に玄関先に置かれる履物は流されやすい。避難するのにも、瓦礫の転がった危険な被災後の道を素足で歩くことになるうえ、復旧・復興の過程でも力仕事が多く、足元をしっかりと守るためにも靴は不可欠だ。そこで、「KEEN」では、令和2年7月豪雨により被災した方を対象に、KEENの靴5,000足を無償で提供した

社員自らが現地に赴いた2019年10月の台風災害の支援の様子(写真提供=KEEN)

社員自らが現地に赴いた2019年10月の台風災害の支援の様子(写真提供=KEEN)


これまでならばKEENの社員が現地に行き、直接、配布をするのだが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、被災地に入ることは難しく、今回の災害では、現地で活動するNPO団体、公的機関に託していたのだった。

球磨村神瀬地区での靴の配布の様子(写真提供=OPEN JAPAN)

球磨村神瀬地区での靴の配布の様子(写真提供=OPEN JAPAN)


僕は、地元の山形県上山市では消防団に入っている。令和2年7月豪雨の時、僕の住む上山市でも中心部を流れる川が決壊する寸前だった。消防団員は、ポンプ車で避難を呼びかけたり、一部中心部で水害のあった場所で土嚢を積んだりしていた。あと1時間、雨脚が強かったら、川は決壊していたかもしれない。

だからなおさら、人吉市周辺の被害は他人事とは思えなかった。

球磨川沿いの民家の様子

球磨川沿いの民家の様子


現地で直接の支援活動ができないコロナ禍で、僕たちができることは何だろう?

ふるさと納税を行うこと、被災地で販売する商品を通信販売で購入し、特定の生産者を支援すること、現地で活動するボランティア団体を支援するKEENのような企業が用意するチャリティグッズを購入する…。

今、僕たちができることは少ないのかもしれない。

しかし、新型コロナウイルス感染症が収束すれば、復旧のスピードも上がり、いずれ人吉市エリアの九州自然歩道が全域に渡って通行できるようになっていくだろう。

そうなれば、ハイカーができることも増えていくはずだ。「みちのく潮風トレイル」が津波の歴史を伝えていくように、きっと九州自然歩道は「令和2年7月豪雨」の歴史を伝える道になるだろう。

夕日の絶景スポットでテント泊

夕日の絶景スポットでテント泊


被災地とハイカーが結び付き、今度は、ハイカーを介して被災地と被災地が繋がっていけば、きっと新しい未来が見えてくるはずだ。

今回のレポートが、そんな未来への始まりになることに期待している。

 

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次回は、九州自然歩道、鹿児島県の旅を紹介していきます。

 

九州自然歩道、熊本県のおすすめと情報

 

プロフィール

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。

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