黒戸尾根から残雪の甲斐駒ヶ岳へ。友人と過ごす七丈小屋の一夜

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読者レポーターより連休の登山レポをお届けします。かずきさんは黒戸尾根(くろとおね)から残雪の甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)へ。

文・写真=かずき


初日は尾白川(おじらがわ)渓谷駐車場より入り、黒戸尾根ルートをじりじり登った。2000mを越えた辺りには登山道に氷が残っていたが、歩行に支障はない。五合目小屋跡から七丈小屋(しちじょうごや)まではハシゴや急坂が連続し、疲れた体が悲鳴を上げた。

甲斐駒ヶ岳黒戸尾根ルートのハシゴ
こんなハシゴが続く

12時45分に七丈小屋へ到着し、この日は行動終了した。

七丈小屋と甲斐駒ヶ岳
七丈小屋と甲斐駒ヶ岳

七丈小屋はこぢんまりとした大変過ごしやすい小屋で、久々に会う友人と酒盛りをしていたらあっという間に17時、夕食の時間となった。

甲斐駒ヶ岳・七丈小屋。山梨の地酒「七賢」をグラスと枡で出してくれる
山梨の地酒「七賢」をグラスと枡で出してくれる

夕食前に小屋番さんから、山頂までは前爪のあるアイゼン、ピッケルが必須であること、時間経過とともに雪が解けて歩きづらくなるため、早出早着を強く推奨する旨の注意喚起があった。この日は10名程度の宿泊者がいたが、全員が装備を持っており問題なさそうだった。

2日目は3時過ぎに起床し、朝食(いなり寿司。美味)をとり、夜景を眺めた。

甲斐駒ヶ岳・七丈小屋から韮崎市街の夜景を望む
韮崎市街が煌々と輝いていた

空が白んできた4時半に出発したが、この時にはほかの宿泊者はすでに出発していた。テント場を越えた場所から雪が出てきた。木や枝があちこち出ている急坂で歩きづらい。

甲斐駒ヶ岳
我々は左の雪面を進んだ。右の夏道を歩いてもよいが、どのみち歩きづらい

登り切ると一転して岩と雪が交じった道になり、引き続き歩きづらかったが、途中で日の出を迎え心が沸きたった。

甲斐駒ヶ岳・キレイな日の出
キレイな日の出

しばらく歩くと八合目御来迎場(ごらいごうば)に到着した。甲斐駒ヶ岳は急峻な岩壁であり、一体どこから登るのだろうとポカンとしてしまった。

甲斐駒ヶ岳山頂を望む
甲斐駒ヶ岳山頂を望む

ここから先は再度雪と岩が交じる道を進む。途中、アイゼンを付けたまま岩をよじ登る必要があり苦労した。さらには雪の谷の上部を横切る道もあり、ここで落ちたら終わりだな・・・と話しながら慎重に歩いた。

甲斐駒ヶ岳
嫌な雪道

ふと振り向くと、2本の剣が陽の光に照らされていた。これが烏帽子岩(えぼしいわ)だろうか。てっきり山頂に刺さっていると思っていたので、思わぬ光景に疲れが吹き飛んだ。道中にもたくさんの剣や石仏があったが、昔の人も同じ景色を見て同じように感じたのだろうか。黒戸尾根は長く険しいが、それ以上に喜びがあった。

甲斐駒ヶ岳・烏帽子岩に刺さる2本の剣
烏帽子岩に刺さる2本の剣

6時19分に甲斐駒ヶ岳山頂へ到着した。草鞋のかかった大きな祠を中心とした山頂は、思いがけず広かった。

甲斐駒ヶ岳・山頂の祠
山頂の祠

雲一つない快晴の中、最も目を引いたのはどっしりとした白峰三山(しらねさんざん)だった。仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)もカールに雪がたっぷりついて美しい。すがすがしい気持ちで、みんなで労をねぎらいながら6時半に下山を開始した。

甲斐駒ヶ岳からの眺望・北岳、間ノ岳がよく見える
北岳、間ノ岳がよく見える

山頂近くの雪や岩は下りのほうが危ない。アイゼンを引っ掛けないよう慎重に進んだ。さらにテント場奥の雪面は、下山時にはグズグズで大変歩きづらかった。いつ踏み抜いてもおかしくなかったので、適宜トレースを参考に歩いた。7時ごろにこの状況では、この後の時間はもっと歩きづらいだろう。小屋番さんが早出を促した理由がよくわかった。

7時半に七丈小屋に到着し休憩する。荷物を整え、後ろ髪を引かれる思いで小屋を後にした。

甲斐駒ヶ岳からたおやかな仙丈ケ岳を望む
たおやかな仙丈ケ岳

甲斐駒ヶ岳、黒戸尾根は長く険しい道のりだが、そのぶん大きな喜びと達成感を得ることができた。道中は気持ちのいい尾根道や南アルプスらしいコケの森もあり楽しい。小屋は快適で、山頂は絶景。なによりゴールデンウィーク真っただ中でも人が少ないのは魅力的だ。

甲斐駒ヶ岳・森の様子
森の様子は進むほどに変わっていった

七丈小屋の管理人である登山家・花谷泰広氏がSNSでも発信していたが、雪山装備は必須と感じた。重たい装備に気が重くなる方もいるかもしれないが、備えをした上で挑戦してほしい。

(山行日程=2024年5月3~4日)

MAP&DATA

ヤマタイムで周辺の地図を見る

コース

【1日目】尾白渓谷駐車場~五合目小屋跡~七丈小屋(参考コースタイム:6時間40分)
【2日目】七丈小屋~八合目~甲斐駒ヶ岳~七丈小屋~尾白渓谷駐車場(参考コースタイム:8時間30分)
※ヤマタイムの夏山コースタイムです。積雪状況によって異なります

かずき(読者レポーター)

かずき(読者レポーター)

転勤先の栃木で登山に出会い、現在は中部圏を中心に登山やキャンプに明け暮れている。ソロ〜3人程度で登るのが好き。長野県を通過した際は長野通行税をソフトクリーム屋さんへ入金している。

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この記事に登場する山

山梨県 / 赤石山脈北部

甲斐駒ヶ岳 標高 2,967m

 全国に駒ヶ岳を名のる山は20座を超えているという。その中で最も高いのが甲斐駒ヶ岳である。作家の宇野浩二は、『山恋ひ』の中で、「山の団十郎」と絶賛した。ふもとから仰いだその山姿は、正にその名に価する高貴な山容をもって迫ってくる。  太古、武御雷命(たけみかずちのみこと)が生んだ天津速駒(あまつはやこま)という白馬がいた。羽があって空中を飛んでおり、夜になると、甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったとのこと。これが命名の由来といわれている。  また、天平3年(731)には、甲斐国から朝廷に、身が黒色、尾が白い馬が献じられた。その馬に乗って聖徳太子が甲斐駒ヶ岳を往復したとか。ふもとを巡る川は、それにちなんで尾白(おじら)川と呼ぶ、などの伝説も残っている。  それはともかく、かつては駒ヶ岳講の名において、白装束の講中登山の山であった。開山したのは、信州・諏訪の小尾権三郎(弘幡行者)で、文化13年(1816)6月15日、20歳のときであった。しかし、文化11年編『甲斐国志』には、すでに「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現ヲ安置セル所アリ」と記しているので、その真偽のほどは分からない。  登拝路のメインルートであった黒戸尾根上に残る、おびただしい信仰のモニュメントの数々を目にすると、そんな歴史上の小さな矛盾は消し飛んでいくような気がする。  かつては、白崩山の異称さえあった、真っ白な花崗岩とハイマツの緑に覆われた山頂からの眺めは、さすがに一等三角点の本点だけのことはある。この三角点のやぐら(覘標(てんびよう))は明治24年7月10日に建てられ、同年7月14日に標石を埋めた。同年9月12日から25日まで観測が行われている。南アルプス三大急登の1つに数えられる黒戸尾根を、重さ90kgもある標石を担ぎ上げた先人の苦労には頭が下がる。  甲斐駒ヶ岳は、伊那の人たちは東駒ヶ岳と呼んでいる。目と鼻の先に見える山に、他国の名を冠するほど人間はお人好しではない。  さて、甲斐駒ヶ岳を巡ってたくさんの花崗岩の岩壁がある。この一帯に集中的に挑みルートを開拓していったのは、主として東京白稜会のメンバーであった。1949年から1970年にかけてのパイオニア・ワークは、一頭地抜きん出ている。この会の代表であった、恩田善雄氏の「甲斐駒ヶ岳―わたしの覚書き」は、甲斐駒周辺の地誌、登攀記録、山名の由来、伝説などを網羅したものである(未刊行)。  登山コースは尾白川渓谷から黒戸尾根経由で山頂まで9時間。南西の北沢峠からは双児山、駒津峰を越えて約4時間の登りで山頂へ。

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