第7章 北海道大分水点を越えて|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

嵐のあとのラッセルで消耗させられた野村さんは大雪山系をひたすらに進む。宗谷岬を出発してから1カ月が経過。ヒリヒリするような武利(むり)岳の登攀をへて、ついに北海道大分水点に到達。さらには、名だたる山々が勢揃いする大絶景が待っていた。

文・写真=野村良太

3月29日、音更山から石狩岳と
トムラウシ山、十勝連峰を望む

 

第7章 北海道大分水点を越えて

超長期縦走も1ヶ月を越えた。計画通りいくとすれば、ここでようやく折り返しだ。だがここまでの消耗は激しく、一晩寝ても充分に回復しなくなってきた。そんなとき、ご褒美のように訪れる至福の絶景が明日への活力となる。北海道大分水点でのテント泊、石狩岳直下での雪洞泊、沼の原の解放感には心躍らずにはいられない……!

そして、だんだん腹の減りがおさまらなくなってきた。空腹をごまかすように、今日もせっせと日記を綴る。

29日目から35日目の足跡

 

3/26

朝起きると武利岳が見えている。体の疲れが隠し切れないが、気合は十分だ。

1700くらいで急に硬くなり、ここからアイゼンを出す。雪庇が大きく神経をすり減らす。1750から壁のような岩場。急な岩に氷がビッチリと張り付いて硬く凍りついている。集中してアイゼンとバイルを決める。ロープなしで来る場所ではないとすら感じる。スキーが重くバランスを崩すのが怖い。ハンマーでハイマツを掘り出し、腕力で攀じ登る。

この標高差100mは日高でもなかなかないのではないか。頂上稜線に上がったときはもうヘロヘロで山頂までが物凄く遠く感じる。山頂には看板のようなものがあったが、この地吹雪では掘り出す余裕もないので先へ。下りは打って変わって歩きやすい尾根。登山道がこちらにある理由がよくわかる。

天気は持ちそうなので力を振り絞る。前武華ではもう稜線伝いに進むには天候、時間、体力が足りないと思い、武華山は空身でピストン、前武華からイトムカ林道へ下る判断をする。妥当な判断だったと思うが自分の心の弱さが出た。武華山は空身だと往復30分だ。体が軽い。

ストックが心もとなく、下りのスキーも必死だ。何とか林道に出て無心で下る。国道に出るとホッとしてしばらく動けなかった。

 

3/27

18時すぎから降り始めた雨は朝7時頃に上がり、風こそ強いが上空は晴れている。昨日はもう動けないと思っていたが、峠までは行こうかという気分になってきた。石北峠では田辺さんが待っていてくれた。修理道具のみサポートを受けることを決めるのには時間が掛かった。悔いが無いというと嘘だろう。でもこれも判断だ。自分の気持ちを信じようと思う。つくづく僕は人に恵まれ、支えられている。

今日は大相撲大阪場所千秋楽、若隆景と高安の優勝決定戦となった試合は若隆景の粘り勝ち。この粘りはきっと僕が今一番欲しいものだろう。今年は3年振りに観客を入れた大阪場所だったようだ。そういえば3年前は日高全山縦走中だった。横綱白鵬が史上最多42回目の優勝を全勝優勝で飾り、こんな圧倒的な強さが欲しいと思ったのが懐かしい。

今、粘り強さと圧倒的強さ、選べるとしたらどちらだろう。いや、選べなさそうだ。

 

3/28

一瞬晴れ間が見えることもあるが、天気が良いとは言い難く、猛烈な地吹雪の時間もある。風が強く、苦しい時間が続く。良いことは何一つと言って良いほどないのだが、停滞のおかげで体と荷が軽くなり気分はそこまで沈まない。

時間はかかったが、今日中になんとか北海道大分水点へ!大分水点の石碑を掘り出すべく、1時間近く掘ったが、十分に場所を確認していなかったせいで見つけられなかった。残念。その穴にテントを張る。

 

3月28日、北海道大分水点にテントを張る

 

3/29

朝起きると北海道大分水点にいる。こんな幸せなことは無い。日の出とともに出発するとウペペサンケが、ニペソツがモルゲンロートに染まる。何度も立ち止まってしまう。ユニ石狩岳Peakでは大雪山が全て見える。ニヤニヤ。

やっとの思いで辿り着いた音更Peakには、とんでもない絶景が広がっていた。石狩岳、ニペソツ山、ウペペサンケ山、表大雪、北大雪、トムラウシ山、オプタテシケ山、美瑛岳、十勝岳、下ホロカメットク山まで…。果てには阿寒、斜里、知床半島に、日高山脈まで望める。こういう日があるから山はやめられない。この感動を必死に心に刻む。

200m下って雪洞を掘る。明日は停滞の可能性が高いので頑丈なものを。

 

3/30

朝、一応起きてみる。一瞬静かだなと思ったが、耳をすますと頭上から轟音が一定のリズムで聞こえてきた。停滞決定。

濡れ物が多く、寒いというより冷たい。せっかくの雪洞なのにあまり快適ではない。だが、この風の中でこんな稜線上にいられるだけで十分か。何とも不安な1日。早くここから解放されたい。

 

雪洞から出ると目の前には
ニペソツ山が微笑んでいる

 

3/31

昨日は夕方くらいから風がぴたりと止んだ。俄然快適になってきた。濡れ物はまだ少し湿っているが、ぬくぬくと幸せな夜を過ごす。やはり雪洞に限る。

朝、幸せに起きる。途端にこの雪洞を出るのがもったいなくなってくる。風が止んだと思ったのは入り口が完全に雪で蓋をされたのもあったようで、1mくらい堀り進めて外へ出る。眼前に飛び込んでくる石狩、ウぺ、ニペがまぶしい。朝日が薄っすらと照らすとわずかにピンク色に染まってくれた。

石狩Peakからは大パノラマ。言葉にならない。だが、今日は先が長いのでのんびりもしていられない。その後も快調に飛ばして10時半、沼の原まであと100mくらいのところでヘリの音が。11時ちょうどに沼の原に出ることが出来て、僕の周りを(空撮のためのNHKの)ヘリが来てくれた。ありがとうございました。

だだっ広い雪原は圧巻だ。振り返るとさっきまでいた石狩稜線が見え、前を向くと雄大で純白のトムラウシ山が鎮座している。ここ数日降雪が無く晴れているから、雪面がクラストしてギラギラと輝きなんとも神々しい。これを幸せと言わずしてなんと言おうか。こういう日があるから山は止められないんだよなぁ…。

一路、(第3デポ地点である)ヒサゴ沼避難小屋へ。一階は盛大に吹きだまっていてとても入れないので二階から入る。デポを回収してホッと一息。長い一日だった。そして充実の一日だった。快晴、そよ風、カラッと涼しく、ラッセルもなく程よく雪が締まっている。停滞明けで体も軽くデポ地点直前なのでザックも軽い(食料は残り二日分)。どれをとってもパーフェクトな一日だった。34日目にしてこれまでの一番を叩き出してしまった。

小屋でテントを張る。何も気にしなくて良いのが嬉しい。電波が入らないことも幸せを倍増させているとすら感じる。山深さを全身で感じることが出来るのだ。この計画がどんな終わり方をしたとしても、今日という日は一生忘れないだろう。

 

沼の原から振り返ると
今朝越えていた石狩岳の稜線が見える

 

先にはトムラウシ山。
これだから山は止められない

 

4/1

今日は年度初めらしい。それ自体がエイプリルフールみたいだ。

そういえばここまで当たり前だった甲子園も相撲も気づけば終わってしまった。今朝まで物凄く気分が良かったはずなのに、小屋が風できしむたび、気持ちが落ち込んでくる。そしてここに来て食欲が抑えられなくなってきた。天塩のデポで回収した4/2まで分の行動食を食べきってしまった。

なぜここに来てなのかはよく分からない。1ヶ月を越えてごまかしが利かなくなってきたか、標高が高い分気温が低く基礎消費カロリーが増えてきたか。いずれにしても食料事情が精神面に及ぼす影響はとてつもなく大きい。腹が減っているというだけですべてが不安になり余裕がなくなる。どうすればよいのかは分からない…。ガスと紅茶だけは十分あるから砂糖を節約して水分でごまかすか…。

札幌の桜は4/26開花の予報らしい。そのとき僕はどこに…。


この1週間はご褒美のような好天と悪天候による停滞とが交互に訪れ、感情を揺さぶられるようで慌ただしかった。大分水点は日本海、オホーツク海、太平洋の境界となる場所で、分水嶺ルートのハイライトの一つだ。そこにテント泊できた感慨は大きい。

報われたと思える時間がある一方で、疲労と空腹が隠せなくなってきた。いよいよここからがこの計画の本領と言ったところか。

第8章となる次回は36日目から42日目、4月2日~4月8日の日記から振り返る。トムラウシ山、十勝連峰の先には最終デポ地点、佐幌山荘が待っている。だが、またしてもアクシデント発生。なかなか一筋縄ではいかせてくれない……!

プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

編集部おすすめ記事