60億人の食糧を支えるスゴい土「チェルノーゼム」がウクライナに集中する3つの理由

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

河合隼雄学芸賞受賞・異色の土研究者が、土と人類の驚異の歴史を語った『大地の五億年』(藤井一至著)。土の中に隠された多くの謎をスコップ片手に掘り起こし、土と生き物たちの歩みを追った壮大なドキュメンタリーであり、故池内紀氏も絶賛した名著がオールカラーになって文庫化されました。

「土は生命のゆりかごだ!快刀乱麻、縦横無尽、天真爛漫の「土物語」」仲野徹氏(大阪大学名誉教授)。「この星の、誰も知らない5億年前を知っている土を掘り起こした一冊。その変化と多様性にきっと驚く」中江有里氏(女優・作家・歌手)。

著者の藤井一至氏が、ウクライナの「奇跡の土」について語ります(本記事は書きおろしです)。

 

 

氷河と風が運んだ土

現在、戦禍の最中にあるウクライナには、世界で最も肥沃な土「チェルノーゼム」が分布しています。「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの小麦の大産地であり、世界の食糧庫としての役割を担っています。ウクライナの小麦生産量(年間2500万トン)は約1億人分の食料に相当し、戦争によって輸出ができず、主な輸出先である中東・アフリカの食料不足・価格高騰を招いています。

なぜ、ウクライナの土は、ほかの地域よりも肥沃なのでしょうか。それには3つの理由があります。

1つ目は、地球の歴史が関わります。今から数百万年前の氷河期、北欧は雪に覆われ、その雪は夏でも溶けることなく固結して氷河となりました。今でも北極や南極、アルプスに見ることができます。

厚さ3キロメートルもの氷河が発達し「氷の河」のように流れることで、地面が削られました。また、地球上の水が氷河に集まることで地球全体が乾燥し、植物による地面の被覆が少なくなります。すると、細かな肥沃な土が風に飛ばされます。北欧で削られた土は、風に乗ってはるばるウクライナを中心として東欧に堆積しました。

チェルノーゼム地帯は、氷河期に北欧から肥沃な土を受け取ることのできた地域に多く分布します。今から1万年前、地球が温暖になると草原が繁茂し、さらに肥沃な黒い土へと発達しました。

 

ウクライナ民話『てぶくろ』の森

2つ目は気候です。ウクライナの首都(キーウ)の年降水量(約650ミリメートル)は、日本の降水量(約1700ミリメートル/年)の半分以下で、半乾燥地と呼ばれます。ただし、年平均気温は12℃。日本でいえば、仙台と同じくらいです。

雨の多い日本では森林になりやすいですが、雨の少ない東欧から中央アジアでは草原の広がるステップ、あるいは森林と草原がパッチ状に分布する森林ステップと呼ばれる景観になります。ウクライナ民話『てぶくろ』の舞台は、キーウ周辺の森林ステップの景観です。ウクライナ西部よりも乾燥する東部は、草原の広がるステップになります。

雨が多いと土は酸性に傾き、雨が少ないと土は中性~アルカリ性になります。酸性の土よりも、中性の土で作物はよく育ちます。ウクライナのチェルノーゼムは、作物の栽培にとってちょうどよく、表土は中性です。

 

ナチスドイツも困らせた春のぬかるみ

ウクライナには、「夏、バケツ1杯の水がスプーン1杯の泥になる。冬、スプーン1杯の水がバケツ1杯の泥になる」(「夏は多く雨が降ってもすぐに土が乾き、冬は少しの雨でもぬかるみになりやすい」という意味)ということわざがあります。降水量は夏に増加するものの、植物による蒸散や蒸発が活発化するため、夏の土はむしろ乾燥します。

一方、雪に覆われた冬が過ぎると雪解け水で土はドロドロにぬかるみます。第二次世界大戦(独ソ戦)では、ソ連に侵攻したナチスドイツ軍は冬の寒さに加え、チェルノーゼムの春のぬかるみに悩まされ、停滞を余儀なくされました。

冬将軍に加えて「泥将軍」によって、戦局は泥沼化したのです。今回のロシアの侵攻が雪解け前だったこと、侵攻経路が舗装された幹線道路に限られたことにも土が関わっています。

チェルノーゼムの成り立ちに話を戻すと、梅雨から夏にかけて食べ物が腐りやすいように、微生物の有機物を分解する微生物の活動は、蒸し暑い環境で活発化します。ところが、ウクライナでは、高温の夏に土が乾燥することで微生物の活動が低下します。冬の間、雪に覆われた土は湿潤ですが、寒くて元気が出ません。

草原は毎年多くの根を生産し、枯死根を土にもたらしますが、微生物の分解はゆっくりです。結果として栄養分が土に貯蓄されていくのです。これがチェルノーゼムに多くの腐植(有機物)が蓄積する理由です。高温湿潤な熱帯雨林で有機物が急速に分解され、蓄積しにくいのとは大違いです。

 

土を耕す生き物たち

3つ目の要因が、生物です。カルシウムの多い半乾燥地の土では、ミミズの活動も活発になります。ミミズが植物遺体と土をまるごと食べてフンをすることで腐植と粘土との団結力が高まり、ころころっとした団子(団粒)となります。

これによって、土はフカフカになり、通気性、排水性にも優れた土となるのです。さらにジリスやモグラが巣穴を土の中に掘ることによっても土が耕されます。土壌動物が深くまで土を耕す1万年の営みがフカフカした黒い土を作りました。

氷河期の風に運ばれた細かな土、草原の根、夏に乾く気候、ミミズやジリス、モグラという多くの条件がそろった場所でチェルノーゼムが生まれました。
チェルノーゼムとは、奇跡の産物だったのです。

 

『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』

河合隼雄賞受賞・異色の土研究者が語る土と人類の驚異の歴史。 土に残された多くの謎を掘り起こし、土と生き物の歩みを追った5億年のドキュメンタリー。


『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』
著:藤井 一至
価格:1210円(税込)​

amazonで購入


【著者略歴】

藤井一至(ふじい・かずみち)

土の研究者。1981年富山県生まれ。 2009年京都大学農学研究科博士課程修了。京都大学博士研究員、 日本学術振興会特別研究員を経て、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。 専門は土壌学、生態学。 インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、さらに日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究している。 第1回日本生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞受賞。『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)で河合隼雄賞受賞。

 

■関連リンク

『大地の五億年』文庫化!土の研究者・藤井一至 トークショー@青山ブックセンター
6月25日(土)18:00~
https://aoyamabc.jp/collections/event/products/earth


「土」から巡る驚異の5億年、「土」と「生き物」の未来。@Lateral ※オンライン
7月16日(土)21:00~
https://twitcasting.tv/lateral_osaka/shopcart/160597

大地の五億年

河合隼雄賞受賞・異色の土研究者が、土と人類の驚異の歴史を語った『大地の五億年』(藤井一至著)。土の中に隠された多くの謎をスコップ片手に掘り起こし、土と生き物たちの歩みを追った壮大なドキュメンタリー。故池内紀氏も絶賛した名著が、オールカラーになって文庫化されました。

編集部おすすめ記事