生誕500年、信玄公が夢の跡――、ほしのや「本堂山」を歩く

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戦国武将の武田信玄が、もし天下統一を果たした際には、本拠地を神奈川県に移して幕府を開こうとしていた、という話があるのをご存じだろうか? その本拠地の候補として、信玄が考えていた場所は、現在の座間市辺りだったのではないかと言われている。その根拠を探しに歩いてみた。

 

武田信玄の新鎌倉幕府構想とは?

2021年は、甲斐の虎こと武田信玄が生まれて500年という節目の年です。武田氏所縁の山と言えば、本拠地である山梨県(甲斐国)の要害山などが有名ですが、実は遠く離れた神奈川県にも、「山」を絡めた足跡が残るのをご存知でしょうか。

信玄公の言動や軍記を今に伝える『甲陽軍鑑』には、「本拠地を甲州から相模国へ移し、『ほしのや』に新鎌倉幕府を築こうとしていた」という話が記されています。武田信玄は源頼朝の遠縁に当たり、信玄の祖先である武田信義は源平合戦にも加わっています。そのため、信玄が「甲斐源氏」という血筋に誇りを持ち、鎌倉の近くに新しい都を構えたいと考えたのは自然なことだったのかもしれません。

ちなみに、武田信義は2022年に放映予定のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場予定です。キャストはコワモテのイメージとは真逆(?)の八嶋智人さんです。

ところで、その「ほしのや」とは相模国のどの辺りを指す地名なのでしょうか?

 

現在の神奈川に「ほしのや」を探せ!

梅雨入り前の6月、筆者が訪れたのは神奈川県中央部の座間市。その名も「座間駅」で小田急線を降り、まずは徒歩10分程度の星谷寺(しょうこくじ)を目指します。そう、「ほしのや」とは、現在で言う座間市入谷に位置する星谷寺一帯のことだったのです。

「ほしのや」の名前の元となった星谷寺


奈良時代に建立され、坂東三十三観音札所の一つとしても名高いこの古刹。境内には垂乳根のイチョウや巨大な宝篋印塔(ほうきょういんとう)がそびえ、カエルが飛び込みたくなるような古井戸も残されています。しかし境内周辺の平坦な地形からは、城を作るほど堅固な守りがあるとは感じられません。

実はこの星谷寺、裏手に位置する本堂山の山頂部に建っていた観音堂を縁起としており、その後、訳あって麓に社寺を造成したものなのだそうです。裏の谷戸のてっぺんにこそ、信玄公が夢見た「ほしのや」の痕跡が残っているのかもしれません。「障りなす迷いの雲を吹き払い 月もろともに拝む星の谷」という巡礼歌を誦じつつ、ハイキングを再開します。

 

時代劇のセットのような三峰坂を歩く

小田急線の踏切を渡ると、お稲荷さんの隣に古そうな庚申塔を見つけました。「右:東京 横濱」と記してある通り明治期になってから作られた道しるべのようですが、「下:あつぎ 大山」という文言からは、かつて大山詣でにも使われた街道であったことが窺えます。

かつての街道の名残りである庚申塔


庚申塔の横から「三峰坂」という古道へ足を進めると、いよいよ山道らしい未舗装路に突入します。ほどなく、まるで時代劇のセットのような光景が目に飛び込んできました。地表から2-3mほど掘り下げられた道路は土がむきだしのままであり、頭上の木々が空を覆っている様は「昼なお暗い」と表現するのがぴったりな雰囲気です。道幅は馬が2頭並んでギリギリ通れるくらいでしょうか。急な坂道になっているため、進行方向の人工物が視界を汚すことはないという点もタイムスリップ感を増すポイントです。

中世の趣が感じられる三峰坂

 

やっぱり山犬がいた三峰神社

数百年前に行き交ったであろう旅人や兵(つわもの)どもの姿を想像しつつ坂を登ると、尾根上に建つ小さな神社に至りました。幟に「三峰神社」と書いてあるとおり、ここは埼玉県秩父市にある三峰神社の分社なのでしょう。

眷属(けんぞく・神様のお使いのこと)である山犬の像こそ見当たりませんでしたが、社殿に狼の絵が祀られているのが印象的でした。山犬には猪鹿・火盗除けの霊験があるとされていたため、地域の人々から篤く信仰を集めたのは想像に難くありません。

三峰神社の眷属は山犬。ちなみに、稲荷神社なら狐。


三峰神社からは、古くに観音堂が建っていたと伝わる本堂山を目指し北上します。現在、この一帯は神奈川県立谷戸山公園の敷地として管理されており、この先はアスファルトもしくは木道状に整備された遊歩道となります。

古道・旧道の趣こそ感じられませんが、シラカシなどの広葉樹が茂り、オオタカやカワセミが棲息する園内は、雑木林や田んぼ、湧水など変化に富んだ自然を楽しめるため、ハイカーを飽きさせることはないでしょう。

 

「ほしのや」の選定理由は信玄の地元愛にあった?

一旦、谷戸に下りて尾根を登り返すと、目的の山頂部は目と鼻の先。現在では「伝説の丘」というどうにも味気のない名称がつけられていますが、以前は本堂山と呼ばれ観音様が祀られていた場所に違いありません。

伝説の丘の様子。そのまま「本堂山」で良かったのではないだろうか・・・?


樹木に遮られ360度の展望を楽しむという訳にはいかないものの、西側には相模川を挟んで箱根や丹沢山塊、大山の勇姿が広がります。往時の信玄がここを新たな世界の中心にしようと画策していたと考えれば、感無量です。

本丸建設予定地(?)から相模川越しの大山を望む


しかし、本当に本堂山は「新鎌倉幕府」を立ち上げるほどの名地だと考えられていたのでしょうか? 確かに尾根や沢が複雑に入り組む「天然の要塞」とも言うべき地形ではありますが、大海や高山を背にした諸国の名城と比肩するほどかどうかは疑問に感じざるを得ません。

ただ、新たな幕府を開く計画が、天下を掌握した後のことだったと考えればどうでしょう。伝統と格式ある鎌倉の近くで「新鎌倉」を立ち上げれば、甲斐源氏の権威に並み居るライバル達も刃向かおうと考えなかったかもしれません。

また、東側には集落に適した台地、西側には農耕に最適な低地が広がっているうえに、河岸段丘沿いのために湧水も豊富です。目の前に広がる相模川は水運という観点から好ましいものですし、ひょっとしたら、その川が武田の本拠地である山梨県を源流にしているということも、信玄にとっては魅力的に映ったのかもしれません。

いざ船を出せば甲州との往来は容易であり、その「地元と繋がっている」という安心感こそ、信玄が「ほしのや」を選定した理由のひとつだったのではないかと想像します。もっとも、戦国最強の武将にセンチメンタルは似合いませんが・・・。

 

ついでに座間市の最高地点について考察してみた

余談ながら、ひょっとして座間市の最高峰は谷戸山公園にあるのではないかと思い資料を探したのですが、座間市のWEBサイトには市内の海抜最高が88.74mだと表記されているだけで、なぜだか位置情報は見当たりません。

Web国土で調べると、座間市の本当の最高地点は海抜97m弱だろう(地理院地図)


一方、筆者が地理院地図(電子国土Web)を使って計測したところ、本堂山自体の標高は80mを少し超えるほどであったものの、同じく園内北東部にある丘の海抜は90mを凌駕しているようです。国土地理院の地形図に誤りがあるとは考えにくいですし、一体全体、どうして座間市では正しいデータを公開されていないのでしょうか? 謎を解くため、実際に最高点だと思われるその「丘」を訪れてみることにしました。

フェンスの隙間から撮影。まさかのピラミッドが座間に出現。


到着してびっくり。鉄柵で囲まれた敷地内に、まるでマヤのピラミッドのような構造物が建っています。よく見ると、フェンスには「WARNING」などと英語で警告文が記載されていました。実はここ、米軍キャンプ座間の管理下にあり一般の立ち入りが制限されているエリア。そうすると、そもそもここが座間市内だと呼べるかも微妙になってしまいますが、標高などの詳細データが手に入らないのは、米軍の関連施設だという理由からだったのでしょう。もともとは標高の高さを生かして旧陸軍士官学校の給水地として使われていたそうですが、おそらく、現在もその役目は変わっていないはずです。

後日、座間市に市内の海抜最高の詳細について問い合わせたところ、88.74mの場所は相模が丘2丁目29番先市道(辰街道)にあると教えていただきました。併せてWEBサイトも更新され、該当ページに位置情報のテキストが追記されました(ご担当者様、素早い対応ありがとうございます!)。

ただし、その測定に関しては「最低・最高地点の測点は市道上に限る」という、“大人の事情”を勘ぐりたくなるような方法をとっています。つまり、座間市が言うところの最高海抜とは、あくまでも市道上に限った標高。やはり、本当の市内最高峰は谷戸山公園にある、という筆者の推測は正しかったと言えるのではないでしょうか。

 

歴史の「if」を肯定する妄想ハイキングのススメ

さて、少し話が逸れましたが、信玄は小田原の北条氏攻めの際、相模川沿いを行軍中に「ほしのや」を眺め、その立地を気に入り、配下の武将に偵察を命じたと伝わっています。戦国最強と謳われた信玄のこと。もし、その後の西上作戦中に病死さえしなければ、必ずや信長包囲網が完成し、織田を討ったことでしょう。

もし、あと1年、いや、半年でも早く西国を目指して侵攻していれば、その後に江戸時代は到来しなかったと考えているのは、きっと筆者だけではないはずです。

もしかしたら谷戸山公園は皇居外苑のような扱いをされていたかも


武田が天下を統一した暁には「ほしのや時代」が誕生し、日本の首都は座間に定まっていたのかもしれません。そうなれば、座間スカイツリーや座間ディズニーランド、座間国際空港などというランドマークが建てられたはずですし、考えてみれば座間市のゆるキャラである「ざまりん」は、いかにも座間五輪にぴったりのネーミングです。

歴史に「if」はないとよく言いますが、このように勝手なイメージを膨らませつつそぞろ歩くのは楽しいものです。登山愛好家の嗜みのひとつとして、たまには息抜きで妄想ハイキングに興じてみるのはいかがでしょうか。標高100m以下で低山とすらもいえない「ほしのや」一帯ですが、木々に囲まれた公園内には涼しい風が吹き抜けていました。

 

プロフィール

川上哲朗

日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、旅程管理主任者。(株)風の旅行社で主にネパールトレッキングの企画・販売を担当。
コロナ禍において山のライター、シラス漁師、鮮魚店の売り子、ポニーのお世話などの副業を始め、あらためて自分の好きなことを仕事にする喜びを感じている。1985年生まれの子育て世代。ペットは深海生物のオオグソクムシ 。

今がいい山、棚からひとつかみ

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