森で一人、夜を明かす|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第31回は、森で過ごす夜の話。

文・写真=星野秀樹

 

 

森で眠る

樹間から見上げる雲が焼けている。すでに森の中は暗く落ち、明かりが残っているのは残照の空だけだ。地べたに寝そべって今日最後の光を見送る。もうまもなく、夏の夜が森を包み込むことだろう。

 

実はここだけの話だけれど、いつも通う森の中に、自分だけの小さなテント場がある。

かすかに続く森への通い路を離れ、森を分ける谷を渡る。滑りやすい山腹の急斜面を、ヤブを伝って這うようにたどっていく。やがて傾斜が落ちた笹ヤブの合間から沢筋へと出て、わずかに登れば目印のブナが見えてくる。

そこは傾斜地が続く森の中に、やっと見つけた小さな平坦地で、すぐ近くには小沢が流れている。

太い二本のブナと、笹ヤブの隙間。足元の倒木に立つと、森の奥へと林立するブナの木々を見渡すことができた。

森に泊まるなら冬がいい。雪をならせばどこでも好きなようにテントが張れて水にも困らないから。場所を選べば雪洞だって掘れる。でもヤブの季節はなかなか厄介だ。平らな場所と水場は限られるし、ヤブが繁って思うようにいかない。そんなわけで森中あちこち歩き回ってやっと見つけた「おらほのテント場」は、またとない素敵な泊り場だったのだ。

 

 

夕飯を終えると、もうすっかり森は暗闇だった。

しっとりと冷たい森の空気に身を浸しながら、大きなブナの根元に寝そべって1人酒を飲んだ。

月明かりもない夜の森は深い闇に閉ざされて、視覚はほとんど役に立たない。見上げる空と梢がかすかに見分けられる程度で、おぼろげに森の輪郭が分かるのがせいぜいだった。

フクロウが鳴くだろうか。ケモノの歩みを感じられるだろうか。

一生懸命五感を研ぎ澄まして、夜の森を闊歩するモノたちの気配を感じようとするけれど、なかなかそうは上手くいかない。沢音と、時折木々を揺らす風の音。そんな静かな暗闇が、ずっと森の奥へと続いているだけだった。でもきっと、森の住人たちは僕の存在に気付いているに違いない。気紛れな、外界からの闖入者。気付いているからこそ、こちらを避けているのか、それとも無視しているのか。暗がりが、いつになく森を深く大きく感じさせていた。

そんな暗がりと静寂を肴に酒を飲む。

土の匂いがする。木の匂いも。そんなものを嗅いでいると、また酒が進む。

今この夜の森を共有しているであろうモノたちの存在に思いを馳せて、1人酩酊する。

そうしてよろよろとテントに潜り込むころ、どこか遠くで鳴くヨタカの声がかすかに聞こえてきた。

 

夜明け前、それまでの静寂を打ち破るかのように、森中の鳥たちが鳴き始めた。こんなにも鳥が、生き物たちがここにいたのか、と思わせる騒々しさ。そんな森の声を、僕はテントの中で寝転びながら、ただただじっと聞き入っていた。

光の気配を感じてテントから這い出ると、朝日がブナの幹を差し照らしていた。

白い幹が、どんどんと紅く染まっていく。見知ったつもりのこの森で、始めて出会う紅い森。やがて昨日の夜の暗闇と対照的な光の帯が森の隅々へと広がり、光が「鮮やかさ」から「明るさ」へと変化していく。

そうして始まった森の1日。騒々しく鳴くミソサザイの声に急かされながら、僕は森の奥へと入っていった。

始めて出会う森を探しに。

 

 

●次回は9月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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