「効率追求」の社会が避けられない大問題とは?――進化生物学者が教えてくれること

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コロニーと呼ばれる集団をつくり階層社会を営む「真社会性生物」の驚きの生態を、進化生物 学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく語った名著『働かないアリに意義がある』がヤマケイ文庫で復刊! 働かないアリが存在するのはなぜなのか? ムシの社会で行われる協力 、裏切り、出し抜き、悲喜こもごも――面白く、味わい深い「ムシの生きざま」を紹介する。

不完全な群体を超えて

複数の個体が集合して暮らすコロニーという群体。

遺伝的に不均質な個体が協力するそのシステムが、個体の適応度を最大化するという進化の法則とあいまって、裏切り、抜け駆け、なんでもありの個と群(むれ)を巡る無限のらせんを描きます。

個が立ちすぎれば群もろとも滅び、他者のために尽くせば裏切り者に出し抜かれる。この無限のらせんから逃れるすべはないのでしょうか。

琉球大学の辻和希(つじ・かずき)博士は、キイロヒメアリというアリで、ワーカーからなる「女王のいない」コロニーに「女王のサナギ」を加えて飼い続けると、サナギからかえった女王はワーカーになる卵を生み、コロニーが充分大きくなると最後には新たな女王が育てられることを発見しています。

この場合、最初の女王はサナギだったわけですから、オスとは交尾していません。「処女懐胎」が起こるのは、この種の未交尾の女王は無性生殖でワーカーや女王をつくれるからと解釈されます。

キイロヒメアリのワーカーは卵巣を失っていることもわかっているので、女王がワーカーと新たな女王になる卵を生んでいることも確実です。

つまり、生まれてくるワーカーも女王ももとの処女王の遺伝的なコピーであり、コロニー内の個体間には遺伝的な不均質性に基づく進化的対立がない、つまり誰の子を残すかを巡って争わなくていいことになります。

このコロニーは、「完全な群体」と呼ぶべきもので、不完全な群体に見られる対立や裏切りが存在しない理想のシステムであると考えられます。対立からくるコロニーの非効率性を排除でき、協力を極限まで高めることが可能だからです。

そんなにすばらしいのなら協同を行うすべての生き物がこのシステムを採用してもよさそうなくらいです。しかし、このシステムはわずか数種類のアリで見つかっているだけで、実際はほとんどの社会性生物が不完全な群体です。

なぜ、完全な群体システムは少数派なのか?

これはまだ解決されていない問題ですが、いくつかの仮説はあります。

一つは、遺伝的に同質な個体の集合は伝染病に対する抵抗性が弱く、コロニーが滅びやすいからという仮説です。特にウィルスは細胞表面の構造を認識して取り付くため、特定の遺伝子型の細胞がウィルスに感染しやすい特徴をもつことになります。

このため、コロニー内に多様な遺伝子型が存在すれば、感染から逃れる個体も多くなりコロニー全体が滅びる危険が減るわけです。

これは、遺伝的にはクローンの子どもを無性生殖でつくったほうが次の世代に残る遺伝子数は多くなるのに、実際には雌雄が受精卵を残す有性生殖の生物が圧倒的に多いのはなぜかという疑問に答える仮説と同じメカニズムです。

もう一つの仮説は、遺伝的に同質な個体からなる完全な群体では、個体間に充分な反応閾値(いきち)の変異をつくりだすことができず、分業がスムーズにいかないためコロニー全体の効率が落ちてしまう、というものです。

反応閾値とは、アリの個体がもつ「仕事への取りかかりやすさ」を指します。反応閾値に違いがあると、様々な仕事が個体のあいだにうまく配分され、スムーズな分業が可能になります。一言でいえば、コロニーの労働効率をあげるためにはコロニー内に遺伝的多様性が必要なのです。

完全な群体がその完全さゆえに集団全体に及ぶ不利さをもっているとすれば、ここでもやはりコロニーレベルの効率と持続性のあいだに綱引きがあり、その兼ね合いでどういう性質が進化してくるかが決まっていることになります。

この観点はヒトの社会にも当然存在しています。

近年、企業は非正規雇用労働者を増やしたり賃金の上昇率を抑えたりすることで労働生産性をあげることに邁進(まいしん)していますが、こうした対処が労働者の生活基盤を悪化させ、それが一因となって社会全体の消費意欲がさがっています。

企業は商品を多く売ることで利益を出し、会社を存続させるのですから、こういう状況が企業の存続に有利なわけはないでしょう。

多国籍企業になったり、労賃の安い海外に工場をつくったり、海外に商品を売ったりして儲ければ、という考え方もありますが、そうすると今度は国内の産業基盤が弱くなり、国が長期的に存続するかどうかが問題になるでしょう。

こうした経済のグローバリズム化がもたらす問題は、国の境界と、いままでその内部に留まっていた企業の境界が同じものではなくなってきたことに起因しています。

アミメアリの利他者が利己的なチーター(利他者の労働にただ乗りする裏切り者)の侵略を受けても存続することができるのは、地域集団内でチーターの移動性が限定されている(集団が構造化されている)からです。

チーターの入ったコロニーは滅びますが、滅んだ後の「空き地」に、利他者だけのコロニーが移住してきて増殖するため、地域集団全体では両者の共存が成立するわけです。

しかし、経済のグローバリズムは地域ごとに分かれていた経済圏を世界に拡大してしまうので、利己的なチーターの局所的な絶滅と利他者の再興で平衡が保たれるような機構が働かなくなります。

土俵が一つになってしまえば、利己者によって食いつぶされればすべてが終了ですし、モノの生産と流通を行わないヘッジファンドなどが企業活動の利益を吸いあげて、一つになった経済圏全体の経済基盤を弱めてしまう動きに対抗できません。

「地産地消」やスローライフが推奨されるのは、経済圏を閉域化し、集団ごとに分かれた構造を保つことでグローバリズムがもたらす弊害に対抗しよう、というアイデアのように思われますが、金銭的利益が「経済適応度」として一義的に重要視され、経済圏が地域や国を超えて広がってしまった現在、問題解決はなかなか困難であるように思われます。

もちろん私は経済の専門家ではありませんが、ヒトの社会をムシの論理で見たときに見えてくることもあるのではないでしょうか。

結局、組織の効率追求と組織自体が存続できる可能性の綱引き、という点ではヒトの社会もムシの社会も同じことです。というより、「群れ」の甘い蜜を一度吸ってしまうと、まことに面倒臭い、「群れか個か」という問題から逃れるすべはないのです。

※本記事は『働かないアリに意義がある』を一部掲載したものです。

 

『働かないアリに意義がある』

今の時代に1番読みたい科学書! 復刊文庫化。アリの驚くべき生態を、進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく、深く、面白く語る。


『働かないアリに意義がある』
著: 長谷川 英祐
発売日:2021年8月30日
価格:935円(税込)

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【著者略歴】
長谷川 英祐(はせがわ・えいすけ)

進化生物学者。北海道大学大学院農学研究員准教授。動物生態学研究室所属。1961年生まれ。
大学時代から社会性昆虫を研究。卒業後、民間企業に5年間勤務したのち、東京都立大学大学院で生態学を学ぶ。
主な研究分野は社会性の進化や、集団を作る動物の行動など。
特に、働かないハタラキアリの研究は大きく注目を集めている。
『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)は20万部超のベストセラーとなった。

働かないアリに意義がある

アリの巣を観察すると、いつも働いているアリがいる一方で、ほとんど働かないアリもいる。 働かないアリが存在するのはなぜなのか? ムシの社会で行われる協力、裏切り、出し抜き、悲喜こもごも――。 コロニーと呼ばれる集団をつくり階層社会を営む「真社会性生物」の驚くべき生態を、 進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく、深く、面白く語る。

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