第9章 最後の関門、日高山脈へ|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~

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疲れ切った体でたどり着いた最終デポ地の佐幌山荘で待っていたのは、ネズミに食い荒らされた食料だった。計画を完遂するためにはどうするべきか。野村さんは、最後の難関・日高山脈を前にして、大きな決断を迫られる。

文・写真=野村良太

第4デポ地点である佐幌山荘

 

第9章 最後の関門、日高山脈へ

4月7日に最後のデポ地点である佐幌山荘に到達。だがあまりの疲労感から、ここへの到着リミットであった4月10日までは休養停滞とすることに決めた。その間に、ネズミに荒らされてしまった食料の補充と破損・紛失した装備(ストック、テントポール)の補給サポートを受ける。修理(石北峠にて)以外のサポートを解禁したのは、この先に続く技術的核心部「日高山脈」へ万全の装備で挑むための苦渋の決断だった。

それだけ「日高」のプレッシャーは大きく、45㎏のザックの重さも相まって得も言われぬ不安に襲われる。その正体は、解決策は。極限の精神力がここで試される。

43日目から49日目の足跡

 

4/9

ガタゴト音で目が覚める。あいつ(ネズミ)にしては音が大きい、と寝ぼけていたら優子だった。失礼。ありがとうございます。補充食料を受け取り、たわいない話をする。そういうとそっけないけれど、とても和む時間だった。田辺さん(NHKディレクター)に「残った分で行けるところまでとは考えなかったのか」と話を振られる。確かにそういう考え方もあって良いはずだ。少なくともノンサポを謳うのならばこの考え方の方が自然だ。実際、サポートを受けずにここまで来ていたらその考えに至ったかもしれない。けれどその段階はとうに過ぎてしまった。僕はもうサポートを受けすぎてしまっている。石北での修理はもちろんのこと、小屋をたくさん利用していることetc…。それに多くの区間でスマホの電波が入ることも精神面でとてつもないサポートだと言って間違いない。でもこれらを全てシャットアウト出来るほど僕は意志もこだわりも強く持てないのだ。何が正しいかは自分が納得することとほぼイコールに近いと思う。けれど納得と妥協の壁は薄く、それでいてとても大きなものに感じられる。納得と言い訳して妥協を許していないか。自由とは自分に厳しくなくては成り立たない。

夕方までは晴れていたが、18時頃から雨となる。雨は昨年のトラウマがよみがえるので気分が悪くなる。この何とも鬱屈とした気持ちごときれいに洗い流してくれないものか。

 

4/10

夜は風雨が激しかったが、朝になると穏やかになった。

いよいよ明日から3週間か。どんな結末になるのだろう。ワクワクする余裕はないなぁ。柄にもなく緊張している。日高ってやっぱりそういう場所だ。

晴れてほしい。雨が降らないでほしい。風が弱くあってほしい。雪が締まっていてほしい。楽しく幸せな日高にしたい。そのためにはスパイスも必要か。いやきっと、僕は甘党。

寝る前のラジオで衝撃を受ける。千葉ロッテの佐々木朗希投手が28年ぶりの完全試合を達成したという。しかも13者連続奪三振の日本記録に19奪三振の日本タイ記録…。

すさまじい。圧倒的だ。やはり目指すべきはこういう境地だ。装備の不備もなく、体調も万全で、事故無くケガ無く山から帰る。当然そこを目指すべきだ。僕は何か勘違いしていたのかもしれない。

さぁ、心は決まった。僕の山を表現しよう。日高さん、しばらくお邪魔します。お手柔らかにお願いします。

 

4/11

3時に起きる。飯を食って、掃除をして、今計画最重量のパッキング。想像通りの重さ(推定45㎏)だ。4日間お世話になったネズミーランドを出る。

外は雲海になっていて進む稜線以外雲の中に消えて、なんとも夢のような風景だ。唯一、雲の上に出ている稜線をひた下る。峠の手前で雲の中に吸い込まれると霧雨が降っていた。うつつに引き戻されたように、田辺さん三好さん(NHK撮影陣)のもとへ。別れの言葉は「襟裳で会いましょう。」良い響きだ。少し登るとまた雲の上に出る。朝のときほどの感動はもうなかった。

日没までののんびりと流れる時間が好きだ。ぼんやりと地図を眺め、明日の山々を妄想する。温かい紅茶をすすりながらかじる板チョコは至福の味がする。

長期縦走で大切なのは敏感力と鈍感力なんじゃないかと思う。あともう一つ、単純さというか、根拠のないポジティブさも重要だと思う。

何たって間違いない事実が1つある。(食料が減るから)明日のザックは今日より軽い。

 

狩勝峠と日勝峠の間にあるオダッシュ山。
帯広の街は雲海の中だ

 

4/12

今までで一番薄着で寝られた。オダッシュ山には立派な看板があった。

何といってもザックが重い。やはり体は回復できてはいないようだ。あわよくばペケレベツまでなんて浅はかな考えはとうに消え失せ、(日勝)峠でテントを張る気満々だ。この先しばらくはそれなりに天気が良さそうなのが嬉しいところ。ザックさえもう少し軽ければ楽しいんだけどなぁ。

あぁ楽しい稜線歩きがしたい。一日の終わりに寝るのが名残惜しいような、そんな夜が待ち遠しい。

  

4/13

予報では午前中は雨だが一応3時に起きる。外を見るまでもなく雨の音が響き、ものの3秒で再びシュラフに潜り込む。9時半、

今日出発するならそろそろリミットだが、霧雨は止む気配がない。停滞濃厚か。11時、少し止む気配が…。だが今度は、僕の方にもう出発する気力がない。12時を過ぎて、13時になろうかというタイミングで、とどめのもう一降りが来る。これで気兼ねなく停滞できる。今日のα米に水を注ぎ、一気にまったりモードとなる。

そうだった、僕の心は天気とリンクしているんだった。だったら今不安を感じるのも当然だ。明日晴れれば大丈夫。

 

あれだけ不安だったのが嘘のように、
朝日に照らされて一日の活力をもらう

 

4/14

久しぶりにピシッと冷えた朝。ぬれた後、凍りついたテントを頑張ってたたんで出発。レインクラスト小気味よく、急な尾根をスノーシューで上がる。ガスっていたけれど予想通り、ペケレベツ岳の登りで雲海の上に出る。山頂からは雲海から顔を出す十勝連峰、トムラウシ、1800mより上が晴れているようだ。

今年は雪が多いようだ。昨年この計画に挑戦した際は、雪の少なさが心配になるくらいだったから、今回は雪量にも恵まれていると言って良いだろう。

風のない快適なテン場。一応それなりには予定通りのはずなのだけれど、どうにも落ち着かないこの感覚はなんだろう。やっぱりこれが日高なんだなぁ。理由のない不安ってどうすればよいのだろう。モヤモヤを熱い紅茶で流し込む。いや、流れ切っていないなぁ。

  

4/15

ガスっているが風はなく、冷えた朝。展望はなし。ルベシベ山との尾根分岐の手前でようやくガスが少し抜け、山並みが見えるようになった。ここで気づく。この先のようやく日高らしい稜線が見えた時に一気に元気が出たのだ。

そして、昨日感じた得体の知れない不安の正体も少し分かったような気がする。3年前(2019年)、向こう見ずでがむしゃらに日高(山脈全山縦走)に飛び込んでいった自分と今の自分を比べてしまっていたのだ。あの時より少し賢くなって、その分臆病になった僕。行程を理解して、計算して食料を用意し、アクシデントに備えて様々な装備が増えた。3年前からストイックさやハングリー精神が減った分、退化したと幻滅したのだ。

24歳の僕に恥じない27歳でありたい。あの日の僕に成長しているなぁ、と感じさせたい。きっと今日の僕を3年後、30歳になった僕も振り返って見ていることだろう。情熱を燃やし、今も山に通っているだろうか。この先どんなに辛くて嫌になって逃げだしたくなったときも、この計画に一途に向き合った日々が励ましてくれる。そんな2か月にしたい。

 

テントから顔を出すと
稜線に夕日が沈んでいった


ここで改めて断っておきたい。ストック破損、テントポール流し、食料被害、これらのミスは当然、僕自身に全責任がある。運が悪かったわけでもなければ、まして各メーカーやネズミが悪かったわけではない。全ては僕の選択の結果であり、今思えばお粗末なものばかりだ。だがミスから目を背けず、受け入れなければその先の成長はない。自己嫌悪に陥ってくじけそうになるたびに、そう言い聞かせて今日も前へと進むのだ。

日高山脈には突入したものの、稜線自体はまだたおやかさを残していて、考え事をする時間が多かった。この先はそうはいかない。

第10章となる次回は50日目から56日目、4月16日~4月22日の日記から振り返る。

ついに日高山脈核心部へ。急峻な稜線はひと時の油断も許してはくれない。カムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳、日高の険しさと美しさを全身で感じながら歩みを進める。さぁここが今計画最大の正念場だ。

プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

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