北岳山小屋物語――新探訪④ 北岳肩の小屋 リニューアルした山小屋の「これから」を見据える

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北岳山頂の北側、標高約3000mの尾根に建つ北岳肩の小屋。2022年に全面改装された山小屋は、これからの時代を見据えて建築計画を行い、今まさに新しい北岳肩の小屋の歴史を刻み始めている。

文=樋口明雄

 


森本茂氏の家は、南アルプスへの玄関口である芦安の谷間、山懐にひっそりとあった。玄関近くにいる甲斐犬が、威勢良く吠えて出迎えてくれる。

「やあ、いらっしゃい」

標高3000mの山小屋で会ったときと変わらぬ人なつこい笑顔で、茂氏は奥様とともに筆者を迎えてくださった。

ご夫妻の暮らすこの家、なんと大正時代に建てられたという見事な古民家であった。畳の間に座ると、初代肩の小屋管理人の森本録郎氏を始め、ご先祖のご遺影が入った額が天井近くの鴨居に並んでいて、お子様の命名が記された奉書紙も古びた梁に並べて下がっていた。その中にはもちろん三代目管理人となった千尋氏の名もあった。そういえば時節柄、立派な雛飾りもある。

思わずかしこまって座卓の前で正座していると、「まあ、足を崩してください」と茂氏に笑われた。奥様がお出しになった美味しいお茶とお菓子をいただきながら、こうして久々のインタビューが始まった。

2017年9月に旧山小屋の受付にて


今回、肩の小屋の建て替えを考えたのは茂氏だという。

「もともとうちの小屋は父親(録郎氏)の代から、必要に応じて少しずつ修繕してきたんだ。それがこのコロナ禍をきっかけに、思い切って大きな改造をしようと思った。というか、この時期だからこそ、どうしても感染予防のために必要だったんだな」

2020年度は、新型コロナ感染拡大のせいで北岳の登山道が閉鎖となり、すべての山小屋が休業を余儀なくされた。では、ちょうどそのときに改装工事をしていたのかと訊ねると、そうではないという。

「あの年はまだ工事を始めていなかった。息子の千尋が維持管理とか、登山道のパトロールのために何度か登ったぐらいだった。あいつひとりで頑張ってくれて助かったよ」

工事は翌2021年から始まった。

「決まった期間での工事だったから、早く完成するように一から十まで段取りを考えた。おかげで何のトラブルもなく、スムーズに建て替えができた」


ヘリコプターによる荷揚げは当然のこと、工事資材からショベルカーまで、最低限のパーツに分解し、3000mの山の上まで搬送ができたのだという。

「同時期にやってた北岳山荘は、本格的な重機を運び込んでいた。うちは小型ユンボだけで大丈夫だった」

あとは天候次第だったそうだ。山岳地帯での工事はとかく天気に左右される。突然の雨風、そんな中でむろん工事の強行はできないため、空が荒れてくると職人たちは山小屋に避難した。

「とにかく天気には勝てないんだ。荒天になったら、みんなで回復を待つしかなかった」


それでも順調に工事が進んだのは、山馴れしている職人が多かったからだという。

「もともと知り合いの建設関係者ばかりだから、現場でのチームワークが良かったね。高い足場を組んで、まさに職人の技量を見せてくれた。みんな腕のいい大工だが、トビの仕事もちゃんとできる。寝泊まりもずっと同じ顔ぶれでいっしょだった。こういう仕事に馴れているから、みんなして建設現場の傍で寝起きしてたんだよ」

高所での危険作業もあっただろう。しかし、怪我人はいっさい出なかったという。

「あんな場所で怪我なんかしたら大変だろう? 作業もそれだけ遅れるし。だから、そんなことにならないように、ちゃんとプロが集まってくれたんだ」


そうして2022年秋、肩の小屋の改修工事は予定通りに無事終了した。筆者もちょうどその頃に訪れたが、改修というよりも、一軒まるまる建て直したような変貌を目の当たりにして驚いた。

「基礎部分の面積は変えていない。高さと、間取りを大きく変えた。収容人数を増やしたり減らしたりするつもりはなかったから、とにかく内部構造を大きく変えてみたんだ」

前号にも書いたように、新しい肩の小屋は空間が広い。天井が高くなり、風通しを良くして空気の流通を考えた構造になっている。

現在、北岳にある多くの山小屋はネット予約がメインとなってきたが、肩の小屋にかぎっては、あくまでも電話での受付と応対にこだわっている。

「やはりお客さんとも直接のコミュニケーションが大事だと思うんだね。今の北岳の天気だとか、いろんな情況をお話しして、登山者の安全を図るということが大切なんだ」


たしかにネット予約は手早くて便利だが、一方で弊害もある。

「うちだってたまに、安易にキャンセルしてくるお客さんがいるからね。きっと麓のホテルや旅館と同じような感じで気軽に予約されるんだと思う。もちろん悪天候の最中に無理に登ってこられても事故につながるから、キャンセルはやむを得ないんだ。だから、受け付けるわれわれの側も、天候などの気象条件や環境に注意してお客さんを案内しなきゃいけない」

もちろんコロナ禍のさなかでもあるし、感染防止にも気を遣う。筆者が泊まったときも、寝袋またはインナーシーツ持参が条件で、直に寝具が体に触れないように工夫されていた。また各部屋にはパーテーションが立てられ、そこで眠る客同士も距離があり、空間の余裕が作られている。

宿泊客である登山者たちも、最近はずいぶん形態が変わってきた。これは何度も書いてきたことだが、それぞれのスタイルで独自に山を楽しもうという趣向が広がり、ことにソロ登山者が増えた。若い女性のテント泊による単独行も、今では当たり前に見られる。それはコロナ禍以後にキャンプブームがあったり、現実から離れた場所で、ひとりの時間を見つけたいという思いがあると茂氏はいう。かといって、山に来たという解放感から、常識外れに浮かれ騒いだり、酔っ払って迷惑をかけたりする客は、まずいないそうだ。

「昔からうちのお客さんはわきまえているというか、羽目を外したり、ひどいマナー違反なんかはなかった。酒を飲み過ぎてどうだとか、そんなトラブルもない。何しろ朝は早立ちが鉄則だし、他のお客さんたちもいるし。だいいち標高3000mの場所で下手に酔っ払うわけにはいかんからなあ。それをみんな、わきまえてくれているんだ」


一方で、相変わらず遭難事故は毎年のように多発する。去年も何件か、肩の小屋から救助のメンバーを出発させた。

「突然、救助の要請が入ってくるからね。たとえ夜中でも、うちの千尋がスタッフを連れて現場に駆けつけるよ」

それでなくても多忙な折にたいへんな労苦だ。つらくはないですかと訊いた。

「つらいというか、千尋は救助活動が自分の使命だと思ってるんだ。だから、要救助者が助かったときなんか、自分に達成感みたいなものがあるんだろうね。オフシーズンも、あいつは要請があれば、あちこちの山に救助に出かけてるし、ふだんから登山道の整備に努力もしてるんだ」

息子のことを語る父、茂氏の人なつこい笑みは、親子で山に生きてきて、泣き笑いをともにしてきた証であるだろう。

この年、創業66年になるという北岳肩の小屋。今年もまた大勢の登山客たちが訪れ、森本親子の笑顔が彼らを出迎えることだろう。

プロフィール

樋口明雄

1960年、山口県生まれ。山梨県北杜市在住。山梨県自然観察員。
2008年に刊行した『約束の地』(光文社)で、第27回日本冒険小説協会大賞および第12回大藪春彦賞を受賞。13年には『ミッドナイト・ラン!』(講談社)で、第2回エキナカ書店大賞を受賞。
南アルプス・北岳を舞台とした山岳小説「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズのほか、屋久島を舞台にした小説『還らざる聖域』(角川春樹事務所)、『屋久島トワイライト』(山と溪谷社)、ノンフィクション『北岳山小屋物語』(山と溪谷社)など著作多数。近刊に『それぞれの山 南アルプス山岳救助隊K-9』(徳間文庫)がある。

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