動物行動学者、スナヤツメに魅せられて川を放浪する「川人」になる

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野生動物と3日触れ合わないと体調が悪くなる…野生動物を好きすぎる小林朋道氏による奮闘動物エッセイ『動物行動学者、モモンガに怒られる』(小林朋道著)。目をあけて眠るアカネズミ、公衆トイレをつくるタヌキ、ハエに血を吸われるコウモリなどなど、野生動物たちのユニークな生態、彼らと濃く触れ合う日常、共存のあり方までを語り尽くした一冊です。動物行動学者が「スナヤツメ」に出会った結果、起こった予想外の事態とは? 発刊を記念して内容の一部を紹介します。

 

あの大切な「樋門」が‼

皆さんは「スナヤツメ」という魚をご存知だろうか。

「カワヤツメ」という名なら聞いたことがあるという方もおられるかもしれない。北海道では、産卵のために遡上してきたカワヤツメの成体を捕獲する漁業者もいる。日本の、とくに東日本の伝統的な食べ物だったのだ。ただし、現在は漁獲量はわずかになり米国から輸入していると聞く。

スナヤツメは成魚の体長が17センチメートル前後で、カワヤツメは60センチメートルから1メートルくらいになり(個体差が大きい)、サイズにかなりの差がある。カワヤツメの祖先種の中で、海との往来をしなくなり(あるいは物理的にできなくなり)、体も小さくなって分化した種が南下し、その中の一種が現在のスナヤツメになったと考えられている。

カワヤツメも個体数は減少していると推察されているが、スナヤツメはカワヤツメ以上に個体数を減らし、絶滅に近づいていると考えられている。間違いなく絶滅危惧種と呼ぶべきだ。

スナヤツメの個体数の減少の理由は、彼らの調査をしていると、かなりの確信をもって推察できる。それは、おそらく読者の皆さんの想像とほとんど違わない「ヒトによる河川の改変」である。

 

私がスナヤツメに初めて出会ったのは、大学から車で10分程度の所にある樋門(ひもん)の前に広がる水場だった。ちなみに「樋門」とは、ヒトが水田や町内の水路などに水を引き込むために、川につくった取入口(取水樋門)であり、引き込んだ水を川に戻すための排出口(排水樋門)である。

 

〝取水〞樋門の場合は、しばしば、そのすぐ下流に「堰(せき)」がある。堰というのは小さなダムのようなもので、そこで手前の水位を上げて、取水樋門に、より多くの水が流れこむようにするわけだ。そして、その水の取り組み口(取水口)は、大抵、本流から少し奥まったところにあり、その〝奥まったところ〞が、浅瀬になり、水流が緩やかになり、植物に囲まれ、水底に有機物を含んだ細かい砂礫の〝泥〞の層をたたえる場所になるのだ。

まさに、スナヤツメの、特に、幼生に好適な生息場所の条件をつくるのだ。

そして、これらの条件は、スナヤツメだけでなく、近年、絶滅が危惧されているアカハライモリやメダカ、ゲンゴロウなどの水棲動物の生息可能場所の条件でもある。

 

ナヤツメの幼生が多く見つかった樋門とその前の水場。本流から“ 落ち込んだ” 場所にあるため水流が緩やかで細砂(0.2~ 0.02 ミリメートルの細かい砂)が堆積し、アシなどの植物もあって幼生の生息地としては最適

 

山地帯に多く降った雨を早く海へ流すため、河川は直線化され、両岸はコンクリートの〝壁〞で固められ……。それは、「浅瀬になり、水流が緩やかになり、植物に囲まれ、水底に有機物を含んだ細かい砂礫(されき)の〝泥〞の層をたたえる場所」とは真反対の条件の河川岸の状態を生み出す。

 

50年前には、里地や里川(人々の住む集落内部、あるいは集落を取り巻く場所にある林や農地、ため池、草原、川など)のそこらじゅうに見られた動物が、レッドリストに挙げられる種になった理由が、よーーくわかる。

なぜ、「大学から車で10分程度の所にある樋門の前に広がる水場」で私がスナヤツメに出会うことになったのか。

それは、だ。つまり、次のようなことが起こったからだ。

その樋門の前の水場は素晴らしい環境を残した水場であり、そこでもアカハライモリの調査をしていた。スナヤツメは、アカハライモリと違って、幼生にも成魚にもなかなか出会えない存在だ。幼生はとても小さくて水底の泥層の中におり、成魚は一年に一度の産卵期以外は、秋から冬、「孤高の魚」のごとく散らばっている。生息していたとしても、何かがないとまず出会えない。

ある日、樋門へ行くと看板が立っていた。そしてその看板には、なんと、こう書かれていたのだ(正確な文面は忘れた)。

「堰の改修工事を〇年〇月〇日から〇年〇月〇日まで行います」(工事は半年近くかかる)

 

こんなふうにコンクリートブロックで護岸がなされると、水の緩やかな流れも浅瀬もなくなってしまう

 

私は、堰の工事がいかに大掛かりなプロセスで行われるかを、それまでの経験からよく知っていた。

まず、重機が河川に下りるために道路から河川に向かって、かなり広い道をつくらなければならない。その道によって、樋門の前の水場は攪乱(かくらん)され埋め立てられることになる。

また、堰の改修は、左右半分ずつ行われ、右側が行われるときは、河川の右半分は、堰を含む一定の長さの河川部に水がない状態にされる。河川を半分に分けて片方だけに水が流れるようにするのだ。水が流れない側では、格段に作業がしやすくなる。河川の岸辺はボロボロになる。

当然、〝素晴らしい環境を残した水場〞は、跡形もなく破壊されてしまう。

 

私は、看板に書いてあった電話番号に連絡し(工事の担当は鳥取市だった)、市役所に行って責任者と会って状況を説明した。その方は、私の話をしっかり聞いてくれ、工事を請け負う会社や市の直接の担当者と、工事の仕方について相談してくれた。私が、〝素晴らしい環境を残した水場〞が破壊されないような工事法がないか、検討をお願いしたからだ。

でも残念ながら、どんなやり方をしても〝素晴らしい環境を残した水場〞の破壊は免れなかった。

 

ハリボテの威厳を揺るがす質問

せめてもの行動として、私は学生たちに頼み、〝素晴らしい環境を残した水場〞の、アカハライモリを中心にした動物を工事前に採取し、一時期、大学で飼育し、工事が終わったら元の場所に放すことにした。

もちろん、「元の場所」とはいっても、それはなくなる。そこで、市の責任者の方に、樋門の前の「元の場所」の近くに、私がデザインした水場を工事後につくってもらうように頼んだのだ。

責任者の人はそれを約束してくれた。工事直後ならば重機も河川敷に下りているので、岸辺の〝加工〞は比較的容易だったのだ。

 

工事前、動物の採取の初日は小雪が舞っていた。

でも、いったん水に入って動物たちの採取をはじめると、集中しながら体を動かすので寒さも感じなくなった。作業をはじめて数時間経ったころだっただろうか。網をもったTくんが、興奮気味に私のほうへ近寄ってきて言うのだ。「先生、こんな動物が取れたのですが、これはなんですか?」と。

最初、網の中には何も見えなかったが、よく見ると、泥の中に小さな黄土色の紐状の動物が一匹、ニョロニョロしているではないか。ミミズのような、ドジョウのような。

Tくんの言葉で、周辺で作業をしていた学生たちも集まって来て……私は、答えを言わなければならない状況になった。でも、そのとき私は、答えをもっていなかった。

これまでハリボテの威厳をなんとか身にまとってやってきた私に、試練が訪れたわけだ。私は、心を落ち着けた。それからその動物をよーーく見つめた。

そして、奇妙な構造を体の前方に見つけた。赤い穴がポツポツと空いているではないか。そこは、魚ならえらがあるところだ。少しの間が空いて、私の脳裏にある動物の名前が浮かんできた。……ヤツメウナギ、だ。

 

スナヤツメの幼生。堆積した細砂の中に潜って砂に混じっている有機物を食べて生きている。目は皮膚の下で守られ、口の後ろには発達したえらがある。細砂の中で少ない酸素を吸収するため血液が密集し赤色が目立つ

 

幼生から成魚になったスナヤツメ(体長18 センチメートル程度)。体は銀色に輝き、幼生で皮膚下にあった目がしっかり見える。目の後方に7個の目のようなえら孔(あな)がある

 

以前、ヤツメウナギには幼生期があって、水底の泥の中で過ごす、と、どこかに書いてあったような記憶が思い出された。

こうして、私は一応、試練を乗り越えた。それが、絶対正しいという保証はなかった。それと、そのときはまだ、スナヤツメという名前は知らなかった。でも、まー、皆「これがヤツメウナギの幼生ですか」と口々に納得したような感じになり、その場は収まったわけだ。

そして驚いたことに、Tくんは、その後すぐ成魚のヤツメウナギ(正確にはスナヤツメ)を捕獲したのだ。銀色の体表に、大きな目とはっきりとした七つのえら孔(内部のえらに向かって水が入ってくる孔。排水もここから行われる)をもった成魚は、どう見てもヤツメウナギだった。

 

スナヤツメの不思議な生態

後でわかったことだが、スナヤツメの成魚の発見は、幼生の発見よりラッキーなことだった。

というのも、幼生は卵から孵化した後3年から4年は、孵化した場所からあまり動くことなく、水底の泥の中で藻や有機物(枯葉が細かくなった微小断片など)を食べて成長する(適応の結果として、目は皮膚に覆われている)。

その後、17センチメートル近くになった幼生は、秋ごろに泥の中から出てきて変態し、冬を越して春、産卵期を迎える。泥から出て泳ぐ成魚は、大きな目が表に出て凛々しいが、ただしその代償ではないが、消化器は縮小して機能を失う。

つまり、成魚は変態した秋から次の年の春まで何も食べることなく、生まれた場所を後にして上流へと泳いでいくのだ。Tくんが幼生の後に捕獲した成魚は、そういう短い期間のみに見られる希少なものだったのだ。

そんな作業が数日続き、われわれはかなりの数の水生動物を大学に連れて帰り、飼育したのだ。その間に(後で事典などで正確な名前がわかった)「スナヤツメ」の特性(幼生は水底の泥の中のどれくらいの深さのところを好むのか、等々)も調べ、後の生息地となる環境を整備するのに役立てた。

 

やがて工事は終わり、市は約束通り、元の水場の近くに新しい水場をつくってくれ、われわれで堆積物や植栽などの微調整をした後、そこに放した。その後、20年近く経った今も〝素晴らしい環境を残した水場〞としてスナヤツメやアカハライモリの生息地になっている。

 

そのときの体験で、アカハライモリに加え、スナヤツメに魅せられた私は、スナヤツメを探して川を放浪する川人になったのだ。

 

川人は、ウェーダー(長靴の上部が胸の位置まで伸びたような、と表現すればわかってもらえるだろうか。とにかく川の深いところまで入れて、胴長とも呼ばれる履物と着物の雑種)を履いて鳥取県内のさまざまな川に入り、樋門前を中心に、岸に接した水場を調べていった。すくい網も、頑丈で軽く、専門店にしか置いていない網だ。それで岸辺の水底の泥をすくい上げる。

もしもスナヤツメの幼生がいると、彼らは泥の中から、踊るように体をくねらせて出てくるので見つけやすい。その姿を見つけたとき、私の心も踊る。

そんなことを続けていると、幼生についての知識も増えるし、愛着も湧いてくる。それが多くのホモサピエンスの習性だ。11月から年を越した2月ごろまでは、まれに成魚が網に入ることがあった。銀色の鮮やかでしなやかな体が網の中で素早く動き、ギョロッとした目が、七つの少し小さめの目(えら孔)を従えて「俺はスナヤツメだ」と宣言した。

 

スナヤツメの成魚の吸盤状の口。祖先種にあたるカワヤツメの特性がまだ残っており円形状に並んだ“ 歯” が見えるが、それが使われることはない。変態したら産卵して直後に死ぬまで何も食べないのだ

 

幼生と成魚には、体色や目以外にもまだまだ大きな違いがあり、その一つとして、口が挙げられる。幼生の口は、二枚貝が貝を開いたり閉じたりするときのように開閉し、泥の中から餌を取る。いっぽう、成魚の口は丸い吸盤のようになっており、吸盤の内側には同心円状に鋭い歯が二重に並んでいる。消化器は縮んでいて何かを食べるわけではないのに、おそらく、祖先種の口の構造がまだ残っているのだろう(正確なことはわからない)。

 

ここにいて、あっちにいないのはなぜ?

樋門前の水場を調べながら、私はこんなことを考えてきた。

今から50年くらい前、川は総じて、地形の特性などに応じて曲がりくねり、川岸の輪郭はデコボコしており、内側に入り組んだところでは水流が緩やかで草も生えていた。繰り返しになるが、そういった場所にメダカやアカハライモリ、スナヤツメ、ゲンゴロウなどの水生動物が生息していた。

そして、河川が災害などの対策として人の手で整備されていく中で、曲がりくねった場所も動物も減少していった。それが現在である。ところが、そのいっぽうで、これまた人の手でつくられ維持されてきた「樋門」が、動物たちの生息場所を残してきたのだ。

そこに、人と動物(特に絶滅が危惧されている動物)との共存の鍵があるのではないか。

 

その後、私の川人としての調査テーマの一つは、「スナヤツメの幼生が生息している樋門環境と見つからない樋門環境との違い」になった。

調査の結果、わかった主なことは次のようなことであった。

 

樋門前の水場が、①護岸が自然土や石垣で覆われている、②水中の溶存酸素量や透明度が高い、という環境のとき、スナヤツメの幼生(アカハライモリ、メダカなども)が、より高い確率で生息する。

 

この結果を受けて私が次に行ったことは、樋門前の環境が悪く、スナヤツメの産卵や幼生の生息場所になっていない場所を、彼らにとって好適な状態に変える、という、いわば実践的保全生物学である。

 

ある大きな排水樋門では、そこから流れ出る水が(水量は多くはなかった)河川敷に拡散し、植物が繁茂した地面にもしみ込み、広範囲の岸から本流に集まっていく状況だった。コップの水をテーブルの上にこぼして、細かく分かれた水がテーブル一面に広がっていくような状況、と言ってもいいかもしれない。

こんな状況では、もちろん水生生物は生息できない。

せっかくの樋門がもったいない、と思った。なぜこんな状態になっているのかわからなかったが、この水を樋門の前で一カ所に集めて水場をつくり、そこと本流とを水路で結べば、好適な樋門前水場環境が出来上がると考えた。

 

再び市役所にかけあう

そんなある日のことだ。

その樋門(以後、水場無し樋門と呼ばせていただく)の近くを通りかかったとき、水場無し樋門の補修の工事がはじまっていた(樋門は、10年くらいを周期に点検改修工事が行われると聞いていた。おそらく水場無し樋門もそれくらいの時期だったのだろう)。

樋門の改修は、劣化の程度によって、ほとんどすべての部分を付け替えたり、一部だけを補強したり、いろいろだ。その水場無し樋門の場合は、全部取り替えて、新しいタイプの樋門にするとのことだった。

私は決めた。

その工事の施工者は(再び)鳥取市だったので、責任者の人に、また頼んでみた。修復工事が終わったら樋門の前に、水場と水路をつくってもらえませんか、と。水場が大切な理由書と、私が書いた設計図も渡して。

 

その後、関係者で話し合いが行われたのか、数日後、「わかりました」という快い返事があった。

 

私が書いた設計図のポイントは二つあった。

一つ目は、「樋門の前の円形の水場は、周囲に石を積み、中央部の水深が70センチメートルで、周辺にいくにつれてだんだん浅くなるような構造にしてほしい」というもの。二つ目は、「その円形の水場から川まで、幅1メートルの水路をつくってほしい。川に対して垂直ではなく、下流側に傾くような形にしてほしい」だった。

それまでの調査から、スナヤツメの成魚は変態した後、それまで育った場所を離れ、川岸に流れ出る水路をさかのぼって産卵のための水場にたどり着く(ことが多い)ことがわかってきていたのだ。そして成魚は、下流側に傾くような方向の水路を好んでさかのぼる可能性が(少ない例数だったが)示されていた。そして数カ月後、工事も終わり、そのおまけとして、水場無し樋門は、〝円形+水路〞樋門に生まれ変わったのだ。

 

改修工事終了後、樋門の前につくってもらった“ 樋門前水場”。周囲の状況によってデザインは工夫する。本流につながる水路はスナヤツメの成魚がさかのぼってくるためのもの。「緩やかな水流」と「浅瀬」という条件をばっちり満たしている

 

〝円形+水路〞樋門は、それまで水生動物がいなかった場所を、アカハライモリや淡水魚の稚魚、そして待望のスナヤツメの幼生の生息地に変えた。

素晴らしいことではないか。

そこまで見届けた私は、その実践的保全生物学の成果を、その方法が広まることを願って学術誌に論文として掲載してもらった。

 

改めて私は思うのだ。

その動物の習性、生活をよく知れば、たとえ人工的な環境であっても、ポイントを押さえることで彼らの生息地になりうる場合がある、ということを。共存できる場合がある、ということを。

日本のように国土が狭く、立入禁止の広い広い保護区をたくさん設けることが難しい国では、人の生活圏と重なりながら、野生生物と共存しなければならない場合も多いのだ。

樋門の事例は、他の多くの場面で応用できる鍵を秘めていると思う。間違いない。

 

“ 樋門前水場” の1 年後の様子。自然になじんでアカハライモリがどこからともなくやってきて棲みついた。この時点ではスナヤツメはまだ見られなかったが……

 

※本記事は『動物行動学者、モモンガに怒られる』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

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【著者略歴】

小林 朋道(こばやし・ともみち)

1958年、岡山県生まれ。公立鳥取環境大学副学長。 岡山大学理学部生物学科卒業後、京都大学で理学博士取得。 岡山県で高等学校に勤務後、2001年に鳥取環境大学環境情報学部環境政策学科(現:公立鳥取環境大学環境学部)助教授、2005年に教授に就任。 環境学部長を経て2022年より現職。専門は、動物行動学、進化心理学。 著書に『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます! 〔鳥取環境大学〕の森の人間動物行動学』をはじめとする先生シリーズ(築地書館)、『ヒト、動物に会う コバヤシ教授の動物行動学』(新潮社)など多数。 研究、およびプライベートでさまざまな動物と交流を深め、数々の知られざる生態を発見してきた。 ヒトと自然の精神的なつながりや、動物行動学を活かした野生生物の生息地の保全にも取り組んでいる。  

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