小さくて大きい鍋倉山|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第16回は、里の暮らしに寄り添う存在、鍋倉山について。

文・写真=星野秀樹

 

 

ごろっと、おにぎりのような山がある。
濃い森に包まれて、やさしく、柔らかく、のんびりと続く山稜。
小さな山村の背後から、静かに暮らしを見守っている。
まるで昔話や民話の絵本に出てくるような、そんな山。
小さな子供が思い描く山の姿は、きっとこんなカタチだろう。

長野県飯山市と、新潟県妙高市を跨ぐ鍋倉山。信越トレイルで知られる関田山脈の盟主的存在として知られている。いやむしろ最近では、バックカントリースキーのフィールドとしての方が有名かもしれない。標高が低いにも関わらず、良質のパウダースノーが楽しめるのが魅力だ。
地元の小学校では「なべくら学習」という授業があって、学年に別れて鍋倉山周辺を探索する。生活の背後に続く裏山が身近な学習フィールドだなんて、なんとも羨ましい話だと思う。

鍋倉山を覆うのはブナだ。
いや、ブナが山を形作っている、と言うべきか。
たっぷりの雪。新緑と残雪。雨に煙る鬱蒼とした森。錦繍。
雪とブナが絡めばそんな風景が思い浮かぶけれど、鍋倉山の魅力には、そこに「身近さ」が加わる。人の暮らしのすぐ裏に、人の暮らしに寄り添うように、鍋倉山はある。
登山道を離れてたどる、かすなか人の通い路は、すぐにヤブの中に消える。
でもヤブと格闘しながらしばらく行くと、太いブナに囲まれた小沢の脇で、「水源林」と幹に彫られたブナと出会うのだ。
いつごろ、誰が彫ったものだろう。麓の温井の集落の人たちだろうか。
山を、森を、「暮らし」の一部として大切にしてきた痕跡を見つけた気がしてうれしくなる。
「原生林」や「大自然」ではない鍋倉山。「身近さ」、「小ささ」が、この山の魅力である。

 

 

そんな「小さな」鍋倉山のシンボル的存在なのが、樹齢400年を超えると言われる巨木ブナ「森太郎」だ。まるで天に昇る龍のように、白く脈打つ幹が猛々しい。1987年に、国有林伐採計画に反対する有志たちの手によって「発見」されたのだという。
5月の新緑の頃、残雪を踏んでこの巨木を背後の斜面から眺める。
遥か遠く、雪を残す越後の山々が見える。たおやかな山間を流れる千曲川が見える。
そして、足下には、すぐ麓の集落が見下ろせるのだ。
つまりこの森太郎は、いつの頃からか、ずっと麓の暮らしを眺めて生きてきたのに違いない。
もしかしたら、麓からもこの巨木を見上げ、見つめてきた人たちがいたかもしれない。
いやきっと、杣人や狩人、山菜採りといった山人たちは、この木の存在を知っていたに違いない。ここまで登って来て、この幹に触れて、語りかけて、憩って。
鍋倉山の森と人との距離は、そう思えるほど近く感じられる。

いつのころからか山上から、遥か鍋倉山を探すようになった。特徴のない山稜の、かすかなでっぱりでしかない山の山座同定は、なかなかの職人技である。やがて山から下りて帰り道、千曲川縁を走る車上から、ぐっと近くなった鍋倉山を見上げる。ああ、帰って来たなあ、と思う。そうして街を抜けて家のある鍋倉山山麓へと入ると、なんともほっとするのだった。
そんなふうに探して、見つけて、ほっとさせられる存在。そんな山を、「ふるさとの山」なんて呼ぶのかもしれない。

 

 

●次回は6月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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