最終章 大縦走から1年。これからのこと|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~

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北海道分水嶺縦断を終えて1年、野村良太さんは次の目標を海外に見つけた。厳しい単独行で徹底的に鍛えた登山技術と精神力を試すのは、ヒマラヤの未踏峰だ。最終章では、分水嶺縦断で獲得した視点と共に、次なる頂についてつづってもらった。

文・写真=野村良太

2022年3月25日。
めざす武利岳がはっきりと見えた

 

最終章 大縦走から1年。これからのこと

あの濃密な日々から、早くも1年が過ぎた。去年の今頃は北海道大分水点を越えたところだ。63日間の記憶はあまりにも鮮明でこの先ずっと色褪せることはない、とでも書きたいところだが、いつかの日記にも記した通り人間の記憶はひどくいい加減だ。今の時点で僕が鮮明だと思い込んでいるあのシーンは、すでに美化された幻想に過ぎない。あの猛吹雪は風速40m/sは吹いていた、あのテントサイトで山を眺めながら飲んだ紅茶は至福だった、下山してすぐに食べたハンバーグ定食ご飯大盛りと海鮮丼ご飯大盛りがこれまでの人生でいちばんうまい飯だった、と本気で思っているくらいだから、これからも少しずつ美化されていくのだろう(ほろ苦い失敗談だけは増幅されて)。

2021年3月、思えば1度目の計画では、「北海道分水嶺ルート」という全体像を理解しきれていなかった。もちろん670㎞という数字上のスケールはわかっているのだけれど、その距離に対してどれくらいの日程が必要なのか、食料はどれくらい準備するのか、実際のところどんな体調やメンタルが続くのか。わからないことだらけだった。結果的に2021年はわずか10日で撤退を余儀なくされた(第2章参照)のだが、この10日間が僕にとっては長すぎず短すぎず、絶妙な期間だった。少しは全体をイメージできた気になり、計画の無謀さと的外れな部分を認識することができた。その一方で、全体の行程の10%程度しか進められなかった消化不良感といえば相当なものだった。それがよかった。大半を踏破して途中で撤退していたら、再挑戦はなかったかもしれない。10日ですごすごと引き返してきて、このままで終われるはずがなかった。失敗を元に計画を練り直す中で、ようやく計画らしくなった感覚もあった。それでも天候など(その日の天気はもちろん、ワンシーズンを通しての気温や雪量、雪質なども大きくかかわる)の運に左右される部分も大きく、うまくいく可能性は30〜40%がせいぜいだろうと思いながら出発したのだった(蛇足だが、今シーズンの雪融けを見ていると今年では達成できなかったに違いない)。

今振り返っても、自身の未熟さゆえに本当に多くのアクシデントが起こって、心配と苦労の絶えない山旅だった。その縦断中にあって唯一誇れることがあるとすれば、あらゆるアクシデントに対して「どうすれば乗り越えられるだろう」と毎回思えていたことだ。「もうだめだ」と諦めてしまったらそこでこの夢の時間は終わってしまう。それだけは避けたいと真っ先に思えていた。それくらいには僕は山が好きで、この計画へ思い入れがあったらしい。

計画を終えて5月下旬に
デポ品回収に訪れたピヤシリ山避難小屋

同じく天塩岳避難小屋。
あの吹雪が嘘のようにすっかり春が訪れていた


僕自身には普段から日記をつけるようなマメさはない。そんな自分を自覚しつつも、少しでも“理想の自分”に近づきたいと思って生きてきた。この計画をやり遂げられれば少しは“マシ”になれるだろうと信じたかった。

現代社会に守られて街では通じる言い訳も、山はおいそれとは認めてくれない。妥協し楽な方に流されると、見透かされて大きなしっぺ返しを食らう羽目になる。そんな環境に身を置くと、山に後押しされるように自然と視線は前を向き成長のチャンスが見えてくる。その感覚が心地よく性に合っているから、これからも山にお世話になるのだろう。

2ヶ月を振り返るために書き始めた日記。
普段から書いているわけではなかった


この計画を通して北海道の分水嶺を一途に歩いていたのは、もはや遠い過去の自分だ。写真や映像で振り返ってもどこか他人事のように感じてしまって、あんなこともう二度とできないとすら思う(喜怒哀楽、一通り知ってしまった今ではいくら大金を積まれても一つなぎではもう二度としたくない)。それはきっと、無知ゆえに成し遂げられたということであり、それこそが新しい境地に飛び込むおもしろさと充実感の源に違いない。だからこそ、あのときの自分のがむしゃらさを誇りに思う。それと同時に、あの日の自分に誇れるような今でありたい。そのためには、開きたいと思う次の扉を探すことが肝要だ。

今月末からはヒマラヤの未踏峰へ向かう計画をしている。ジャルキャヒマール(6473m)。ネパール中央部に位置し、1956年に日本隊が初登頂したことでも知られる8000峰、マナスルを望む通称“マナスルサーキット”が主なキャラバンルートとなる。標高3900mのサムド村でマナスルサーキットを離れて北上し、めざす山頂はネパールと中国の国境上に位置している。

未踏峰・ジャルキャヒマール(6473m)。
どんな山なのだろうか


メンバー4人(先輩3人と僕)の内で海外高所登山の経験がないのは僕だけで、遠征はおろか、先日初めてのパスポートを取ったばかりだ。

国際線ターミナルに立ったその瞬間から、僕の未踏峰は始まっている。ネパールの地に降り立つとどんな雰囲気なのだろう。そこに暮らす人々は、動植物は、気温や空気は、食事や環境は……。分からないことだらけだ。

初めての海外遠征、高所登山で僕の身体はどんな反応を示すのか。そしてそこでなにを想うのか。今からどうにもワクワクが止まらない。

2023年3月26日 野村良太

 

プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

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