自身の登山を振り返る画文集『蝸牛登山画帖』

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評者=高桑信一

蝸牛登山画帖

著:やまとけいこ
発行:山と溪谷社
価格:1430円(税込)

 

 私には著者のやまとけいこさんを「薬師沢小屋のお嬢」と呼んでみたい思いがある。聡明でよく気が付き、活発な印象からだが、当たっているかはわからない。というのも、著者とは薬師沢小屋でなんどか、行きずりのように言葉を交わしたにすぎないからだ。

 その後、沢登りと釣りを楽しむ彼女の小屋暮らしに密着して取材したいと企てたのだが、コロナでぶっ飛んで、いまだ実現の兆しさえ見えない。

 著者が処女作の『黒部源流山小屋暮らし』を上梓したのは2019年である。そのわずか2年後に本書を世に送り出したのは、前作の評判が高かったからだろうと推察している。

 前作は、薬師沢小屋の暮らしと周辺の四季を描いたものだが、本作は一転して、著者の誕生から現在までの、山とかかわる半生の記である。

 タイトルに「蝸牛」を冠したのは、著者の生まれが蝸牛の出やすい6月だったのと、まるで登山者のように、家を丸ごと背負って歩く蝸牛に魅かれたからだという。

 どこを開いても見開きのカラーのイラストが贅沢に挿入されていて、その絵を眺め、本を閉じて余韻に浸り、ふたたび本を開いて文章を追う。本書には、そのような読み方が許されていいように思う。

 章立ては、第一章 始まりの山、第二章 ワンゲルの日々、第三章 一人の山、第四章 源流に大岩魚を求めて、第五章 クライマーに憧れて、第六章 山の暮らし。

 どの文章にも、彼女ならではの瑞々しい感性がある。平明な文体が、読者のこころに、なんの抵抗もなく滑りこんでくるのだ。

 章立てからは見えないが、著者は山だけでなく旅もする。

 ─旅と山と絵は、私に大切なことを教えてくれた。「野に咲く花のように」自らの生命を生きながら世界と関わり合うこと。人と関わり合うこと。私はこの世界に揺れるたくさんの野の花に触れ、生きる強さと悲しさを知ることができた。(第三章 一人の山)

 さらに私の好きな文章の断片がある。

 ─水は川を流れ、海に注ぎ、やがて蒸発して雲になり、再び山に帰ってくる。水とともに暮らしていると、自分が大きな循環のなかに生きていることを実感する。黒部源流の清流と、水に支えられた生命、そのすべてを内包する自然。私自身もまた、この美しい自然の一部であるということに気づかされる。(第六章 山の暮らし)

 しかし著者は数々の山での不運も経験する。西表島で遭難騒ぎを引き起こし、奥秩父の沢で滑落し、あげくの果ては谷川岳の沢で骨折するが、著者は心に傷を負いながらもたくましく復活する。そんな危うい事態に、読者ははらはらしながら読み進めるのだが、それは山を愛する登山者としての共感があるからだ。山を知らない読者には、そこまでして登るのか、と思われるかもしれない。

 さて、本作も前作同様、画文集の体裁である。イラストと文の、どちらがどちらを補完しているのかはわからないが、イラストと文章は、まったく異なる才能を必要とするはずである。その両者を一定以上の水準で仕上げてみせたのは、紛れもなく筆者の力量にほかならない。

 ひとつの精神の海から流れ出た絵と文章が、それぞれの視覚情報として読者の「眼」から入って像を結び、私たちの胸に響くのである。

 してみると著者は、前作と本書によって、旅と山と絵の標榜にとどまらず、文章による知の表現という新たな領域をも獲得したことになる。つまりは旅と山と絵に、文章が加わったのだ。

 

評者=高桑信一

1949年、秋田県男鹿市生まれ。取材カメラマン・ライターとして活動するかたわら、古道や山里の暮らしを取材する。著書に『古道巡礼 山人が越えた径』(ヤマケイ文庫)、『狩猟に生きる男たち・女たち』(つり人社)ほか。 ​​​

山と溪谷2021年9月号より転載)

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