「12頭のシャチが流氷に閉じ込められた!」…極寒の中での救出、シャチの親子を襲った悲劇とは?

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日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第13回は、海の覇者、シャチについて。

©Uni Yoshikazu,2005


北海道から届いた衝撃の一報

2005年2月7日、国立科学博物館の研究室に連絡が入った。相手は東京農業大学・北海道オホーツクキャンパスの宇仁義和さんだった。

「北海道目梨(めなし)郡羅臼(らうす)町の相泊(あいどまり)地区の沿岸で、シャチ12頭が流氷に閉じ込められて身動きがとれなくなっている」
この一報から壮絶な物語が始まった。

宇仁さんの話によると、知床(しれとこ)半島と国後(くなしり)島の間の海峡にある流氷が、ここ数日の強風で北海道東部の沿岸に一気に押し寄せ、相泊地区の海岸を一晩で埋め尽くしたという。

海岸近くで食堂を営む住民が、朝、聞き慣れない鳴き声に気づいて海へ様子を見に行ったところ、4〜5頭のシャチが、岸近くの浅瀬で流氷に閉じ込められて身動きできずにいるのを発見。氷が血で赤く染まっていることに驚き、役場へ連絡を入れたそうだ。

羅臼町の町役場の担当者が現地へ駆けつけたときには、10頭前後のシャチが流氷に閉じ込められていた。生存しているものも多く、幼いシャチも数頭含まれている。すぐにさまざまな救出法が試されたが、どれも難航した。

シャチが閉じ込められているのは水深の浅いところなので、巡視船は入れない。
漁船で流氷を砕いてシャチの逃げ道を作ろうとしたが、シャチの近くまでは行けず、せっかく作った逃げ道も、寒さですぐにふさがってしまう状況だった。

午後には、流氷に押されるようにシャチの群れがより岸に近づいたため、幼いシャチだけでも人力で岸に引き揚げる作戦が決行された。しかし、子どもでも体重は数百キログラムになるため、重過ぎてこれも断念。そうこうしているうちに、夕方には死亡するシャチが目立ち始めた。日が暮れて救出作戦が中断されたあとも、生き残っているシャチの鳴き声が響いていたという。

翌日の2月8日の朝、流氷の中で生存していたのはメスのシャチ1頭のみで、午後にはこの1頭は流氷から無事に脱出し、沖へ向かって泳いでいった。もともと12頭で構成されていた群れのようで、2頭は7日未明に自力で脱出。残り9頭(子ども3頭を含む)は、流氷の中で息絶えた。

流氷によりシャチの一群が閉じ込められ、そのほとんどが死んでしまった事例は、世界的にも非常に珍しい。さらに当時は、国内の研究者にとって野生のシャチを見る機会や調査する機会はほぼ皆無。なんとしてもこの9頭を解剖調査し、研究のために、より多くの標本を回収する必要があった。

しかし、そうした私たちの思いとは裏腹に、現実はとても厳しい状況だった。このときの羅臼町相泊周辺を含む道東は、強風と豪雪に見舞われていた。シャチの死体が確認された海岸まで続く道は町に1本しかなく、その道は大雪で封鎖され、調査するにしても、まずは大規模な除雪作業が必要なこと、さらに巨大な9頭ものシャチをどうやって運ぶのかが大きな問題だった。

さてどうしたものかと思っていると、あれほどシャチを苦しめた海は、9日にはウソのように穏やかになり、流氷も海岸近くにはほとんど見られなくなった。そこで9頭の死体は、地元のダイバー、磯舟、漁船で回収し、相泊漁港に曳航(えいこう:船で引っ張ること)することになった。そして、2月14日から16日の3日間で9頭のシャチを調査することが決まったのである。

羅臼町は、2005年7月に世界自然遺産に登録された知床地区にある。知床は、雄大な自然、生命に満ちあふれた野生動物たち、さまざまな美味しい食材など、一度は訪れてみたい素晴らしい場所である。

できるなら、知床の沖合で生きたシャチに会ってみたかったし、全頭が無事救出された現場で喜びの歓声を上げたかった。シャチの一部が死んでしまったことは本当に残念だが、その死を無駄にしないためにも、初めてのシャチの調査に身が引き締まる思いだった。世界的にも注目された事例で、その責任の重大さも感じていた。

調査当日、相泊漁港に曳航されたシャチを1頭ずつクレーン車でトラックに載せ、調査場所(峯浜最終処分場)に運んだ。外貌写真や外貌観察はクレーンで吊ったときに行い、調査場所に到着後、すぐに解剖調査に着手した。

死亡してから約1週間経っており、極寒の地とはいえ内臓の腐敗はかなり進行していた。それでも、調査した限りでは内臓に病変は認められなかったため、やはり急激な流氷の接岸に対処できなかったことが死因と結論づけた。
シャチは性的二型を示す鯨類としても知られているが、なかでも1頭のオスは、オスの象徴である2メートル近い立派な背ビレを持っていた。

 

ようこそ、シャチの「お見合いパーティ」へ

シャチは世界的に研究が進んでいる鯨種の一つである。シャチの棲息域によって、一定の海域や海岸に定住する「レジデント型(定住型)」、外洋や沿岸などを定期的に回遊する「トランジェント型(回遊型)」、外洋ばかりにいる「オフショア型(外洋型)」の三つのグループに大別されている。

シャチはビッグママ1頭を中心とした母系社会をつくり、その血縁関係、一つの群れをポッド(pod)と呼ぶ。各ポッドには鳴き声にいわゆる訛(なま)りや方言といった癖があり、その鳴き声は、レジデント型、トランジェント型、オフショア型の三つでも違うことがわかっている。

各ポッドは数頭から十数頭で構成され、交尾の季節になるとそれぞれのポッドが大集結して「スーパーポッド」になる。いわゆる〝お見合いパーティ〞が定期的に開催され、ここで交尾相手を探すこともわかった。これは、母系社会をつくる動物によくある生態で、近親交配を避けるために、他の個体群と出合う必要があるのだ。

また、食性についても、レジデント型は魚食が主で、トランジェント型やオフショア型は哺乳類食が多い。レジデント型のように、一定の海域に定住するのは、そこに豊富な餌が年中あるからである。カナダのバンクーバー沖では、1年を通じてサケが豊富に棲息しているため、レジデント型のシャチはこのサケを主食としている。

一方、トランジェント型やオフショア型は、餌を追い求める生活スタイルを選択したため、魚類よりもアザラシ、アシカやクジラといった哺乳類を狙うほうが、効率よく食事ができる。
つまり、シャチは雑食で何でも食べるのである。こうして世界中の海のどこにでも棲息できることが、海の覇者として君臨できた大きな理由といえる。

羅臼町の沿岸で死亡したシャチの胃に残っていた内容物を調べたところ、主にアザラシ類とイカ類を食べていたことがわかった。つまり、哺乳類食とイカ食である。じつはこの組み合わせはこれまで知られているどのシャチでも確認されたことはなく、これが初めての発見となった。

さらに、1頭のアザラシを群れの仲間同士で分け合っていた痕跡があり、野生動物では珍しい「獲物を分け合う」行動も確認できた。
哺乳類食ということは、トランジェント型やオフショア型に近い可能性があり、この海域で長年シャチの個体識別を続けていた佐藤春子さん(元ホエールウォッチング・インタープリター)のデータからも、今回のシャチの群れはトランジェント型ではないかと考えられた。

つまり、根室海峡にいつもいた群れではなく、どこかからふらっと来たシャチの一群が、運悪く流氷に閉じ込められてしまったようである。3体の子どものシャチの胃からミルクが観察されたことは、胸の奥がチクリと痛む所見だった。

調査が進む中、さまざまなサンプルが回収されたが、私にとって最大の事案は「骨格標本」である。9頭のシャチの骨格を、どの施設がどのように保管するか、ということは最後まで議論された。科博では、大人のオスのシャチの全身骨格を所有していなかったため、ぜひ入手して標本にしたかったが、道内のいくつかの学術機関が骨格標本の確保に名乗りを上げた。その中の一つが知床羅臼ビジターセンターだった。

このとき、すでに知床が数ヵ月後に世界自然遺産になることが、関係者の間では知られていた。知床羅臼ビジターセンターに、このオスのシャチの立派な骨格標本が展示できれば、今後、知床を訪れる多くの人たちに生き物の素晴らしさを伝えられる。

そういうことなら、喜んで「どうぞ! どうぞ!」である。本来は、その生き物が棲息する地元に展示されるのが一番いい。その他の大人のシャチの骨格も、道内の博物館、大学、研究機関がそれぞれ保管し、研究や展示に活用することで話がまとまった。2体の子どものシャチの骨格については、科博で保管することになった。

今でも知床羅臼ビジターセンターには、このときのシャチの骨格が、展示会場の中央で来場者を出迎えている。知床に訪れた際には、ぜひ知床羅臼ビジターセンターへ足を運んでシャチの骨格標本を見ていただきたい。

もう一つ、シャチの愛情にまつわるエピソードを紹介したい。
調査期間中、シャチが流氷に閉じ込められたときの救出劇を見ていた人たちに話を伺ったところ、漁船が流氷を砕いて海面に道ができた際、大人のシャチの一部はその隙間から流氷の外に脱出できたらしい。にもかかわらず、また戻ってきたシャチが数頭いたという。

おそらく、自力で脱出できない子どものシャチの鳴き声を聞き、再び戻って来たのだと考えられる。そう、これがシャチなのだ。見た目はごっついフォルムだが、内面の優しさは底知れず、だからこそ、私はカナダで野生のシャチを見たとき、一瞬でシャチの虜(とりこ)になったのだ。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


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【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

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