いにしえの時代より歩かれてきた、山上の聖地・高野山への参詣道

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和歌山県北東部、標高約800mの山上盆地に位置する高野山。東西6km、南北3kmに及び、弘法大師空海が1200年前に開創した真言密教の聖地として知られている。高野山全域が一山境内地であり、弘法大師空海の御廟のある奥の院と壇上伽藍(だんじょうがらん)の二大聖地を中心に、約120近くの寺院が甍(いらか)を並べている。日本はもちろんのこと、世界的にもこれだけ大規模な山上宗教都市は稀である。今回は高野山へと向かう参詣道について紹介しよう。

写真・文=児嶋弘幸

高野山大門前から和歌山方面を望む
高野山大門前から和歌山方面を望む

概要

平安後期以降、高野浄土信仰の広がりとともに、高野山へと向かう参詣道が幾筋も作られた。それらの道は高野山が近づくにつれて合流するなどし、最終的には高野七口と呼ばれる道となり高野山内へと入った。高野七口は時代によって変化しているものの、一般的には大門口(だいもんぐち)・不動坂口(ふどうさかぐち)・黒河口(くろこぐち)・大滝口(おおたきぐち)・龍神口(りゅうじんぐち)・相ノ浦口(あいのうらぐち)・大峰口(おおみねぐち)を七口としている。

2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして、高野山とその参詣道がユネスコの世界文化遺産に登録された。1200年の時を超えた歴史と自然が融合した高野山参詣道をぜひ堪能してほしい。

高野山参詣道概略図
高野山参詣道概略図

⇒ヤマタイムで高野山付近の地図を見る

高野山参詣道

高野山参詣道のうち、高野山をぐるりとめぐる女人道(にょにんみち)については、「山上の聖地・高野山を取り囲む峰々と巡礼の道」で取り上げているので、今回はそれ以外の道について概略を紹介しよう。

大門口(町石道)【世界文化遺産】

大門口は町石道(ちょういしみち)とも呼ばれる参詣道で、木製の卒塔婆を立てたのが始まりという。高野山の総門、高野山大門へと通じている。参詣道には高野山の壇上伽藍を基点に、慈尊院までの180基、奥之院御廟までの36基の五輪卒塔婆の町石がほぼ等間隔に立ち並んでいる。

町石道の百七十二町石付近
町石道の百七十二町石付近

⇒関連ガイド「梵字と町石を刻んだ石塔に導かれながら、真言密教の聖地、高野山への表参詣道・町石道を歩く」

不動坂口(京大坂道)【世界文化遺産】

不動坂口は京大坂道とも呼ばれる参詣道で、江戸時代末期に隆盛を極めた。不動坂口には唯一の女人堂が現存している。極楽橋と女人堂間には、旧不動坂と大正時代に造られた新不動坂がある。旧不動坂は弘法大師が作ったとされる「いろはうた」の字数につなげて、「いろは坂」とも呼ばれている。世界文化遺産に登録されている。

不動坂の女人堂
不動坂の女人堂

⇒不動坂の女人堂の位置をヤマタイムで見る

⇒関連ガイド「地蔵に導かれながら、町石道にとって代わった京大坂道、旧不動坂道の「いろは坂」を登る」

黒河口(黒河道)【世界文化遺産】

黒河口は、高野山麓の収穫物を高野山の弘法大師へのお供えをする風習、いわゆる「雑事(ぞうじ)のぼり」の主なルートとして利用されていたとみられている。「橋本より高野への近道」と評された。また、かの太閤秀吉が弘法大師空海をおそれて、馬で駈け下ったという記録や言い伝えがあり、太閤道とも呼ばれている。

旧久保小学校、くどやま森の童話館。桜の老木があり、春には壮観な風景となる
旧久保小学校、くどやま森の童話館。桜の老木があり、春には壮観な風景となる

⇒旧久保小学校の位置をヤマタイムで見る

⇒関連ガイド「雷鳴とどろく中、太閤秀吉が馬にまたがり駈け下ったとされる、太閤道を歩く」

大滝口(小辺路)【世界文化遺産】

大滝口は、和歌山県の二大霊場、高野山と熊野三山を最短に結ぶ道で、小辺路(こへち)とも呼ばれている。紀伊山地の標高1000m近くの伯母子(おばこ)峠、三浦峠、果無(はてなし)峠の3つの大きな峠を越え、険しい道のりである。

果無越えの八木尾への道から熊野川を見下ろす
果無越えの八木尾への道から熊野川を見下ろす
山上の果無集落
山上の果無集落

⇒果無集落の位置をヤマタイムで見る

龍神口(有田・龍神道)/相ノ浦口(相ノ浦道)/大峰口(大峰道)

龍神口は、龍神温泉からの道と有田方面からの道が辻の茶屋で合流したのち、高野山内に入る参詣道で、有田・龍神道とも呼ばれている。相ノ浦口(あいのうらぐち)は、高野山の南にある相ノ浦集落からの参詣道で、高野山の霊木、コウヤマキの物資輸送ルートとして利用されており、高野七口の中では最短ルートである。大峰口は大峰山脈の奥駈道から西に派生して高野山に入る参詣道である。

有田・龍神道の花折付近から龍門山脈(中央)方面を望む
有田・龍神道の花折付近から龍門山脈(中央)方面を望む

そのほかの参詣道

以上の七つの道以外にも、勅使が利用したとされる三谷坂(みたにざか)、槙尾山との往来に使われたとされる槙尾道(まきおみち)、麻生津(おうづ)峠から矢立峠にて町石道と合流する道、弘法大師空海が高野山発見に至った道など、数々の魅力ある道が存在している。このうち、三谷坂が世界文化遺産に登録されている。

丹生都比売命神社がある天野の里(町石道の二ツ鳥居より)。三谷坂は天野の里を経て町石道へ合流する
三谷坂は丹生都比売命神社がある天野の里(上写真)を経て町石道へ合流する

⇒関連ガイド「高野参詣道の三谷坂を登り、白洲正子が「桃源郷」と評した天野の里へ」

槙尾道にある、かつての神谷集落の中心地
槙尾道にある、かつての神谷集落の中心地

⇒関連ガイド「トロッコ道から、高野山と弘法大師空海が得度した施福寺往還の道・槙尾道を歩く」

関連リンク

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

世界遺産・高野山をめぐる巡礼の道

聖地・高野山の周辺には、数多くの巡礼道がのびている。いにしえの時代に思いをはせながら、歴史ある道をたどってみよう。

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