「近くてよい山」谷川連峰・ 馬蹄形縦走 個性的なピークを結び、重厚な山並みを歩く

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豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。写真家の星野秀樹さんは信越国境の山村に暮らし、山々を訪ね、その魅力を追い続けています。星野さんの著書『国境山脈』(山と溪谷社)から、谷川岳を紹介します

 

七ツ小屋山から谷川岳を経て、遠く苗場山へ続く国境山脈を望む

 

谷川連峰・馬蹄形縦走

白毛門から谷川岳への稜線を一筆書き。
個性的なピークを結び、重厚な山並みを歩く

馬蹄形縦走、とはなんだか不思議な言葉である。馬蹄形、つまりUの字状に連なる山稜をたどる縦走ということだが、山の世界では白毛門から谷川岳までの縦走を指す。正確には白毛門から谷川岳までを「馬蹄形に」縦走する、ということだが、「馬蹄形縦走」という言葉が、どうもこのルートそのものの名称になっているらしい。谷川岳を「近くてよい山」と呼んだのは、穂高や谷川岳で活躍した登山家・大島亮吉だが、彼の言葉どおりに谷川岳はもちろんのこと、この「馬蹄形縦走」も長く登山者に親しまれてきたのに違いない。山稜の地形そのものが、縦走コースの名称として使われるようになった珍しい例なのではないだろうか。

馬蹄形縦走は、谷川連峰の縦走路の中でも特に人気が高い。それは馬蹄形のなせる業、入下山口を一つにそろえられることが大きな理由だろう。ロープウェイを利用することも可能だし、ルート中には2軒の営業小屋もある。最近はトレランばやりで、ワンデイで駆け巡るランナーも多いようだ。

と言ったものの、土合から白毛門への登りはいつもつらい。正直言って間近にそびえる谷川岳を見ると、早々に縦走を諦めたくなる。そう、馬蹄形縦走前半のつらさは、歩くにつれてゴールが遠のいて行くところにある。

それでもいつものように荒々しい一ノ倉沢の姿に後押しされて、なんとか白毛門へ這い上がる。いわばここが縦走のスタート地点。気を取り直して、これからたどる山稜を眺めてみよう。

まずは眼前の笠ヶ岳、そして朝日岳へ。白毛門の急登にやられた後なので、意外とこの間がつらい。そして朝日岳から眺める谷川岳の遠さよ。いや、歩けば歩くほど遠のくゴールの切なさよ。

しかし、のびやかに続く山稜は心地よい。ほどなく巻機山から連なる稜線とのジャンクションピークに着く。ここからが文字どおり国境稜線。群馬と新潟の県境だ。はるか彼方になってしまった谷川岳はこの際無視して、清水峠への下りにかかる。でも足元から続く稜線は弧を描き、大きくうねりながら、確実に谷川岳へと延びていくのだ。

避難小屋の立つ清水峠まで下ってほっと一息。この辺りが馬蹄の描く弧の頂点部分だろうか。だとすればもうゴールが遠のくことはない。一歩ごとに谷川岳が近づくのを実感できるはずだ。

怪峰・大源太山を眺めつつ七ツ小屋山を越える。そうして笹原の登山道をたどって蓬峠へと下り、小さな池塘のある峠の一角にテントを張った。

蓬ヒュッテの脇にテントを張って、大山脈の夕暮れを過ごす

こうして一日中山を歩いて過ごす夕暮れ時が好きだ。秋の太陽は徐々に傾き、なだらかな苗場山の向こうに沈んでいく。それと入れ替わるように月が、今日越えて来た朝日岳の山上に姿を見せた。この馬蹄形山稜を取り囲む山々が、今日最後の光を受けて陰影を際立たせ、やがて闇に沈んでいった。

翌日も歩く。霜の降りた登山道は、やがて来る厳しい冬の到来を予感させる。しかし、白毛門付近から登った朝日が、温もりとともに、山を巡り歩く楽しさを実感させてくれた。縦走路が光の道となって、登山者を導いていく。

険しい武能岳を越えて、どっしりと大きな茂倉岳に立った。見渡せば、文字どおりに馬蹄形となった稜線が、湯檜曽川を取り囲むように延びている。朝の霞の中に、昨日苦労して登った白毛門が浮かんでいる。

茂倉岳から平易な稜線歩きで一ノ倉岳を越えると、いよいよ残すは谷川岳だ。はるか足元に雪崩と水流で磨かれた一ノ倉沢の白いスラブを見下ろしつつ、オキの耳をめざす。なんだか不思議な感じだが、スタート地点の白毛門が、ずいぶん近くなってきた。どうやらぐるりと巡ってきた馬蹄形の稜線歩きも、まもなく終わりが近いようだ。オキの耳を越えてトマの耳に立つと、いよいよ下山だ。ロープウェイも利用できるが、やはり自分の足で完結できる西黒尾根が、このコースの下山路にはふさわしい。国境山脈の重厚な山並みをたどり、アップダウンを繰り返して、出発点近くのゴールにたどり着く。この馬蹄形縦走が、「近くてよい山」にふさわしい縦走ルートだと実感せずにはいられなかった。

オキの耳から望むトマの耳。山上では多くの登山者が「近くてよい山」を堪能していた

 

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星野秀樹
1968年福島県生まれ。同志社山岳同好会OB。ヒマラヤ、天山山脈などで高所登山を経験した後、北信州飯山の豪雪の山村を拠点に、剱岳や黒部源流域、上越・信越の山々、北米のウィルダネスなどを撮影。最近は山岳地帯や里山に生きる先人たちにも惹かれ、その言葉に出会う旅も続けている。著書に『雪山放浪記』『剱人』『ヤマケイアルペンガイド 北アルプス 剱・立山連峰』(いずれも山と溪谷社)がある。

 

美しく気高い国境山脈へ

群馬と新潟、新潟と長野の境をなす山稜は、日本有数の豪雪地帯であり、ブナ帯文化の世界でもある。その多くは人の暮らしから隔絶された孤峰ではなく、人の暮らしとともにある里山だ。そんな山々の麓に、僕は今暮らしている。ブナと雪、それに日本海側の風土に惹かれて、新潟と長野の県境、信越トレイルが通る関田山脈の麓に移住したのだ。家のすぐ裏から始まるブナ林と、例年4m前後に達する積雪は、けっして美しいばかりではなく、厳しい自然の現実をも思い知らせてくれる。ここでは、暮らしの中にいても山を漂っているかのような感覚になる。

この里から眺める風景は、雪とブナの稜線だ。背後には関田山脈、千曲川の流れの向こうには越後三山や巻機山など魚沼の山々が。正面には秋山郷の奥にそびえる苗場山、鳥甲山、さらに尾根を少し登れば妙高山や黒姫山などの北信五岳を望む。いずれも新潟、群馬、それに長野の県境周辺の山々だ。そこは、好んでこの地に暮らす僕にとって、まさに愛すべき裏山とでも呼ぶべき場所である。

この上越、信越の県境山稜は、残念ながら北アルプスのように万人を惹きつける山容をしているわけではない。南アルプスのような重厚なスケールの山々とも違うし、八ヶ岳のように利便性に優れた山でもない。でもこの山々は、ブナと雪が育む多様性にあふれ、沢登りや豪雪の雪山登山など日本的登山の醍醐味を味わわせてくれる。かつてはマタギが闊歩した領域は、いまなお豊富な山菜やきのこがあふれる宝の山だし、おいしい米や酒を里の暮らしにもたらす恵みの山でもある。

また、暮らしに欠かせない里山という一面がある一方で、その背後にはいまだ登山道すらない深い山並みが続いている。どこかしらあたたかい雪国の風土と得体の知れない自然の深みとが同居しているのも、この山域の大きな魅力のひとつだろう。

この県境付近に連なる山々を具体的に挙げると、群馬、新潟県境の平ヶ岳から越後三山、巻機山、谷川連峰、白砂山。さらに新潟、長野県境の苗場山塊から関田山脈、北信五岳、頸城山塊、海谷山塊などである。これらをすべて「僕の裏山」などと言うのはえらく独りよがりで乱暴だけれども、自分の暮らしの足元から始まる連なりが、大きな山塊となって構成されている世界を見ると、やはり「愛すべき裏山」とでも言いたくなってしまうのだ。

もちろん、ひとつながりの山脈ではないから、これらの山々を一言で表わす言葉はない。一般的には「上信越の山」と言われているが、「上信」(群馬、長野県境)に属する浅間山や妙義エリアなどは、雪国風土に根ざした他の山とは性格が異なるので僕の山行リストには入れていない。ちっぽけな日本という島国の、雪国という特異な地方。この風土に根ざした山脈を、あえて国境山脈と呼んでみたい。上越・信越国境山脈。美しく、気高い日本の里山を巡り歩きたいというのが僕の想いだ。

※本記事は『国境山脈』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

国境山脈

豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。 長野・群馬・新潟の県境周辺は百名山級の有名山岳だけでなく、 知る人ぞ知る隠れた名山も多く、古くから登山者に愛されてきました。

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