【黒姫山】山麓に豊かな水をもたらす、伝説の山上湖を訪ねる

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豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。写真家の星野秀樹さんは信越国境の山村に暮らし、山々を訪ね、その魅力を追い続けています。星野さんの著書『国境山脈』(山と溪谷社)から、黒姫山を紹介します

 

春の高妻山から望む黒姫山。台形状のピークは御巣鷹山で、頂稜右側を形成する外輪山の一角が頂上

 

黒姫山

山麓に豊かな水をもたらす、
伝説の山上湖を訪ねる

武田信玄と上杉謙信が北信州の国をめぐって争いを始めた、そんなころ。信州中野の城主に、黒姫という美しい娘があった。あるとき、その黒姫に一目惚れした志賀高原・大沼池の黒龍が黒姫との結婚を申し込むものの、黒姫の父・政盛は「人間ではないものに娘はやれない」と断る。諦めきれずに黒姫のもとへ通い続ける黒龍を、政盛は試すとみせかけて罠にかけてしまう。傷つけられ、腹を立てた黒龍は恐ろしい本性を現わし、大嵐を起こして中野の城下を襲う。父への怒りと、嵐による水害に苦しむ城下の民への思いから、黒姫は黒龍と生きることを決心する。そうして二人は妙高山と戸隠山とに挟まれた北信の山へと移り住み、山上の池で暮らし始めた。人々はその山を、黒姫山と呼ぶようになった。

この物語は、「黒姫伝説」として知られている。ほかにも、蛇身と結ばれることに苦しむ黒姫が自害するものや、水害に苦しむ民を救うために黒姫が龍蛇を退治する話、さらには黒姫自身が大蛇になってしまうものなど、さまざまな内容の物語が伝わる。それは、それだけ人々が、この黒姫山に思いをはせてきたということの表われか。脈々と続いてきた黒姫山と共にある里の暮らし。数多くの伝説が生まれたのは、人と山との密接な関係があったからなのだと思う。

凛と冷えた朝の森。淡い新緑の木々を仰ぎながら登山道を行く。湖畔の木々を水面に映す古池まで来ると、ミツガシワの大群落の向こうに、稜線に雪を残す高妻山が現われた。

伝説の山、黒姫山。信州の北の果てに、お椀を伏せたようにそびえる姿は、信濃富士の異名をもつ。妙高山、斑尾山、飯縄山、戸隠山と合わせて北信五岳の一つにも数えられている。まるで子どもが描く山のようなその山体は、木々に覆われて、全体が大きな森のよう。コニーデ式火山の頂上は、中央部の御巣鷹山(小黒姫)よりもわずかに高い外輪山の一角にある。

数年前まで神奈川県に暮らしていた自分にとって、この黒姫山はずいぶんと遠い存在だった。周辺の妙高山や火打山、高妻山など、有名な百名山などと同様に、気になっていたものの、なかなか訪れる機会がない山だった。しかし北信州・飯山に引っ越してきてからは、その遠い存在こそが身近になり、眺めたり、思いついては登りに出かけたり、いわば「ちょっと遠くの裏山」とでも呼ぶべき存在になったのだった。

サワグルミの木を縫って流れる小沢を渡ると、森に続く登山道の傾斜がきつくなった。黒姫山を麓から見上げたときの、あのどっかりとした大きな山容を思い出し、これから始まる急登に早くもうんざりする。しかし、そんな思いとは裏腹に、新緑のブナ林の心地よさに酔いしれる。自然と力が湧いてくるような気持ちになるのは、春という生命を感じさせる季節だからだろうか。

シナノキのある小広場を過ぎると、黒姫山外輪山へ続く急登がいよいよ厳しさを増す。木々に囲まれて展望はないものの、登るにつれて辺りは明るさを増し、やがて広がる大パノラマに期待が膨らむ。息を切らせながら外輪山へと這い上がると、足元から大きく展望が広がった。

黒姫山から望む槍・穂高連峰。空気の澄んだ秋には八ヶ岳や、遠く富士山を望むこともできる

残雪の高妻山、焼山、火打山。ごつごつとした塊は戸隠山だ。その背後には北アルプス。槍・穂高から後立山、よく見れば五竜岳と唐松岳の間から剱岳が顔を見せている。今日は春霞で見えないけれど、晩秋に登ったときには、飯縄山の背後に富士山と八ヶ岳も姿を見せていた。そして霞の中にうっすらと見える中野の街と志賀の山々。黒姫と黒龍の故郷が遠く霞んでいた。

頂上へは笹原に続く明るい登山道をたどる。小さなアップダウンはあるものの、これだけの展望に取り囲まれればなにも言うことはない。ほどなく岩の上に祠のある黒姫山頂上に着いた。ゴロゴロとした岩の雰囲気は、やはりここが火山の一角だと思わせる。梢を透かして見るとさらに大きな火山、妙高山がそそり立っていた。

頂上を後にして外輪山をたどる。足元には野尻湖や、たっぷりと水を貯えた田んぼを望む。一面の水田は、まるで大きな湖のよう。そういえば黒姫伝説には雨乞いの話も伝えられている。里からせり上がる黒姫山。黒姫は田畑を潤し、里人は朝に夕に、その姿を仰いできたのだろう。

やがて外輪山の稜線は針葉樹に取り囲まれ、展望が失われる。木の根が伝う尾根道は薄暗く、先ほどまでの開放的な雰囲気とはずいぶん違う。むしろ、黒姫、という名にふさわしい森。そうしてコメツガの木々を縫うように下って行くと、黒姫乗越に出た。ここで小泉山道と別れて火口へ、今も黒姫と黒龍が暮らすと言われている山上の池をめざして下り始めた。

外輪山の内側は雪解けが遅いのか、急に残雪が多くなった。ルートが判然としない森を、かすかな踏み跡を探しつつたどっていく。鬱蒼と茂るオオシラビソ。黒姫と黒龍が、今にも大木の陰から姿を現わしそうな、そんな森。針葉樹と残雪に阻まれたここは、あたかも伝説の世界との結界のようだ。いつしか傾斜の落ちた残雪の森を、僕は漂うように歩いていった。

遠くの明るい光に誘われるように行くと、やがて開けた笹原に出た。点在する池。ここが山上の池、七ツ池と峰ノ大池だ。伝説の主人公たちはここに遊び、暮らすという。そんな伝説の山を、今日もこれからも、里人は見上げて暮らしていくことだろう。

晩秋の峰ノ大池。「黒姫伝説」の主人公、黒姫と黒龍がこの「山上の池」で暮らしていると言われている

 

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星野秀樹
1968年福島県生まれ。同志社山岳同好会OB。ヒマラヤ、天山山脈などで高所登山を経験した後、北信州飯山の豪雪の山村を拠点に、剱岳や黒部源流域、上越・信越の山々、北米のウィルダネスなどを撮影。最近は山岳地帯や里山に生きる先人たちにも惹かれ、その言葉に出会う旅も続けている。著書に『雪山放浪記』『剱人』『ヤマケイアルペンガイド 北アルプス 剱・立山連峰』(いずれも山と溪谷社)がある。

 

美しく気高い国境山脈へ

群馬と新潟、新潟と長野の境をなす山稜は、日本有数の豪雪地帯であり、ブナ帯文化の世界でもある。その多くは人の暮らしから隔絶された孤峰ではなく、人の暮らしとともにある里山だ。そんな山々の麓に、僕は今暮らしている。ブナと雪、それに日本海側の風土に惹かれて、新潟と長野の県境、信越トレイルが通る関田山脈の麓に移住したのだ。家のすぐ裏から始まるブナ林と、例年4m前後に達する積雪は、けっして美しいばかりではなく、厳しい自然の現実をも思い知らせてくれる。ここでは、暮らしの中にいても山を漂っているかのような感覚になる。

この里から眺める風景は、雪とブナの稜線だ。背後には関田山脈、千曲川の流れの向こうには越後三山や巻機山など魚沼の山々が。正面には秋山郷の奥にそびえる苗場山、鳥甲山、さらに尾根を少し登れば妙高山や黒姫山などの北信五岳を望む。いずれも新潟、群馬、それに長野の県境周辺の山々だ。そこは、好んでこの地に暮らす僕にとって、まさに愛すべき裏山とでも呼ぶべき場所である。

この上越、信越の県境山稜は、残念ながら北アルプスのように万人を惹きつける山容をしているわけではない。南アルプスのような重厚なスケールの山々とも違うし、八ヶ岳のように利便性に優れた山でもない。でもこの山々は、ブナと雪が育む多様性にあふれ、沢登りや豪雪の雪山登山など日本的登山の醍醐味を味わわせてくれる。かつてはマタギが闊歩した領域は、いまなお豊富な山菜やきのこがあふれる宝の山だし、おいしい米や酒を里の暮らしにもたらす恵みの山でもある。

また、暮らしに欠かせない里山という一面がある一方で、その背後にはいまだ登山道すらない深い山並みが続いている。どこかしらあたたかい雪国の風土と得体の知れない自然の深みとが同居しているのも、この山域の大きな魅力のひとつだろう。

この県境付近に連なる山々を具体的に挙げると、群馬、新潟県境の平ヶ岳から越後三山、巻機山、谷川連峰、白砂山。さらに新潟、長野県境の苗場山塊から関田山脈、北信五岳、頸城山塊、海谷山塊などである。これらをすべて「僕の裏山」などと言うのはえらく独りよがりで乱暴だけれども、自分の暮らしの足元から始まる連なりが、大きな山塊となって構成されている世界を見ると、やはり「愛すべき裏山」とでも言いたくなってしまうのだ。

もちろん、ひとつながりの山脈ではないから、これらの山々を一言で表わす言葉はない。一般的には「上信越の山」と言われているが、「上信」(群馬、長野県境)に属する浅間山や妙義エリアなどは、雪国風土に根ざした他の山とは性格が異なるので僕の山行リストには入れていない。ちっぽけな日本という島国の、雪国という特異な地方。この風土に根ざした山脈を、あえて国境山脈と呼んでみたい。上越・信越国境山脈。美しく、気高い日本の里山を巡り歩きたいというのが僕の想いだ。

※本記事は『国境山脈』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

国境山脈

豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。 長野・群馬・新潟の県境周辺は百名山級の有名山岳だけでなく、 知る人ぞ知る隠れた名山も多く、古くから登山者に愛されてきました。

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