夏山診療所からの提言⑤ 突然死の診療事例と対策

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登山者にとって、深刻なトラブルとなるケガや病気。雑誌『山と溪谷』2023年7月号より、5つの山岳診療所を取材した企画を紹介したい。今回は本人に自覚がないまま心疾患で突然倒れた2つのケースだ。1000m以上の標高差を登る富士山では体にかかる負担も大きい。

取材・文=羽根田 治、イラスト=いちろう、取材協力=前田宜包(富士山八合目救護所)

夏山診療所とは

登山者のケガや病気に対応するため、夏山最盛期のみ、日本アルプスや富士山などの主な山小屋に併設される診療所。そのほとんどは大学の医学部などによって運営され、医師や学生らのボランティアによって成り立っている。

山の突然死

近年、遭難事故要因のなかで約7〜8%の割合を占めるようになっているのが病気で、死者にフォーカスすれば、転・滑落などの外傷に次いで多いのが突然死と推測されている。突然死とは、交通事故などの外因死以外で、健康そうに見える人が瞬間的もしくは24時間以内に命を落としてしまうことをいう。その主な原因となっているのが、心臓になんらかの障害が起き、血液の循環不全によって引き起こされる心疾患である。

 

富士山の場合(報告・富士山八合目救護所)

富士登山中に八合目付近で突然倒れる。山小屋のスタッフがAEDを持って駆けつけ救助

その事故が起きたのは救護所にAEDが配備されたころで、ちょうど山小屋のスタッフらとともにAEDの使い方の訓練を行なった直後だった。吉田ルート八合目の下で倒れた登山者がいるとの連絡を受け、まず山小屋のスタッフがAEDを持って現場へと急行していった。救護所の医師も後を追い、15分ほどで現場に到着した。

倒れていたのは単独行の50代男性で、登山中に突然、意識を失って心肺停止状態に陥ったとのことだった。現場ではすでにスタッフがAEDを装着し終えていた。そして一発目の電気ショックを与えた途端、なんと男性は再び呼吸をしはじめた。典型的な突然死のケースだと思われたので、医師は「まさか息を吹き返すとは」と、たいそう驚いたそうだ。

ただし、呼吸は再開したものの、意識は回復していなかった。その場にいた者は協力し合って男性を山小屋に運び上げ、クローラー(荷上げ・人員搬送用のブルドーザー)と救急車で病院へと搬送した。男性が病院で意識を取り戻したのは、数日後のことであった。

また別の年には、同じ吉田ルートの七〜八合目の間で、家族連れで来ていた30代男性が突然倒れるという事故が起きたが、やはりAED の処置によって一命を取り留めている。

この2つのケースは、いずれも心疾患、それも冠動脈(心臓に血液を供給している血管)の疾患が原因となっていた。日常生活のなかでは症状が出ないため、本人も自覚していないのだが、標高の高い山に来て、低酸素下で運動負荷をかけたことによって発症したのではないかとみられている。

なお、吉田ルートでは、心疾患による心肺停止事例が毎年2~3件起きているが、助かるのは稀有な例であり、ほとんどの人が亡くなっているという。

登山中に突然倒れて意識を失った男性は、AEDによって息を吹き返した

 

突然死の予防・対処法

自分の体に潜む危険因子を生活改善によって取り除こう。体への負担を考慮し、計画は無理のないように。

突然死はなぜ起こる?

山での突然死の原因として最も多いのが、心疾患のなかでも「虚血性心疾患」と呼ばれる狭心症や心筋梗塞など。動脈硬化や血栓によって心臓の血管が狭くなり、心臓に血液が行き渡らなくなることで発症する。また、「大血管疾患」のひとつである大動脈解離による突然死も多発している。そのほか、脳梗塞や脳出血などの脳血管疾患も突然死を招く。これらのほとんどは生活習慣病に起因している。

3つの主な原因

●心疾患
●大血管疾患
●脳血管疾患


■突然死を招く主な心大血管疾患と脳疾患
心大血管疾患
狭心症 心臓の筋肉に血液を送る冠動脈にコレステロールが溜まり、動脈硬化が進んで血管が狭くなることにより、心臓への血液の供給が減少して起こる。胸の痛みや圧迫感などが主な症状。
心筋梗塞 心筋梗塞動脈硬化により冠動脈に血栓ができて完全に詰まってしまう病気。血液が流れなくなった心臓の筋肉細胞は壊死し、呼吸困難や血圧低下、意識障害を引き起こし、場合によっては死に至る。
大動脈解離 心臓から出ている大動脈が突然裂けて大出血を起こす。激しい胸痛、背部痛が症状で、突然死としてはいちばん多いとされている。
脳血管疾患
脳梗塞 脳の血管が突然詰まって血液が流れなくなる病気。脳細胞が壊死することで、手足の麻痺や言語障害、意識障害、視野障害など、さまざまな重篤な病状が生じる。
脳出血 脳の細い血管が破れて出血する病気で、 重大な後遺症を残しやすい 。頭痛、吐き気、 嘔吐、手足の運動麻車、感覚障害など、出血部位によってさまざまな症状が起こる。
クモ膜下出血 脳の表面を走る動脈のコブ(動脈瘤)が破裂し、 脳を覆うクモ膜の下に出血が広がることによって起こる。主な症状は激しい頭痛、嘔吐、意識障害など。死亡率は約40%と非常に高い。
*心疾患と大血管疾患を総称して「心大血管疾患」という

突然死の予防法は?

①定期検診を受ける
心疾患や脳疾患は、ふだんの生活のなかではほとんど症状が出ないから、なかなか検査を受けようとしないし、一般的な定期検査だけでは疾患を発見するのは難しい。しかし、生活習慣を見直すため、また自分の体の状態を知っておくためにも、定期検査は受けるようにしたい。

②生活習慣を見直す
“生活習慣病”ともいわれるように、心疾患や脳疾患は、食事や運動、飲酒、喫煙などの生活習慣に起因することが多い。塩分や脂肪の摂取を控える、暴飲暴食はしない、負荷をかけた運動を日常的にする、充分に睡眠をとる、タバコをやめるなど、生活習慣を見直して自衛に努めよう。

③無理のないペースで登る
山に登るときは、心臓になるべく負担がかからないように、自分の体力に見合った山・コースを選び、余裕のある計画を立て、無理のないペースで登ること。1日の行動時間が長いコース、標高差が大きい山は要注意。また、出発時に体調不良を自覚する場合は、潔く山行を中止しよう。

突然死の対処法は?

①救助を要請する
心疾患などで突然、心肺停止状態になってしまうと、残念ながら助かる確率はかなり低い。まして山では、救助が到着するまでにかなり時間がかかってしまう。もし山で突然倒れた人がいたら、まず心疾患による心肺停止を疑い、ただちに救助を要請することだ。近くに山小屋があれば一報を入れ、AEDを用意できるならすぐに手配しよう。

②基本は安静と保温
患者に意識があるならば、座れる場所に腰を下ろすか、足を伸ばして上体や頭を軽く起こすなどして、楽な体勢をとらせる。さらに体を締め付けているベルトやボタンを緩め、防寒具やレスキューシートなどで保温して安静にさせる。意識がない場合は、やはりウェアの締め付けを緩め、気道を確保する(手を額に当てて固定しながら、もう一方の手で顎を持ち上げる)。呼吸が確認できない場合は、速やかに心肺蘇生法に移行する。

③AEDまたは心肺蘇生を施す
山では救助やAEDが到着するまで時間がかかるので、それまで心肺蘇生(胸骨圧迫30回と人工呼吸2回を繰り返す)を継続して行なう。周囲にいる登山者にも協力を求め、交代しながら行なおう。抵抗があるなら人工呼吸は省略可。ちなみに診療事例で紹介した最初のケースでは、男性が倒れたときに、たまたま現場を通りかかった米軍兵士らが胸骨圧迫を開始したことが生還につながった。AEDが到着したら、音声ガイダンスに従って操作する。

山小屋スタッフにAEDの使い方を指導する(写真=富士山八合目救護所)

 

診療所プロフィール

富士山八合目救護所
●設立:2002年
●所属:山梨大学医学部
●開設期間:7月中旬〜8月下旬
富士山吉田ルートの八合目(3100m)にある山小屋・太子舘に併設する。富士吉田市立病院や山梨大学医学部附属病院をはじめ、全国からのボランティアの医師・看護師らの協力を得ながら24時間体制で運営。4人1班が2泊3日のローテーションで救護にあたる。2019年には「ポケトーク」を導入し、海外からの登山者にも対応する。

【次回予告】
次回は、転倒や転・滑落、落石などによる外傷・障害について、診療事例と予防法、対処法を紹介する。

山と溪谷2023年7月号より転載)

プロフィール

羽根田 治

1961年、さいたま市出身、那須塩原市在住。フリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆を続けている。主な著書にドキュメント遭難シリーズ、『ロープワーク・ハンドブック』『野外毒本』『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(共著)『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』などがある。近著に『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社新書)など。2013年より長野県の山岳遭難防止アドバイザーを務め、講演活動も行なっている。日本山岳会会員。

夏山診療所からの提言

雑誌『山と溪谷』2023年5月号からの短期連載「夏山診療所からの提言」より転載。夏山シーズンを前に、主な傷病の事例、および予防法や対処法を解説する。

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