たくさんの “好き”をつなげて 『ネイチャーガイドさくらの上高地フィールドノート』
評者=猪山文章
先日、北アルプス南部の山小屋営業情報を調べていたときのこと。さくらさんが、この春にご本を書かれたことを知った。
ネイチャーガイドさくらこと山部茜さんは、上高地を案内して15年。この地に唯一常駐する民間ガイド「ネイチャーガイド ファイブセンス」のディレクターである。ファイブセンスは五千尺ホテル上高地などを営む株式会社五千尺のネイチャーガイド事業部にあたり、ホテルと同じく河童橋のたもとに事務所を構える。上高地に特化したガイドが好評を博しており、2019年には環境省による「エコツーリズム大賞」の特別賞、20年は優秀賞を受賞。これを機にさくらさんが抱いた「もっと多くの皆様に上高地の魅力を発信し、上高地好きになっていただきたい」との思いから、本書がうまれたという。
私がさくらさんを知ったのは『山と溪谷』2018年5月号、上高地特集の記事がきっかけであった。幸運にも翌年、河童橋を拠点に大正池と明神の間をぐるりとガイドしていただく機会を得た。
上高地を歩くにはやや大きなザックと斜めがけのバッグ、手にはホワイトボード。ちょうど表紙のように、頼もしいお姿であった。手もとに描かれているノートと同じ大きさだろうか。本書はB5判で、1〜2ページ分の大きな写真や地図がありつつ、細かな解説と写真が並ぶページもある。構成はNOTE ONE、TWO、THREEの3章。まず「じっくり歩く」と題し、大正池〜徳沢の各エリアを俯瞰する。さくらさんによるMAPイラストとともに、各地の見どころを丁寧に紹介。続く「花鳥風月を楽しむ」では、代表的な植物や動物などを詳しく解説。季節とあわせ、この地ならではのエピソードも交えて語られる。最後に「上高地の基本」として、地形や人々の歴史、特殊な点などに触れていく。
ページをめくり、さくらさんのガイドを思い出す。登山では足早に通過していた道中にて、これがですね、と繰り出されるお話。へぇ、を連発する私たち。その場で抱いた疑問にも、とても丁寧に答えてくれる。一同すぐに信頼を寄せ、次々と質問を浴びせたものだった。ちなみにガイドは開山中のみで、閉山中は講習会を催し、上高地の自然や歴史などをテーマに知見を伝えている。16年度に始まり、昨年度はオンラインでも開講。本書は、その内容をもとに作られたものでもある。
個々の解説はもとより、私がとりわけ読み返したのは冒頭の文「『上高地好き』になってもらうことを願って」であった。曰く、ガイドの仕事は人と自然を結びつけること。さくらさんがガイド一年生のころ、知識も経験も乏しいなか、できるのはお客様と「好き」を共有することだったという。
「1年目から比べると経験も知識も増えましたが、それ以上に、年間1000人以上のお客様、地域の方々、一緒に働いてきた人たちからもらった『好き』が、蓄えられていったように思います」。あの柔軟かつ芯あるガイドも本書も、上高地で出会った多くの人とのやりとりによって醸されたのだ。また、本書はあくまでガイドの立場からつづった上高地の片鱗であること、人も自然も変わるもので、それが今後の上高地を作っていくことにも言及している。そのまなざしに、あらためて信頼を寄せた。
フィールドノートは野外で活動する人にとって、相棒や分身のようなもの。記した見聞は、誰かに伝えるための道標にもなる。さくらさんの知見、人や自然に対するご自身の関わり方も含め、一冊にしてくれたことをありがたく思う。本書は上高地においてはもちろん、あらゆるフィールドで「好き」を見つけ、共有するための示唆に満ちている。
評者=猪山文章
1983年生まれ。フリーライター。自然関連の書籍や雑誌にて、執筆、編集を行なう。
(山と溪谷2021年8月号より転載)
登る前にも後にも読みたい「山の本」
山に関する新刊の書評を中心に、山好きに聞いたとっておきもご紹介。
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