夏山診療所からの提言④ 低体温症の診療事例と対策

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登山者にとって、深刻なトラブルとなるケガや病気。雑誌『山と溪谷』2023年6月号より、5つの山岳診療所を取材した企画を紹介したい。夏山シーズンを前に、主な傷病の事例、および予防法や対処法を解説する。今回は実際に医師たちが体験した、低体温症の診療事例と予防・対処法を見ていこう。

取材・文=羽根田 治、イラスト=いちろう、取材協力=臼杵尚志(三俣診療所)・水腰英四郎(立山診療所)

夏山診療所とは

登山者のケガや病気に対応するため、夏山最盛期のみ、日本アルプスや富士山などの主な山小屋に併設される診療所。そのほとんどは大学の医学部などによって運営され、医師や学生らのボランティアによって成り立っている。

低体温症の診療事例

人間の体温は、体がつくり出す熱(産熱)と、その熱を体外に排出する(放熱)機能の働きによって、通常36〜37度に保たれている。しかし、標高が高い山や北海道の山では、真夏でも天気が崩れれば低体温症に陥ることも。とくに子どもや高齢者は要注意。

天候が悪くなってきたら、
早めの退避行動を心がけたい

北アルプス・立山(雄山)の場合(報告・立山診療所)

風雨に打たれてずぶ濡れになり、下山途中で子どもが行動不能に

8月上旬のある日の午後、一ノ越から雄山に至る登山道上で遭難事故が発生した。父親と雄山に登った小学生の男児が、下山途中の標高2800mのあたりで動けなくなってしまったのだ。親子が登山を開始したときの天気は曇りで、視界も悪くなかった。しかし、しばらくして雨が降りだし、風も強くなってきた。そのなかを二人はずぶ濡れになって行動していたが、とうとう男児が行動不能に陥ってしまい、父親が救助を要請してきたのだった。

救助要請を受け、富山県警山岳警備隊員と立山診療所の医師がただちに現場へと向かった。先行した隊員が現場に到着して背負い搬送を開始し、一ノ越山荘の近くまで下りてきたところで医師と合流し、医師が男児の容体を確認した。男児の意識はしっかりしていたが、衣服は濡れ、体も冷えきっていた。震えが止まらず自力歩行は不可能で、こうした状態から医師はⅠ度(軽度)の低体温症だろうと判断した。

その場で乾いた服に着替えさせ、雨具を着せて搬送を再開し、立山診療所に運び込んだ。診療所でストーブにあたらせて加温し、カロリーを補給させるとだんだん元気を取り戻してきて、最終的には父親といっしょに公共交通機関で帰っていった。

この時期、立山周辺のルート上にはまだところどころに雪渓が残っている。その上で風雨に打たれれば、体感温度はかなり下がるはずだ。とくに子どもや高齢者は、熱を産生する筋肉量が少ないので、低体温症になりやすい。2009年7月に大雪山系のトムラウシ山で起きたツアー登山の遭難事故では、若いガイドや参加者は生還できたが、高齢者がばたばたと倒れていってしまった。今回のケースでも、父親は大丈夫だったが、子どもが低体温症になってしまった。大事にならずにすんだのは、「カロリーの摂取」「隔離」「保温」「加温」という4原則の対処が適切かつスムーズになされたからだった。

低体温症に陥った子どもを背負い搬送する
警備隊員ら(写真提供=立山診療所)

低体温症の予防・対処法

カロリー摂取・隔離・保温・加温が予防・対処の4原則。重症化を防ぐには震えがある時点での対応を。

低体温症はなぜ起こる?

人の体から熱が奪われる現象には、下の表に示した4つがある。これらが組み合わさり、産熱と放熱のバランスが崩れて適切な体温を維持できずに低下してしまった状態が低体温症だ。登山においては、「低温」「濡れ」「強風」の3つが低体温症の主要因となる。重症度は体温と症状で判断され、Ⅰ〜Ⅳ度までの4段階に分類されているが、自分たちで対処できるのはⅠ度のときのみ。Ⅱ度以上に進行してしまったら、救助要請をしなければならなくなる。

3つの主な原因

●低温や風対策が充分ではない
●雨や汗などでウェアが濡れる
●体温が下がって体に変調をきたす


■体から熱が奪われる現象
対流 空気が移動すること(風)によって熱が奪われる。風速1mで体感温度は1℃下がる
伝導 冷たい地面や雪の上に座ると、体温との温度差によって体から熱が奪われる
蒸発 かいた汗が蒸発するときに、気化熱として熱が奪われる
放射 人間の体から常に熱が放射されている現象

■熱中症の症状と重症度分類
重症度  
Ⅰ(軽度) 体温:35〜32℃、震え:あり、
脈拍・呼吸:良好
主な症状:震えはあるが、動作が鈍くなる。判断力が低下する
Ⅱ(中度) 体温:32〜28℃、震え:なし、
脈拍・呼吸:徐々に減弱
主な症状:震えがなくなる。意識障害が出はじめる
Ⅲ(高度) 体温:28〜24℃、震え:なし、
脈拍・呼吸:
主な症状:意識がなくなる
Ⅳ(重度) 体温:24℃未満、震え:なし、
脈拍・呼吸:なし
主な症状:心肺停止状態
『登山のダメージ&体のトラブル解決法』(山と溪谷社)より引用

低体温症の予防法は?

①防寒対策を万全に
夏山最盛期であっても、標高の高い山では朝晩かなり冷え込むし、悪天候に見舞われれば体感温度は急激に低下する。こうした状況を想定し、ダウンジャケットやフリースなどの防寒具やアウターシェルを必ず携行しよう。対処の遅れが遭難事故につながることもあるので、寒さを感じるようになったら我慢せずに、すぐに着用すること。

②ウェアを濡らさない
外気温が低いときに、ウェアが濡れた状態で強風にさらされると、瞬く間に体温が奪われて低体温症に陥ってしまう。行動中に雨が降りだしたら、様子見などをせずにすぐに雨具を着用しよう。また、状況に応じてアンダーウェア、ミドルウェア、アウターウェアをうまく組み合わせて、なるべく汗をかかないように行動することも大切だ。

③カロリーを充分に摂取する
低体温症を予防するうえで重要となるのがカロリーの摂取。体内で熱をつくりだすために必要なカロリーが枯渇しないように、チョコレートやナッツ類、ドライフルーツなどの糖類と炭水化物をこまめに補給しよう。悪天候下では、ザックを下ろさずにカロリーを補給できるように、ウェアのポケットやサコッシュなどに行動食を入れておくといい。

低体温症の対処法は?

①低温環境から隔離する
低体温症の初期症状として、最も顕著なのが震え。寒い環境下で震えがきているということは、すでにⅠ度の低体温症になっているか、なりかけていることを意味するので、早急に寒さと風雨を遮ることができる場所に隔離する必要がある。理想的なのは山小屋や避難小屋などだが、近くになければテントやツエルトを利用する。

②保温する
隔離後は、濡れたウェアを乾いたものに着替え、防寒具やアウターシェルなどを着込んで体を保温する。シュラフの中に入ったり、レスキューシートやツエルトを体に巻きつけたりするのも効果的だ。さらに、帽子やネックゲーター、タオルなどを使って、頭部や首筋からも熱が逃げないようにするといい。アウターシェルのフードをかぶれば、より温かくなる。テントやツエルトに隔離した場合は、下にマットやザックなどを敷いて行なうこと。

③加温する
保温をしたうえで、可能であればさらに加温をする。プラティパスなどの耐熱性の容器にお湯を入れて湯たんぽ代わりにし、胸などの体幹部に当てがって加温する。高カロリーの温かい飲み物を飲むのも、体を内部から温めるのに有効。ただしマッサージは、体表部の冷たい血液を体の深部に送り込んでしまうことになるのでNGだ。

コラム

歩き続ければ低体温症にならない?

低温下や悪天候下でも、歩き続けていれば体内で熱がつくりだされるので、低体温症にならずにすむという説がある。しかし、体内にあるエネルギー源が枯渇してしまえば低体温症に陥るし、エネルギー源が供給し続けることができたとしても、筋肉に限界がきてしまう。あとどれぐらい歩けば避難場所にたどり着けるのかわからないような状況では、やみくもに歩き続けるのはリスクが高い。それよりも隔離・保温して、無駄なエネルギーを使わないようにしたほうが安全だ。

 

診療所プロフィール

立山診療所
●設立:室堂ターミナル内の前身は1971年
●所属:金沢大学医学部十全山岳会
●開設期間:7月下旬〜8月末
金沢大学医学部山岳部・立山診療班のOB会である「十全山岳会」が運営する診療所で、室堂ターミナルに隣接する立山センター内に設けられている。夏山シーズンだけではなくGW中も開設。公共交通機関が通い、救急車も入れるので、立山・剱連峰の山岳医療の拠点となっている。雷鳥沢診療所と剱沢診療所も同会による運営だ。

【次回予告】
山での死亡原因第2位となっている突然死について、診療事例と予防法、対処法を紹介する。

山と溪谷2023年6月号より転載)

プロフィール

羽根田 治

1961年、さいたま市出身、那須塩原市在住。フリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆を続けている。主な著書にドキュメント遭難シリーズ、『ロープワーク・ハンドブック』『野外毒本』『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(共著)『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』などがある。近著に『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社新書)など。2013年より長野県の山岳遭難防止アドバイザーを務め、講演活動も行なっている。日本山岳会会員。

夏山診療所からの提言

雑誌『山と溪谷』2023年5月号からの短期連載「夏山診療所からの提言」より転載。夏山シーズンを前に、主な傷病の事例、および予防法や対処法を解説する。

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