第8章 大雪山系を駆け抜ける|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~

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空きっ腹を抱えてヒサゴ沼避難小屋で停滞を余儀なくされたが、待っていたのは美しく穏やかな朝日だった。快調に稜線を進む日もあれば、思わぬアクシデントに戸惑う日もある。大雪山系、十勝連峰を抜けて、最後のデポ地点、佐幌山荘で野村さんが目にしたものとは……。

文・写真=野村良太

4月5日、快晴無風の十勝連峰を闊歩して
上ホロ避難小屋を越える

 

第8章 大雪山系を駆け抜ける

石狩山地も後半戦。気象条件の厳しい中央高地で、心の友と信頼していたラジオの好天予報に裏切られると、いよいよ何も信じられなくなってくる。ヒサゴ沼避難小屋に僕を4日間閉じ込めていた吹雪が収まると、そこには大雪山系、十勝連峰と続く白銀の大縦走が待っていた。

ルンルン気分もそこそこに、またしてもアクシデントに見舞われる。どうして僕は、こうもミスを犯してしまうのか。一難去ってまた一難。度重なる困難が待ち受けていても「どうすれば乗り越えられるだろう」と思えていることだけは誇らしい。「もうだめだ」と諦めてしまったら、その瞬間にこの夢の時間は終わってしまうから……。

36日目から42日目の足跡

 

4/2

風の音がするが、予定通り5時過ぎに(第3デポ地点であるヒサゴ沼避難)小屋を出る。しかし、15分も歩きヒサゴ沼のふちまで来ると完全にホワイトアウトしてしまった。振り返ると今さっきのトレースが見る見るうちに消え失せ、恐ろしくなってしまった。迷うことなく小屋へ引き返す。6時前に戻りラジオを付けると「本州方面から高気圧が張り出し、全道的に日差しに恵まれるでしょう。降水確率は10%未満です…。」…。ここは北海道ではないのだろうか。もうエイプリルフールは終わったはずだけれど…。

余分な食料もないので、シュラフに包まってただ時が過ぎるのをひたすらにじっと待つ。寒い。

昼になっても風は止まない。だが、ラジオではしきりに道内の好天を告げている。彼らが言うには明日も晴れるらしいが期待してよいのか判断できない。

夕方になっても風雪は回復の兆しを一切見せず、むしろ勢いを増すばかりだ。明日でこの小屋にいるのも4日目だ。斜面を5分も登れば電波が入るのだけれど、この風雪ではそれも一苦労どころではない。この絶妙に世間から“のけもの”にされている感覚はなんだ。手が届きそうでギリギリ届かない“日常”。世の中から隔絶されて、初めて分かる俗世へ依存する哀れな僕。やはり山だけでは生きられそうにない。かと言って勇んで社会の歯車になることを嫌い、山の道へ迷い込んだ僕。光はどこにあるのか。太陽よ、顔を見せてくれ。

単独行は響きも中身もカッコいいけれど、その分過酷で辛い。僕はきっと、誰かと行く山の方が好きだ。じゃあなぜ独りで山へ向かうのか。やっぱり強くなりたいのだ。ただ漠然と強い山屋になりたいのだ。この世界で生き抜くだけの力と自信が欲しいのだ。なのに、山に深く分け入るほどに自分の弱さばかりが見えてくる。山は、特別なふるまいをしているわけではない。至っていつも通りだ。僕だって…。僕だって…。

 

停滞中はできることは限られている

 

4/3

一応4時に起きる。風の音が物凄いのでシュラフから出ることもなくもう一度寝る。気づいたら7時だった。慌てて外を覗くが、何も変わっていない。絶望感に打ちひしがれる。今日もやはり厳しそうだ。

快晴のトムラウシ山を心に描く。この停滞明けの大雪山はどれほど美しいのだろう。ひょっとしたら直視できないかもしれない。それでも良い。早く明日になってほしい。

  

4/4

4日間お世話になった小屋を後にする。暗い中でも晴れていることが良く分かる。北沼手前で空が白み始める。東の空が段々と紅に染まり、石狩稜線のシルエットが浮かび上がる。一方、西の空は星がまだ瞬いている。なんて贅沢な時間だろう。やがて音更山と石狩岳山頂の間から太陽がのぞき、北沼のシュカブラをピンク色に染めてゆく。

トムラウシ山を越えて快調に三川台へ。全て見渡せるので、豪快にショートカットしてツリガネ方面へ。快速飛ばしてコスマヌプリも越えて、オプタテシケ直下へ。まだ10時半だ。ここからは600mの急な直登。さすがにペースが落ちて、足も疲れてきた。12:15山頂。Peakからは大雪山が全て見える。やっぱこれだよ。下ホロが少し近く感じた。

この先もアイゼンが小気味よく効く快適な稜線歩きで胸躍る。

本当に気分のよい一日だった。青空がオレンジ色に変わってきた。今日が終わってしまうんだな。でもやり残したことはない。今日は良く眠れそうだ。

 

 

4月4日、一面凍った北沼を、石狩岳から
昇った朝日がピンク色に染める

 

4月4日、停滞明けのトムラウシ山

 

4/5

心配していた風は大したことなかったが、なぜか全く眠れなかった。今思えば浮かれていたのかもしれない。日の出前のパッキング中に事件は起きた。テントからポールを抜き、3秒ほど目を離した隙にテントポールは忽然と視界から消えてしまった。信じられなかったが、よく見るとほんのうっすらと雪面にポールが滑った跡が残っていた。…。無くなったのはテントポール1本。風のない樹林帯であればポール1本と張り綱とスキー2本で何とか立てられると思う。いよいよ泥臭い計画になってきてしまった。

思った通り、ポール1本でとスキー2本でテントを立てられてホッとする。

山荘まで辿り着けたら余りの日程は天候によらず休養停滞としよう。ひょっとしたらもっと休養が必要かもしれない。あぁ、サポートなし、なんて言っていた頃が懐かしい…。

  

4/6

樹林に守られた穏やかな朝。風の音はしているが、今日は良く眠れたので気分は良い。(下ホロカメットク)山頂はガスガスだったが、下りようとすると晴れてくれた。これにて石狩山地ラストピーク。お世話になりました。

樹林帯に入ってスキーに替え、一気に下る。ガスの下に出たと思ったら下ホロPeakも晴れていた。まだ8時だけれど、もう体がダルい。やはりこの疲労は深刻だ。

この先はうっそうとした森の中を進む。どこにいるのかよく分からない。巨木だらけで見通せないのでコンパス頼りだ。分水嶺を進みたいのだから、沢を避ければ良いのだ。言葉で言うのは容易いが…。

テントを張り終えると、パラパラと降ってきた。今日もポールは1本だ。

 

テントポールを紛失し、
残る一本だけでテントを立てる

 

4/7

3:30に目覚ましをかけたが、4:00まで二度寝してしまった。森は意外と疎らで太陽が明るい。昨日の区間よりは地形が分かるがやはり難しい。

佐幌山荘が見えて思わず頬が緩む。本当に辿り着いたんだ。今年2月にデポしに来たとき、いや、昨年のデポで初めて来たときには、この山荘に着く想像ができなかった。誇らしくなる。

あー、まずい事態が起きてしまった。デポバッグがかじり開けられてしまったようで、チョコや柿ピー、フルグラが散乱している。心も体も休まる暇がない。仕方がないのでネズミ被害状況を確認する。

連絡すれば誰かが助けてくれる状況にあるという意識が少なからずある気がしてきた。きっと実際のサポートの有無によらず、その意識を持てることがサポートなんだ。その意味でこの計画は最初からノンサポではない。角幡唯介さんが小屋のデポを白熊に荒らされ、ブリザードに閉じ込められ、連れていた犬(ウヤミリック!)を殺して食う覚悟までしたあのハプニング、あれこそノンサポートの恐ろしさだ。どこまで本当に覚悟したのかは知らないけれど。

  

4/8

かわいいねずちゃんがひっきりなしに這いずり回り、ガリガリと何かをかじっている音で何とも落ち着かない夜を過ごす。日も跨いでしばらくするとどうしても起きていられなくなり、気づいたらラジオを付けたまま寝落ちしていた。

明日、不足する食料を優子が補充しに上がってきてくれることになった。つくづく恵まれている。ありがたい。

盛大に破いてしまったオーバーズボンを針と糸で縫い合わせる。1時間くらいかかってしまったが、何もやることがないよりは心をごまかせる。さすがの不器用さを発揮し、何とも不格好だが、いつ振りか分からない裁縫にしてはよくできました。

思い出したように全身をマッサージする。腰とふくらはぎがパンパンに張っていた。


この1週間はあまりに多くのことが起こりすぎて、うまくまとめることができない。感情がジェットコースターのように上下して、「平常心で、気持ちの起伏はできるだけ少なく」と思い描いていた理想の自分とは程遠い。

63日の期間中でいちばん多く下界と連絡を取った。それまでは数日おきの優子への生存確認と、1日1回の天気予報確認だけだったが、サポートが必要となったこの状況ではそうはいかない。佐幌山荘では電波に助けられ、サポートをお願いすることができた。もはや単独なのかどうかも怪しくなってきた。それくらい、僕は周りの人に助けられている。

第9章となる次回は43日目から49日目、4月9日~15日の日記から振り返る。

休養停滞を終えて、最後のデポ地点佐幌山荘を出発する。ここから単独ノンデポでの日高山脈全山縦走が始まった。すでに消耗しきったこの体で果たして完遂できるのだろうか。持てる力を振り絞って、果敢に、冷静に、北海道の背骨へと足を踏み入れる。

プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

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