梵字と町石を刻んだ石塔に導かれながら、真言密教の聖地、高野山への表参詣道・町石道を歩く

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

町石道(ちょういしみち)は、慈尊院から高野山へと通じる高野参詣道で、道筋には一町ごとに梵字と町石を刻んだ五輪塔形の石塔が建てられている。かつて人々は石塔に合掌しながら高野山へと歩みを進めたという。今回は、表参詣道である町石道の慈尊院から根本大塔までのコースを紹介する。

写真・文=児嶋弘幸

展望台より紀の川の眺め

展望台より紀の川の眺め

南海高野線・九度山駅が起点となるが、町石道は距離が長い。時間にしっかり余裕を見て早い時間にスタートしたい。

まずは町石道の表玄関口の慈尊院へ。弘法大師空海は、ここ慈尊院に滞在していた母に会うために月に9回も町石道を往復し、それが「九度山」の地名の由来といわれている。慈尊院から丹生官省符(にうかんしょうふ)神社への石段途中には最初の町石、百八十町石が建てられており、これより町石に導かれながら、高野山上を目指すことになる。

慈尊院の多宝塔と本堂

慈尊院の多宝塔と本堂

丹生官省符神社への石段途中に建つ百八十町石

丹生官省符神社への石段途中に建つ百八十町石


慈尊院を後にして、紀の川フルーツラインを過ぎ、果樹園の間を一気に登って展望台へ。和泉山脈の山稜、蛇行した紀の川の流れが美しい。

展望台から紀の川を見下ろす

展望台から紀の川を見下ろす


樹林帯の道に入り、かや蒔(まき)石・銭壺石(ぜんつぼいし)、雨引山分岐を通り過ぎる。しばらくして百四十四町石と一里石が並んで建っている場所へ。慈尊院をスタートしてから、ここまで一里、つまり4kmほど歩いてきたことになる。

やがて四方向に道が通じる六本杉峠に着く。左は天野の里、右は笠木峠、左手前が町石道だ。しばらくアップダウンの少ない、快適な道が続く。ここで二ツ鳥居までの百二十一、百二十二、百二十三、百二十五の4基の町石に注目してほしい。「十方施主」「十方檀那(じっぽうだんな)」とだけ刻まれた町石で、町石道にある町石6基のうち4基がこの付近に集まっている。

十方施主と刻まれた百二十一町石

十方施主と刻まれた百二十一町石


町石の多くは鎌倉時代の執権、北条氏を頂点とする有力者たちの寄進によって完成したともいえる。しかし、ここに建つ4基の町石は、全国の一般庶民からの浄財によって建てられたもので、来世の幸せを願う気持ちが今も昔も同じだったのだと思うと、とても感慨深いものがある。

文字通り鳥居が2つ並んだ二ツ鳥居へ

文字通り鳥居が2つ並んだ二ツ鳥居へ


二ツ鳥居の休憩舎で、天野の里を眺めながら、しばし休憩。その後、緩やかに下り、応其池(おうごいけ)、神田地蔵堂を経て笠木峠へ。なおもアップダウンの少ない道が続き、かつての宿場町、矢立峠に下る。車道を横断した先の矢立茶屋では名物の「やきもち」が頂ける。往時の人々も、ここでひと休みしたのだろう。

ここまで来れば、高野山上までもうひと息。山ひだを縫いながら、五十町坂を緩やかに登っていく。弘法大師空海にまつわる袈裟掛け岩、押上岩などを見ながら進む。

袈裟掛け岩と五十五町石

袈裟掛け岩と五十五町石


四十町石で再び車道を横断、巨大な杉並木の道が続く。十二町石を過ぎると高野山大門への最後の登り、これが結構つらい。やがて、目の前に堂々たる高野山大門が姿を現す。

高野山の入口にある総門、高
野山大門

高野山の入口にある総門、高野山大門


大門をくぐり舗装道を進むと、高野山のシンボル、根本大塔はすぐだ。紅葉のきれいな蛇腹道を抜け、千手院橋バス停に到着し、長い山旅を終える。

高野山壇上伽藍のシンボル、根本大塔

高野山壇上伽藍のシンボル、根本大塔

11月上旬、蛇腹道は紅葉の見ごろとなる

11月上旬、蛇腹道は紅葉の見ごろとなる

 

慈尊院~展望台~六本杉峠~矢立峠~高野山大門~千手院橋バス停

コースタイム:約7時間10分

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

世界遺産・高野山をめぐる巡礼の道

聖地・高野山の周辺には、数多くの巡礼道がのびている。いにしえの時代に思いをはせながら、歴史ある道をたどってみよう。

編集部おすすめ記事