鳥海山北麓に広がる神秘の森、獅子ヶ鼻湿原。森の巨人を訪ねて

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東北の名峰・鳥海山は、ブナ林が主体となった緑の帯(グリーンベルト)によって、標高400~1100mあたりをぐるりと取り巻かれています。山肌に雪形が現われる5~6月頃、ようやく淡い緑が麓から目立つようになり、やがてこの緑が山を駆け上がるように森林限界まで到達します。この豊かな森で、静かに自然を見守り続ける巨人に会いに行きましょう。

写真・文=斎藤政広

森の巨人、あがりこ大王

森の巨人、あがりこ大王


鳥海山北麓にある獅子ヶ鼻湿原は、湧水群や植物の群落などが国の天然記念物に指定されており、豊かなブナの森が広がっています。渓流の音に耳を傾け、炭焼きの窯跡をたどり、湧水に育まれた森をめぐります。

中島台レクリエーションの森からスタート。駐車場、トイレ、管理棟があり、右手には広大な広場があります。ここで体をほぐし、シンボリックなミズナラの大木に挨拶してから出発です。森の中に入り、赤川にかかる橋を渡って、木道を進んでいきます。

ミズナラの大木がある広場

ミズナラの大木がある広場

赤川のせせらぎ

赤川のせせらぎ

森の中には、木道が整備されている

森の中には、木道が整備されている


沢の音を聴きながら、森の中に続く木道を進んでいくと、分岐に出ます。ここから、森の巨人・あがりこ大王に会いにいきましょう。途中に炭焼きの窯跡を脇に見ながら登ります。かつて、このあたりの森は炭焼きのために積雪時期に伐採され、盛んに炭焼きの煙が上がっていました。

炭焼き窯跡

炭焼き窯跡


まもなくで、あがりこ大王に到着。ブナの巨木であるあがりこ大王は、推定樹齢300年以上といわれており、森の神が宿っているかのような神秘的な威容を見ると、「大王」と呼ばれるのもうなずけます。伐採された部分から蘖(ひこばえ)が成長し、若木となってすくすくと伸び、このようなみごとなあがりこが育つ森が生まれたのです。

ここで自然の中に身を置き、ゆったりと森の時間に浸りましょう。

あがりこ大王を前にしばし休憩

あがりこ大王を前にしばし休憩


再び分岐に戻り、少し登って次は出壺(でつぼ)に向かいます。森の中を流れる渓流を渡ると、まもなく出壺に到着。豊かな水がこんこんと湧き出しています。

清らかな水が湧きだす出壺

清らかな水が湧きだす出壺


ここからは山際をたどる山道になります。T字分岐に出て再び木道歩きとなり、水路施設の側道に出ます。鳥海マリモの観察地やあがりこ女王を訪ね、やや斜度がきつい道を登り切ると出壺への分岐道に戻ってきます。ここからは来た道をゆっくりと、中島台レクリエーションの森へと戻ります。

森の中の渓流。水の豊かさがわかります

森の中の渓流。水の豊かさがわかります


森の山道ではさまざまな出会いが生まれます。ときおり美しい羽で輝くのは、オスのエゾミドリシジミ。幼虫はミズナラ、コナラなどを食樹にしています。年に一度の発生でギリシャの神話、西風の神「ゼフィロス=Zephyros」にちなんでゼフィルス(ミドリシジミの仲間たちの総称)とも呼ばれています。

森の宝石ともいわれるエゾミドリシジミ

森の宝石ともいわれる
エゾミドリシジミ

この時期、目立つようになるブナの実

この時期、
目立つようになるブナの実

オオカメノキの葉に映り込むシダの影。面白い発見から自然観察が始まる

オオカメノキの葉に映り込むシダの影。
面白い発見から自然観察が始まる

オニシモツケの白い花が咲き始めた

オニシモツケの
白い花が咲き始めた


森を抜け出し、スタート地点の明るい草原に出るとベニシジミが姿を見せてくれました。スイバやギシギシが食草です。

ベニシジミ

ベニシジミ


もし時間に余裕があるようでしたら、場所は少し離れ、車での移動となりますが、苔がみごとな「苔の元滝湧水群」を訪ねてみるのもよいでしょう。

神秘的な苔の元滝湧水群

神秘的な苔の元滝湧水群

MAP

コースタイム:約2時間10分

⇒付近の地図を見る

この記事に登場する山

山形県 / 出羽山地

鳥海山・新山 標高 2,236m

 山形県と秋田県境にそびえる成層火山で、東北を代表とする高山である。秀麗な山容から出羽富士、秋田富士の名で親しまれている。  山は中央火口丘の新山(最高峰)を中心に、行者岳、伏拝岳、七高山の比較的新しい東鳥海火山と、火口湖だった鳥ノ海(鳥海湖)、中央火口丘の鍋森を中心とする、笙ヶ岳、月山森、扇子森の西鳥海火山、および山腹に付随する寄生火山からなる複式火山である。  有史以来度重なる噴火活動が人々の畏怖の的となり、山そのものが火を吹く荒ぶる神としてあがめられ、山岳宗教が発達した。山頂には、大物忌神を祭る「大物忌(おおものいみ)神社」がある。ところが、修験道の発達とともに山上の奉仕権と嶺境の争いへと進み、江戸幕府裁定で決着を見るという、人間臭い一面を今に残す山である。  日本海から山頂部まで、わずか約15kmの独立峰で、冬の季節風をまともに受けるため、山の方位によっては積雪や風に大きな違いが見られる。そのためチョウカイフスマ、チョウカイアザミ、チョウカイチングルマなどの鳥海山特有の植物をはぐくみ、植生を規制してきた。  1673年から数回、幕府の命によって、採薬登山が行われている。また、イギリスの登山家、ジョン・ミルンが1879年に登山し、わが国で初めて氷河問題の口火を切った山でもある。純粋な意味での登山は、朝日連峰、飯豊連峰に遅れをとり、大正末から昭和初期に始まった。  そして、昭和22年(1947)には、県立自然公園の指定を受け、国民体育大会開催(1952年)、国定公園指定(1963年)、さらには山岳観光道路「鳥海ブルーライン」開通などにより、山岳観光地として全国的に脚光を浴びるようになった。なかでも、スキー登山の地として人気が高く、ゴールデンウィークなどは全国から集まる愛好家で賑わっている。  かつて熊が爪跡を残し、ヤマヒルが巣くったという百宅口のブナも乱伐が進み、痛々しい変容ぶりである。昭和49年(1974年)には、153年ぶりに火山活動も見られた。しかし、宗教登山からスポーツ登山へと変わっても、日の出の力強い陽光を浴びた鳥海山が日本海上に写し出される「影鳥海」や冬の外輪山の内側の岩肌を飾る「岩氷」などは、単なる美しさを通り越して、今でも充分に神々しい。  鳥海山は、山岳信仰の息吹を残しつつ、東北の山特有の落ち着いた雰囲気と温もりのある山である。  登山道は、かつての登拝路を中心に山形・秋田両県から数多く整備されており、山頂まで約5時間。

プロフィール

斎藤政広(さいとう・まさひろ) 

横浜市生まれ、山形県酒田市在住。東北のブナの森や山々をフィールドに歩き、山麓での多彩な自然との出会いを楽しんでいる。おもな著書に『鳥海山・ブナの森の物語』『鳥海山・花と生きものたちの森』『鳥海山・花図鑑』(無明舎出版)、『森のいのち』(メディア・パブリッシング)、『山と高原地図 鳥海山・月山』(昭文社)などがある。

今がいい山、棚からひとつかみ

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