北岳山小屋物語――新探訪② 白根御池小屋 最もなじみ深い山小屋の新管理人の情熱に触れる山旅

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広河原登山口から北岳に向けて向かう途中、ちょうど中間地点あたりに立つのが白根御池小屋だ。『南アルプス山岳救助隊K-9シリーズ』の著書で知られる作家の樋口明雄が、小説の中で何度も描いてきた舞台でもある。そんななじみ深い山小屋で、2022年から管理人となった吉澤斉大氏を訪ねた。

文=樋口明雄

 


昨年初秋、久しぶりに北岳に登った。コロナ禍で山小屋閉鎖があったりして、実に3年ぶりの訪問だった。

ふだんから毎日のように標高差100mぐらいの裏山に登って、体力と筋力を維持しているから3年のブランクは影響ないだろうと思っていたら、とんでもない。さすがに日本で2番目に高いだけあって、久々の北岳はつらすぎた。そんな登山の披露を癒やしてくれるのはやはり山小屋である。

白根御池小屋は北岳にある山小屋の中でもいちばんなじみがあった。広河原の登山起点から小太郎尾根に到達する中途の、標高およそ2230m付近にあるため、中継点として使われる場所である。しかし私の場合、登りも下りもここに立ち寄り、泊まっていくことが多かった。何しろ、拙著『天空の犬』に始まる山岳冒険小説〈南アルプス山岳救助隊K-9〉シリーズのメインの舞台であり、北岳の小屋の中でもっとも多く足を運んだ場所なのだ。

吉澤斉大氏は、この白根御池小屋で去年(2022年)から働くようになり、このたび正式に管理人を任されることになった。今春、40歳になるという吉澤氏は、若手ながらも山のベテラン。もちろん山小屋での仕事にも精通している。

そんな吉澤氏にインタビューをさせていただいた。

白根御池とテントサイトの様子。多くの登山者が行き交う場所だ

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東京生まれの吉澤氏は、中学高校時代から山岳部で山になじんでいた。飲食業からアウトドアメーカーに転職し、その頃からだんだんと本格的な登山の世界に入っていった。もっぱら北岳など南アルプスを中心に、いろいろな山に足を運んだという。

「山小屋で働くようになったのは、何度となく通ってきた南アルプスを、もっと深く知ってみたいと思ったためです。中でも北岳は職場の同僚や知人とともに登り、思い出がたくさん詰まった場所でした。北岳山荘付近の稜線からの景観や、季節を変えて咲く幾多の高山植物にも魅力を感じていました」

2014年にアウトドアメーカーを退職した吉澤氏は、北岳山荘のスタッフとして働くことになる。

「それまでひとりの登山者として山小屋を見てきたんですが、実際に自分がそこでの仕事に携わるようになると、見えない部分での仕事が想像以上に多くてびっくりしました」

標高3000m近い稜線に建つ北岳山荘は、黒川紀章氏がデザインしたことで有名な、古い山小屋である(去年は大幅な改造工事のため、テント泊以外の宿泊は休止されていたが、現在は施工完了して今年度からは宿泊が可能)。

6年の間、北岳山荘のスタッフとして彼は働いてきた。

「初めての山小屋での仕事が北岳山荘で良かったと思うんです。標高の高い場所にあるから何しろ気象条件がシビアで、夏場だって半袖を着ていられるのは20日ぐらいですからね。山小屋の環境は天候に大きく左右されるし、とにかくやるべきことが多くて、それこそ毎日が必死でした」

かつてアウトドアメーカーで登山のノウハウに関することをいろいろ学んできたが、やはり山小屋での作業は、実地で何がどれだけできるかというスキルがものをいう。頭を使い、体を使い、あれやこれやと無駄のない動きでテキパキと働かなければならない。

そんなふうに北岳山荘でつちかった経験が、このたび、彼自身が管理人として営業するようになった白根御池小屋でも役に立つに違いない。

「北岳山荘には発電機が7台あったんです。7台それぞれの役割があって、まったく目的が違うんですよ。一方で、白根御池小屋には発電機が2台しかない。だけどそのぶん、ちゃんとシンプルに無駄なく発電機の有効利用ができている。最初に難しい山小屋仕事をこなしてきたおかげで、そういったことがちゃんと見えてくるんですね」

山小屋の仕事でいちばんの苦労はやはり小屋開けだと吉澤氏。とにかく毎日、雪との戦いである。しかし夏になったからといって安心はできない。

「台風が何度か過ぎ去ったあと、急激に気温が下がることがあるんです。そんなときに水道管の破裂があったりします。だから水抜き作業をちゃんとしなければいけません。体はまだ夏モードなのに、真冬の仕事をするわけですからね」

この日の白根御池小屋の朝食と夕食。登山者には好評だ


もちろん宿泊客の接待や食事など。山小屋としての本業もある。そんな多忙なときに舞い込んでくるのが遭難の報告。何を差し置いても、他のスタッフらと押っ取り刀で飛び出してゆく。

「去年の夏、吊尾根分岐付近から救助要請の連絡が入りました。高齢者三人のパーティだったんですが、ひとりが雨と寒さで行動不能になっていました」

折しも横殴りの雨の中、アルバイトの若者とふたり、吉澤氏は救助に向かった。呆れたことに、現場で発見した要救助者は、レインウエアこそ身にまとっていたもの、ペラペラに薄い上下だったという。防水機能もろくになく、浸透した雨で衣服も体もびしょ濡れになり、低体温症にかかっていた。

「軽量登山が流行といってもやはり限界があります。3000m峰は想像を絶する過酷な環境です。それに見合うだけのしっかりした装備で来て欲しいと思うんです」

龍神が住むと呼ばれる白根御池、何度でも訪れたい場所だ


そんなハードワークの日々が続いても、やはり山の仕事は魅力的なのだろう。

最近は、山小屋経営のコツのようなものが少し見えてきたと、吉澤氏はいう。イレギュラーな客層にあって、サービスのバランスをどこに合わせるか。北岳山荘と白根御池小屋とでは、はっきりとあり方が違う。自分が運営の立場になってみて、そのことが現実味をもって理解できた。スタッフに関しては、ルールで縛り、締め付けすぎないことがコツだという。

「自分がここで必要とされていると思ってもらえることがいちばんです。何かあっても、頭ごなしに叱ったり、否定したりしないで、個性を大事にする。同じゴールに向かうなら、どのルートを通ったっていい。その人がしっかり考えていることがあれば、それを尊重する。つまり、多様性を積極的に受け入れるのが自分のやり方ですね。周囲のアルバイトのメンバーは、ここ何年か、ほとんど同じ顔ぶれなんです。だから気心が知れて、互いの連携がうまく取れてます。短期バイトよりも、やはり長期で常駐していて、いつも同じ場所から同じ景色を見ているほうが、いろんなことに気づくと思うんですよ」

宿泊にしろテント泊にしろ、山小屋の存在は登山者にとっては重要。砂漠の中のオアシスのように、なくてはならないものだ。だからといって、サービスを手抜きしたりはできない。そんな中で、「登頂はもちろん、その小屋に来るのが目的という客を増やしたい」という吉澤氏。そのためのオリジナルなアイデアを、今年の開業に向けて構想しているようだ。

これまでの多忙に輪を掛けて、ハードな日々が続くことになるだろう。そんな中、吉澤氏は、仲間たちのサポートを受けながら、白根御池小屋を営んでくれるに違いない。

プロフィール

樋口明雄

1960年、山口県生まれ。山梨県北杜市在住。山梨県自然観察員。
2008年に刊行した『約束の地』(光文社)で、第27回日本冒険小説協会大賞および第12回大藪春彦賞を受賞。13年には『ミッドナイト・ラン!』(講談社)で、第2回エキナカ書店大賞を受賞。
南アルプス・北岳を舞台とした山岳小説「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズのほか、屋久島を舞台にした小説『還らざる聖域』(角川春樹事務所)、『屋久島トワイライト』(山と溪谷社)、ノンフィクション『北岳山小屋物語』(山と溪谷社)など著作多数。近刊に『それぞれの山 南アルプス山岳救助隊K-9』(徳間文庫)がある。

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