山のいきものたちの宝庫! 私の上高地の過ごし方とおすすめ散策ガイド
文・写真=昆野安彦
私の連載のタイトルになっている『山のいきものたち』をライフワークにしようと思ったのは1985年のこと。私はその年の6月に、自然観察を目的とした1回目の上高地遠征を行なっている。以来、ずいぶん、上高地を歩いてきた。特にこの数年間は相当の日数を過ごしている。
2024年という新しい年を迎えるにあたり、今回の記事では、普段、私が上高地でどのような1日を過ごしているかを紹介したいと思う。私の上高地は自然観察が目的なので、同じような趣味をお持ちの方には少しは参考になるのではないかと思う。以下、早朝から順を追って書いてみる。
*
上高地での私はだいたい、テントを持参して寝泊まりしている。若い頃は徳沢によくテントを張ったが、最近は河童橋近くの小梨平キャンプ場を使うことが多い。その理由はバスターミナルから歩いてすぐのこともあるが、小梨平自体、山の生きものの観察にはとても良い場所だからだ。たとえば、私の動画サイトで公開しているコマドリとニホンアナグマの映像は、この小梨平で撮影したものだ。
*
起床は夜明けの頃。初夏なら4時頃だ。朝食を食べるにはまだ早い時間なので、朝の一仕事をしてコーヒーを一杯飲むと、カメラを持って付近の散策に出かける。5月頃だと野鳥は日の出前からさえずるし、早朝の柔らかい日差しのもとでの花の撮影は花がとてもきれいに撮れる。この早朝の散策は、私のお気に入りの時間帯のひとつだ。
小梨平では野鳥愛好家に人気のオオルリとキビタキも朝からさえずるが、私の動画サイトで公開しているオオルリの映像は、なんと私のテントの真上で撮影したものである。
*
この朝食前の散策は、小梨平を離れてウェストン碑まで行くことも多い。河童橋を渡って梓川右岸の遊歩道を歩いて行くが、この遊歩道は上高地の野鳥の宝庫。先ほどのオオルリやキビタキをはじめ、アオジ、ウグイス、メボソムシクイ、センダイムシクイ、ルリビタキ、ヒガラ、コガラ、ゴジュウカラなど、普段の生活ではなかなか見ることのできない野鳥たちが、ここかしこでさえずってくれる。
撮影に集中していると、あっという間に時が過ぎるが、朝食のために7時にはテントに戻るように時間を案配している。そしてテントに戻ると、起きた時に準備しておいた朝食をとり、さらにもう一度コーヒーを淹れた後、今度は午前中の遠出に出かける。
*
午前中の散策コースはその日の気分次第だが、たいていは徳沢方面に向かう。小梨平から梓川左岸の遊歩道を行くが、朝の木漏れ日の中の静かな道を歩くのはとても気分がいい。
私はこの道のことを「思索の道」と呼んでいる。それは、この気分のいい遊歩道を歩いていると、いろいろなアイデアが次々に湧いてくるからだ。
もっとも、いいことばかりではないようだ。それは思索に没頭しすぎて、その日の撮影目的の現場をうっかり通り過ぎてしまうことがよくあるからだ。この点は皆さんも十分、気をつけていただきたいと思う。
*
自然観察をしながらゆっくり歩くので、徳沢に着くのは10時頃。徳沢はハルニレの巨木が立ち並ぶ美しい草原だ。例年、5月中旬になるとニリンソウの白い花が一面に咲き、上高地屈指の花景色が目の前に広がる。また、6月になると、大ぶりの白い色が美しいヤマシャクヤクの花が徳沢の一角で見頃を迎える。
私の徳沢のイメージのひとつに野鳥のアカハラがある。それは、徳沢に着くと、いつもその「キョロン、キョロン」という優しいさえずりが木立の間から聞こえてくるからだ。このアカハラがさえずる瞬間を是非撮りたいと思っているが、なかなか近くに寄らせてくれない。これは2024年の私の課題のひとつだ。
30分ほどを徳沢で過ごしたのちに小梨平に戻るが、テントに着くのはたいてい12時過ぎになる。簡単な昼食を食べて少し休憩したら、今度は午後の散策に出かけるが、午前の徳沢とは逆方向の上高地浄化センターや田代湿原方面に向かうことが多い。
上高地浄化センター付近は歩く人が少なく、私の好きな自然観察スポットだ。たとえば、上高地で初めてホンドギツネとニホンジカを見たのもこの道沿いだ。また、少し先の湿原では、オオアカゲラやアカゲラなどの美しいキツツキを何度か見たことがある。このように浄化センター付近は、少し珍しい生きものに出会うことのできる、上高地でもちょっと面白い場所になっている。
*
上高地浄化センターの次は田代湿原に向かうことが多い。ここには梓川コースと林間コースという2つの遊歩道があり、どちらを使っても田代湿原に行けるが、この2つのコースの分岐点付近の水辺にイチョウバイカモという水草が群生している。運がよければ8月頃に、その梅に似た可愛い花を水面に見つけることができるだろう。
この2つのコースの先に美しい田代湿原が待っている。湿原を前景にした穂高連峰の写真は撮りごたえがあり、シーズン中はいつも大勢の人で賑わう。なお、この湿原には上高地ではこのあたりでしか見られないカオジロトンボという高山性のトンボが生息している。遊歩道の板の上に止まっていることもあるので、注意してみるとよいだろう。
*
田代湿原での観察が終わったら小梨平に戻るが、帰路は梓川左岸の道を通って帰ることが多い。とくに帝国ホテルとバスターミナルを結ぶ遊歩道は樹林の中の日陰の道。夏の暑い時期はこの涼しさが早朝から行動していささか消耗した体にはとても有難い。私と同じように暑さの苦手な方は、上高地ではこうした日陰の道を選んで散策するとよいだろう。
なお、最近は上高地を歩くと普通にニホンザルの群れと遭遇する。上高地では今のところ、サルに噛みつかれるなどの事故は起きていないようだが、油断は禁物。サルは人間に見つめられると攻撃的になるようなので、遊歩道で出会っても立ち止まって写真を撮ったりせず、目を合わせないように静かに通り過ぎることをお勧めする。
以上が午後のあらましだが、小梨平のテントに帰るのはだいたい午後3時頃のことが多い。
*
午後の自然観察を終えてテントに戻ると、夕方までの2時間は自然観察にはとらわれない自由時間にしている。キャンプ場に点在するベンチに座って甘いココアを飲みながら副食のナッツ類を食べたり、あるいは一日の疲労をとるために管理棟の「小梨の湯」に行ったりする。
「小梨の湯」はなかなか良い風呂で、この風呂があるおかげで日々の狭いテント生活もさして苦にならない。それどころか、目の前にはいつも穂高の雄大な景色があり、テントのまわりでは希少な山の生きものたちにも出会えるのだから、私にとってはまさに天国のような場所だ。
*
スタッフの方とも懇意にしているが、上高地の自然に詳しい方々とその日の出来事を語り合うのは、このキャンプ場ならではの楽しみのひとつだ。キャンプ場のFacebookには、シーズン中は毎日、冬も時折キャンプ場の様子が紹介されているので、関心のある方は一度見てみるとよいだろう。
なお、このキャンプ場には小梨平食堂と食材などが揃う売店も併設されている。持参の食材が尽きたときなどによく利用するが、私のおすすめメニューはサラダも付いた「トンカツ定食」。サクサクした揚げ加減の、食べ応えのある一品だ。
*
夕食は5時頃から準備を始めて6時には食べ終わることが多い。次の日も朝4時には起きるので、少々早いが、7時にはシュラフにくるまる。早朝からずっと行動していた体には、このシュラフの中で横になることが何よりの御褒美だ。
それでも朝まで熟睡することは稀で、夜中に時々目が覚める。そんなときはせっかくなのでテントから顔を出して夜空の様子をうかがう。もし星がきれいに見える場合は、星空をゆっくり見たいためだ。普段の生活では見ることのできない美しい星空は、寝てしまうにはあまりに惜しいものがある。
*
以上、上高地における私の標準的な1日の過ごし方を紹介した。きわめて個人的な内容なので、どれだけ参考になるかは分からないが、今回の記事が皆さんの参考のひとつとなり、上高地の自然をより深く楽しむきっかけになっていただければ、私はとても幸いである(2024年正月版として執筆)。
上高地周辺マップ
私が観察した上高地のいきものたち
季節 | エリア | 観察した上高地のいきものたち(必ず出会えるわけではありません) |
---|---|---|
5月中旬~6月中旬 | 小梨平キャンプ場 | 野鳥(オオルリ、キビタキ、ウグイス、ミソサザイ、アカゲラ)、植物(ニリンソウ)、動物(ニホンザル、ニホンアナグマ) |
5月中旬~6月中旬 | 梓川右岸(河童橋〜ウエストン碑) | 野鳥(オオルリ、キビタキ、アオジ、ウグイス、メボソムシクイ、センダイムシクイ、ルリビタキ、ヒガラ、コガラ、ゴジュウカラ) |
5月中旬~6月中旬 | 徳沢周辺(思索の道) | 野鳥(アカハラ、ミソサザイ、コマドリ)、植物(ニリンソウ、ヤマシャクヤク〈6月上旬~中旬〉)、動物(ニホンザル、ニホンアナグマ) |
5月中旬~6月中旬 | 上高地浄化センター付近 | 野鳥(アオジ、ウグイス、センダイムシクイ、オオアカゲラ、アカゲラ)、動物(ホンドギツネ、ニホンジカ) |
6月~8月 | 田代橋~田代湿原周辺 | 野鳥(キビタキ、アオジ、ウグイス)、植物(イチョウバイカモ(8月下旬))、昆虫(カオジロトンボ(6月下旬)) |
私のおすすめ図書
プロフィール
昆野安彦(こんの・やすひこ)
フリーナチュラリスト。日本の山と里山の自然観察と写真撮影を行なっている。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある
山のいきものたち
フリーナチュラリストの昆野安彦さんが山で見つけた「旬な生きものたち」を発信するコラム。