地蔵に導かれながら、町石道にとって代わった京大坂道、旧不動坂道の「いろは坂」を登る

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高野参詣道の京大坂道は表参道の町石道に対し、裏参道と呼ばれ、江戸時代末期に隆盛を極めた。京大坂道の難所とされる旧不動坂は、弘法大師が作ったとされる「いろはうた」の字数につなげて、「いろは坂」とも呼ばれている。今回は南海高野線の学文路駅から不動坂女人堂に至る京大坂道を紹介する。

写真・文=児嶋弘幸

唯一、女人堂として残る不動坂女人堂

唯一、女人堂として残る不動坂女人堂

学文路(かむろ)駅を出て、東へすぐ「左ハ高野みち女人堂迄三里」の道標石が立っている。今回はここからスタートする。南海高野線の踏切を渡り、急坂を登っていくと学文路苅萱堂(西光寺)に着く。続いて「九拾町」碑の三叉路を左にとって、第三、第四地蔵を経て河根丹生(かねにう)神社に下る。地蔵は六地蔵の一つで、高野詣での安全を祈願して祭られたとされている。

河根丹生神社

河根丹生神社


河根宿の街道を南下して千石橋を渡ると、作水(さみず)坂の登りにかかる。これが結構つらい。しばらくして岩陰に身を潜めて待ち伏せしたとされる日本最後の仇討ち場へ。すぐのところには殉難七士の墓もある。やがて道標石と一里石が一箇所に集められた神谷集落の入口に着く。

日本最後の仇討ちがあった黒石。両側の岩陰に隠れて待ち伏せしたとされる

日本最後の仇討ちがあった黒石。
両側の岩陰に隠れて待ち伏せしたとされる


神谷は、かつて「日が昇ると銭が湧く」とも言われ、高野詣での参詣者で賑わった宿場街だ。すぐの神谷辻で、南海高野線の高野下駅からの長坂街道が右手から合わさる。

神谷辻のかつて賑わった宿場街。右手から長坂街道が合流する

神谷辻のかつて賑わった宿場街。
右手から長坂街道が合流する


長坂街道は西国三十三所観音の札所、槇尾山施福寺へと通じる道で、槇尾道とも呼ばれた。1925 (大正14) 年開業の高野下駅は、長坂街道を利用する参詣者を後押し、京大坂道に取って代わっての賑わいを見せる。しかし、その5年後には極楽橋まで高野線が延伸、そして高野山駅までの高野山ケーブルが開業して神谷の利用者は激減、高野詣でのメインの玄関口が高野山駅へと受け継がれていくことになる。こうした交通の発展が人の賑わいを変えていくというのは世の常とはいえ、一方で言いようのない寂しさも感じる。

神谷集落の中ほどに、旧白藤小学校を利用した「Coffee しらふじ」が土・日・祝日に営業しており、ひと休みしたのち、後半の京大坂道へとつなげたい。神谷の宿場街を抜け、十字路を右にとると極楽橋駅だが、ここでは直進し、四寸岩経由で極楽橋に至る。

極楽橋。橋を渡って、不動坂の登りにかかる

極楽橋。橋を渡って、不動坂の登りにかかる


極楽橋を渡ると、いよいよ不動坂の登りにかかる。高野山ケーブルのガードをくぐると、新旧不動坂の分岐に着く。新不動坂は、大正15年の高野山開創1100年を期に、急峻な旧不動坂を迂回して造られた道で、不動坂といえば最近まで、こちらの新道を意味していた。しかし平成23年には、これまで放置されていた旧不動坂の修復が行われ、江戸時代の地誌『紀伊国名所図会』に描かれたつづら折れの「いろは坂」が蘇ることとなる。

高野山ケーブルのガードをくぐり、不動坂(撮影位置から見て左)を登っていく

高野山ケーブルのガードをくぐり、
不動坂(撮影位置から見て左)を登っていく


新旧不動坂分岐を右上にとって、旧不動坂のいろは坂を登る。罪人を突き落としたと伝わる万丈転かし・岩不動を経て、清(きよめ)不動前で、一度新不動坂と出合う。その後、再び分岐、合流したのち、唯一現存する不動坂口女人堂に至る(冒頭写真)。すぐ前が女人堂バス停だ。

新旧不動坂分岐で来た道を振り返る。左上が旧不動坂(いろは坂)

新旧不動坂分岐で来た道を振り返る。
左上が旧不動坂(いろは坂)

雪と静寂に包まれた清不動(1月)

雪と静寂に包まれた清不動(1月)

 

学文路駅~河根丹生神社~神谷辻~極楽橋~清不動~女人堂

コースタイム:約4時間15分

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

世界遺産・高野山をめぐる巡礼の道

聖地・高野山の周辺には、数多くの巡礼道がのびている。いにしえの時代に思いをはせながら、歴史ある道をたどってみよう。

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