第11章 終着点、襟裳岬|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~

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日高山脈の核心部を抜けると雪は消え、稜線はヤブへと沈んでいった。ヒグマの獣道をたどって楽古岳へ到着したものの、食料は残りわずか。襟裳岬へ到達するために、最後の決断を迫られる。

文・写真=野村良太

2022年4月29日14時。63日間をかけて宗谷岬から襟裳岬への670㎞を踏破した

 

第11章 終着点、襟裳岬

日高山脈も最終盤に入った。神威岳、ソエマツ岳、ピリカヌプリを越えると稜線はたおやかさを取り戻し、核心部を抜けたことを実感する。宗谷丘陵、北見山地、石狩山地、日高山脈と、北海道の脊梁を2カ月かけて越えてきたのだ。

襟裳岬まで残すところもあとわずか。最後の最後に難しい判断を迫られる。だが、大丈夫だ。自分の気持ちの赴くままにやればよい。これまでもそうしてきたように。

57日目から63日目の足跡

 

4/23

すぐ隣の尾根の向こう側では猛烈な風の音がする。テン場は良いところを選べたらしく、ほとんど風がない。夜中には雨が降り始め、1〜3時くらいは強まる時間もあった。夜中に雨が強まると、昨年の嫌な記憶がよみがえる。今回も風が強いところにテントを張っていたらひょっとしたら危なかったかもしれない。成長したのか、運が良かったのか。何はともあれ、このまま風向きが変わらないことを祈るのみだ。

雨は朝方まで降っていたが、昼を過ぎると高曇りとなり、神威岳、ソエマツ岳の山頂が姿を現してくれた。この稜線を眺めていると(去年撤退した)あの日のことを思い出さずにはいられない。あの、ポールの折れる音、雨が吹き込んでくる音、風に虚しく煽られる弱弱しいテントの音を今でも忘れない。

あの稜線に明日戻るのだ。そこで僕は何を感じるのだろう。大して何も感じないのかもしれない。リベンジという感覚も特にない。神威は、ソエマツは昨年と変わらずカッコいいままだ。

 

4月23日、神威岳(右)とソエマツ岳(左)
を望む極上のテントサイト

 

4/24

昨日の夕方から見事な夕焼け、晴れとなる。停滞あるあるになった、夜眠れないやつと、放射冷却がセットになって23時に目が覚めてしまった。1時間くらい、ガスをつけたり紅茶を飲んだりしてポカポカになって寝る。これで2時まで再び眠れた。

日の出直前の神威とソエマツは兄弟のようだ。美しい。今日はばっちり冷えているので、雪が締まって歩きやすい。気分良く神威ピーク。ここで何を思うだろうと考えていたが、特に感慨は無かった。(神威岳、ソエマツ岳、ピリカヌプリの南日高)三山を一気越えできて一安心。

今日も結局疲れ切ってしまった。風が強いんだよ。頼むよほんと。明日はトヨニ、野塚越え、あわよくば双子も。荷が減ってきたのは嬉しいけれど、行動食が足りるかが少し不安。

4/25

今日は空気がぬるい。スノーシューで歩ける尾根の太さになったことに、核心部を抜けたことを実感する。体が重くペースが上がらない。もうザックの重量は言い訳にならないので、疲労以外の何物でもないだろう。トヨニ北峰を過ぎると下り基調となり、この体でも何とかペースを維持できる。野塚岳東峰への登りは全て草付きの上を歩く。もう雪を歩くより進みやすくなってしまった。本当に、こんなに南まで来ているんだと感慨深くなる。双子山の双子のコルでテントを張る。

テントに入って、ここ数日考えていたことをサポートしてもらっている人々へ連絡する。分水嶺は明日の楽古岳山頂までとし、楽古山荘へと下山することに決めた。決めた要因には、体力や気力がもう十分に残っていないことや、残り日数の少なさに対しての先の天候の予報の悪さ、そして残雪不足による飲み水が確保できなくなる(テン場も)問題など様々なことがあった。けれど一番大きな要因は、すでに山頂部が黒い楽古岳の先の、さらに標高が低く雪の無いヤブの稜線にときめきを感じられず、楽しくないだろうと思ったからだ。明日、本当に楽古岳まで稜線を縦走できたなら、それ以上思い残すことは何もないだろう。その先は道路を歩いて襟裳岬を目指すことになるが、この判断通りに行動できれば、分水嶺縦断はほぼ完遂したと言って良いだろうと思っている。なかなか本当の意味で納得することは難しいことが多いけれど、この判断に関しては自信を持って納得したと言える。

4/26

今日で稜線を下りるのだと思うと名残惜しい朝。パッキングも随分と楽になった。ストック、ピッケル、スノーシュー以外は全てザックの中に納まった。今日は比較的体が軽い。とはいえ疲労は半端ではないので、ペースが上がる訳ではない。十勝岳から大きく下り、楽古岳へとひた登る。途中からヒグマのトレースと合流する。歩幅はとても大きいが歩きやすくてずっと同じラインを進んだ。山頂直下で雪は途切れて、代わりに登山道のような道が出てきてPeakまで。30分前まで晴れていたが、登り切る直前でガスに覆われてしまった。振り返っても進んできた稜線は見えないけれど、辿れば遥か600㎞先の宗谷岬まで、確かに僕の足跡が続いているんだ。なんだかちょっぴり誇らしい気持ちになる。晴れないかなぁと、1時間くらい山頂にいたら、1度だけトヨニ、ピリカ、神威まで見えた。カメラも出せないくらいの一瞬だったけど、僕にはそれで十分だった。ありがとう。

楽古山荘へ。本当に立派な山荘だ。

外は霧雨となったが、立派な山荘でそのことに気づかないほど快適だ。わずかなナッツを今日で食べ切ってしまった。

 

4月26日、最後の山頂となった楽古岳。山頂にはもう雪はない

 

4/27

朝、雨と風の音で目が覚める。大荒れだ。だからこそ小屋がありがたい。稜線にいたらどうなっていただろうと思うとゾッとする。昨年のような悪夢になっただろうか。それとも成長し、上手く切り抜けられるのだろうか。

2か月、とても長かった。とても充実していた。こんなにも濃い2か月は今後の人生にももう訪れないかもしれない。辛いことが90%以上だったけれど、残りの10%が補って余ってあふれるほどに幸せに満ち足りていた。それと同時にとても残念なことに、すでに前半部の感動は早くも薄れ始めている。あの時の感情をあの時のまま閉じ込めておくことはどうしても出来ないらしい。どれだけ写真を撮ってもどれだけ日記に言葉を紡いでも表現しきれないこの貴重な時間を可能な限り胸に刻みたい。次第に薄れゆく儚いものだからこそ、価値があるのだろう。今まさに僕はかけがえのない瞬間を生きている。きっと明日には忘れてしまうだろうけれど、今はそれすらも愛おしい。

食料がもう心もとない。この食料が尽きれば僕は生きられない。その前に里に降りるしかない。何だかもう終わったような気でいるけれど、まだ50㎞だか60㎞だか道を歩かなければ。旅を想いながら歩くにはちょうど良い距離だろうか。いや、少し長すぎるか。  辺りが暗くなってきた。今日という日が終わるのがとても寂しい。明日、街に降りれば僕はこの山旅から現実に戻る。そうすればもう夢の世界には戻れない。幸せだった夢がもうすぐ終わろうとしている。昨日まで不安に押しつぶされそうになりながら必死で稜線を進んでいたことが遠い昔のようだ。

気持ちを落ち着かせようと余ったガスを贅沢に使ってアツアツの紅茶を沸かす。猫舌だから10分くらい飲めなかった。ストーブで小屋はポカポカだからなかなか冷めない。十分冷めてから大きく一回、口に含む。毎日当たり前のように飲んでいた紅茶も明日で最後かもしれない。そう思って飲み干すのをためらっていたら気づいたら冷たくなっていた。

今夜は上手く眠れないかもしれない。

4/28

世話になった小屋を後にする。

小屋を出たらこの旅が終わってしまうような気がしていたけれど、楽古岳から下りてきたときにすでに旅は終わっていたらしい。

でも心配はいらない。終わりは次の旅の始まりだ。岬ではみんなが僕の帰りを待っている。

道端のタンポポがえりもの風に揺られていた。

 

4月29日、最後はアスファルトの道路を歩く。
岬まであと少しだ

 

4/29

襟裳岬では大勢の仲間が温かく迎えてくれた。優子がたくさんの方々に声を掛けてくれたのだけれど、その輪の中にサプライズで大阪から母親まで来ていた。

森進一は「襟裳の春は何もない春だ」と歌ったけれど、僕にとってはたくさんの笑顔咲く春だった。きっと僕は今、誰よりも幸せ者です。

応援してくださった皆様、気にかけてくださった皆様、63日間、本当にありがとうございました。

 

たくさんの仲間が迎えられて、
僕にもようやく春が訪れた

 


670㎞、63日間にわたる壮大な旅が終わった。本当に2カ月かかるのだ。でも2カ月あれば完遂できるのだ。本当にたくさんのことがあった2カ月だった。計画にないサポートを受けた。完全踏破ではないかもしれない。それでも今の僕に後悔がないのは、支えてくれる人に恵まれていたことに気づけたからだ。岬で待つ仲間の姿が見えたとき、思いがけず涙が頬を伝った。たくさんの心配も迷惑もかけた。だからこそ無事にやり遂げられたことを誇りに思う。

12章となる次回では、計画の振り返りを通して反省点、改善点をまとめたい。装備、食料、天候判断、心技体……。呆れるほどに、まだまだ未熟で伸びしろだらけだ。

プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

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