コロナ禍の山小屋の今 『ドキュメント 山小屋とコロナ禍 山小屋の〈未来〉を展望する』

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評者=長沢 洋

ドキュメント 山小屋とコロナ禍 山小屋の〈未来〉を展望する

編:山と溪谷社
発行:山と溪谷社
価格:1000円+税

 

2020年春からの新型コロナウイルスの蔓延とそれによる災禍は今さら言うまでもない。山岳書の出版社として、そのなかでも山岳地の実態、ことに山小屋の実情に焦点をあてて取材をし、編集されたのが本書である。

各地の山小屋の経営者へのインタビューを読むにつけ、あらゆる条件で不便な環境にある山小屋での感染対策の至難さがわかる。識者の求める対策を実施するのは、人里で民宿を営む評者ですら難しいのである。そんななか、できる対策を模索し、営業を続けようとする努力には頭が下がる。だが、もともと体調不良者がやってくることなどほとんどなく、しかも空気清浄な山で、下界と同じような対策を横並びにしなければならないのかとも思った。

そう思ったのには、評者が緊急事態宣言発出後の登山自粛の機運を疑問に感じた人間であることを前もって書いておかねばなるまい。遭難騒ぎでも起こしたときには、ただでさえ忙しくなっている医療現場をさらに圧迫してしまうといったことが自粛の理由のひとつだったが、「命」と書かれた錦の御旗が一方にだけはためいている景色を見ると評者は眉につばをつける。こういった世論を後押しするマスメディアの扇情主義と、過ぎた清潔主義が横行する社会が、自分をあらぬ方向に連れていかないかと危惧するからである。

そもそも遭難などいったいどれだけの割合で起こるというのか。大多数は山を歩いて心身ともに健康になり、結果的には医者にかからなくてすむに違いないのである。各人各様の行動のひとつひとつを不要不急だと選別する基準などあるはずがない。

それにしても、これしきの考えは独自でも何でもなくて、山小屋を営んでいる人たちにも似たような考えの人はいたと思われる。ならばほかはどうあれ自分の小屋ではこうするという主張はできなかったのだろうか。

できないのだろう。その理由は、甲斐駒ヶ岳の七丈小屋の花谷氏や北岳肩の小屋の森本氏へのインタビューを読むと見えてくる。要するに、山小屋の多くが国立公園や国定公園など、古い既得権以外ではおいそれと借りられない公有地に立つ民間経営の施設なのである。国や自治体に生殺与奪を握られていると書けば極端かもしれないが、彼らの示す、国民の命を守るためだという大義名分に逆らえるはずはない。

今年度、七丈小屋は所有者の自治体との折衝で営業することができたが、北岳や富士山は交通手段が絶たれたうえ、登山道は管理主体の山梨県によって通行禁止とされ、その山域の山小屋はまったく営業できなかったという。山小屋や登山者は体のいいスケープゴートにされたのではなかったか。

本書には「山小屋の〈未来〉を展望する」という副題がついているが、2021年1月現在、感染拡大が日々のトップニュースとなっている状況では少なくとも明るい展望はまだ見えてこない。また収束したとしても、元どおりの未来はない以上、災いを転じて福となす発想が必要なのはなにも登山界に限ったことではない。

山小屋は予約制にせざるを得なくなり、おのずと宿泊料金は値上げされ、登山者はそれを受け入れるしかなくなる。登山者が多い山域は入山料を徴収すべきかもしれないし、入山者の総数規制が必要になるかもしれない。

しかしその結果、野放図な人の集中が抑制されることは山の自然にとってよいことではないのか。山小屋があるおかげで我々は山に登れるのだといった論調が本書にあるが果たしてそうか。各々に感想があるだろう。人と自然の関わり合い、ひいては自分の登山を考えさせられる一冊である。

 

評者=長沢 洋

1958年、大阪市生まれ。高い山に憧れて山梨県の都留文科大学に進む。卒業後、御坂山中で仕事をするうち、身近にある山のよさに目覚める。2000年から八ヶ岳南麓の北杜市大泉町で、山や高原を歩く人の宿「ロッジ山旅」を経営している。​​​

山と溪谷2021年3月号より転載)

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