陽光に輝く残雪を踏んで越後三山の最高峰へ

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豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。写真家の星野秀樹さんは信越国境の山村に暮らし、山々を訪ね、その魅力を追い続けています。星野さんの著書『国境山脈』(山と溪谷社)から、越後三山の中ノ岳を紹介します。

 

兎岳を越えるとぐっと残雪が増えた。中ノ岳と、その背後にそびえる越後駒ヶ岳を望む

 

飯山市の外れにある仕事場の窓を開けると、今日もまた魚沼の山並みが見える。巻機山から中ノ岳へ連なる稜線だ。左手から延びる関田山脈の陰になって八海山と越後駒ヶ岳は見えないけれど、それでも個性的な越後三山の存在を感じることができる。

巻機山や中ノ岳をこうして里から眺めると、人の暮らしの延長にある山だと感じる。でもあの峰々にはもうひとつの顔がある。向こう側、つまり奥利根や奥只見を望む、別の顔。得体の知れない山の深みと、人の暮らしとの境界線が、あの山脈にはあるのだ。

三国川ダムの奥にある、十字峡登山センターの脇に車を停めた。歩き始めた林道は、新緑、というよりも緑が洪水のように溢れ、すでに初夏の色が濃い。ここにはこれっぽっちも雪の気配はないけれど、向かう先は豪雪の山なのだと途中で思い返し、あわててアイゼンとピッケルを取りに車に戻った。

越後三山の、その名のとおり真ん中に位置する中ノ岳は標高2085m、この山塊の最高峰だ。かつては銀山とか御月山などと呼ばれたが、奥まった位置にあり、目立たない存在だったためか、無愛想な名前で呼ばれるようになってしまった。しかし、大きくピラミダルな山容は威風堂々として、ほかの二山を従えるようにそびえている。

丹後山の先にある大水上山までは、利根川源流域では珍しく整備された縦走路をたどる。道がないゆえに魅力的な無限の広がりをもつ「向こう側」は、いつの日にか雪をつないで彷徨ってみたい、なんて想いを抱かせる領域だ。そんなことを考えながら、僕は三国川に沿う林道をたどって行った。

雪と緑が山腹でせめぎあう、春の風景

登山口からはいきなり急登だ。ブナの緑に誘われるように登りだしたものの、すぐに汗まみれになる。しかしどうだろう、魚沼の町からさほど遠くない所なのに、すでに深山に飲み込まれてしまったかのようじゃないか。

やがて顕著な尾根歩きとなり、二合目に着いた。ヤブの梢の向こうには、いよいよ中ノ岳が大きい。沢筋に残雪を見せるものの、ピッケルもアイゼンも取り越し苦労だったようだ。ルートはひたすら尾根を行く。出だしほどの傾斜はないものの、丹後山に向けてせり上がるように尾根は続く。登るに従い、季節を逆行するかのように淡い色合いを見せ始めたブナの木々。林床にはカタクリやイワウチワが春の訪れを告げていた。右には銅倉沢源頭稜線のネコブ山や下津川山、左手にはめざす中ノ岳。どの山も決して目を見張るような山容をしているわけじゃないのに、堂々とした存在感のせいだろうか、不思議なほどに個性的に感じる。

背後の巻機山に押されるように、開放感のある尾根を登り切ると、やっと主稜線に出た。丹後山頂上の脇に立つ避難小屋はすぐそこだが、時間も早く、残雪の上にテントを張ろうと思い立ち、たおやかな稜線をたどり始めた。

さすが豪雪の山だ。ここまで来ると雪が多い。特に東側斜面、つまり「向こう側」は、まるで残雪期みたい。この山稜のもつ「もうひとつの顔」を垣間見たような気がしてうれしくなる。と同時に、今そこへ踏み込めない寂しさをも感じた。その「向こう側」へ続く稜線が、大水上山で分岐する。平ヶ岳を経て尾瀬に至る利根川源流域を巡る山稜だ。これぞまさしく国境山脈だが、ここをたどるのは後日の楽しみにとっておこう。さらに兎岳からは、荒沢岳に続く稜線を見送る。山が、尾根が、谷が、圧倒的な深さと奥行きで入り組み、ひしめき合っている。

一方、足元の三国川沿いに広がる魚沼の集落では、田んぼに水が引かれ始めているようで、水田が空の輝きを映してきらめいている。山が蓄えこんだ大量の雪が、「こちら側」の暮らしへと流れ込んでいるのだ。

結局この日は小兎岳の先にテントを張った。見果てぬ山に酔ったのか、いつものように酒を飲み切ることなく、昼間に見た山々を思い描きながら、早々に寝袋に潜ってしまった。

ぼやっとした朝日が差す中、中ノ岳へ向けて最後の登りにかかる

翌日はぼんやりした日の出で明けた。中ノ岳への登りでは、急斜面と堅雪に阻まれて、ここまで後生大事に持ち歩いたアイゼンのお世話になった。一歩一歩アイゼンが奏でる音は、厳冬のころのそれと違って、雪の優しさや温かさを感じさせる。もちろんそれは自然が放つ思いやりなんかではなく、僕自身が満ち足りた、優しい気分で雪尾根をたどって行ったからにほかならない。人の暮らしと深淵な自然との狭間で、僕は山に酔っていた。

 

『国境山脈』

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星野秀樹
1968年福島県生まれ。同志社山岳同好会OB。ヒマラヤ、天山山脈などで高所登山を経験した後、北信州飯山の豪雪の山村を拠点に、剱岳や黒部源流域、上越・信越の山々、北米のウィルダネスなどを撮影。最近は山岳地帯や里山に生きる先人たちにも惹かれ、その言葉に出会う旅も続けている。著書に『雪山放浪記』『剱人』『ヤマケイアルペンガイド 北アルプス 剱・立山連峰』(いずれも山と溪谷社)がある。

 

美しく気高い国境山脈へ

群馬と新潟、新潟と長野の境をなす山稜は、日本有数の豪雪地帯であり、ブナ帯文化の世界でもある。その多くは人の暮らしから隔絶された孤峰ではなく、人の暮らしとともにある里山だ。そんな山々の麓に、僕は今暮らしている。ブナと雪、それに日本海側の風土に惹かれて、新潟と長野の県境、信越トレイルが通る関田山脈の麓に移住したのだ。家のすぐ裏から始まるブナ林と、例年4m前後に達する積雪は、けっして美しいばかりではなく、厳しい自然の現実をも思い知らせてくれる。ここでは、暮らしの中にいても山を漂っているかのような感覚になる。

この里から眺める風景は、雪とブナの稜線だ。背後には関田山脈、千曲川の流れの向こうには越後三山や巻機山など魚沼の山々が。正面には秋山郷の奥にそびえる苗場山、鳥甲山、さらに尾根を少し登れば妙高山や黒姫山などの北信五岳を望む。いずれも新潟、群馬、それに長野の県境周辺の山々だ。そこは、好んでこの地に暮らす僕にとって、まさに愛すべき裏山とでも呼ぶべき場所である。

この上越、信越の県境山稜は、残念ながら北アルプスのように万人を惹きつける山容をしているわけではない。南アルプスのような重厚なスケールの山々とも違うし、八ヶ岳のように利便性に優れた山でもない。でもこの山々は、ブナと雪が育む多様性にあふれ、沢登りや豪雪の雪山登山など日本的登山の醍醐味を味わわせてくれる。かつてはマタギが闊歩した領域は、いまなお豊富な山菜やきのこがあふれる宝の山だし、おいしい米や酒を里の暮らしにもたらす恵みの山でもある。

また、暮らしに欠かせない里山という一面がある一方で、その背後にはいまだ登山道すらない深い山並みが続いている。どこかしらあたたかい雪国の風土と得体の知れない自然の深みとが同居しているのも、この山域の大きな魅力のひとつだろう。

この県境付近に連なる山々を具体的に挙げると、群馬、新潟県境の平ヶ岳から越後三山、巻機山、谷川連峰、白砂山。さらに新潟、長野県境の苗場山塊から関田山脈、北信五岳、頸城山塊、海谷山塊などである。これらをすべて「僕の裏山」などと言うのはえらく独りよがりで乱暴だけれども、自分の暮らしの足元から始まる連なりが、大きな山塊となって構成されている世界を見ると、やはり「愛すべき裏山」とでも言いたくなってしまうのだ。

もちろん、ひとつながりの山脈ではないから、これらの山々を一言で表わす言葉はない。一般的には「上信越の山」と言われているが、「上信」(群馬、長野県境)に属する浅間山や妙義エリアなどは、雪国風土に根ざした他の山とは性格が異なるので僕の山行リストには入れていない。ちっぽけな日本という島国の、雪国という特異な地方。この風土に根ざした山脈を、あえて国境山脈と呼んでみたい。上越・信越国境山脈。美しく、気高い日本の里山を巡り歩きたいというのが僕の想いだ。

※本記事は『国境山脈』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

国境山脈

豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。 長野・群馬・新潟の県境周辺は百名山級の有名山岳だけでなく、 知る人ぞ知る隠れた名山も多く、古くから登山者に愛されてきました。

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