【書評】遭難者たちの行動を追体験するドキュメント『ドキュメント 生還2 長期遭難からの脱出』
評者=春日太一
私はまったく登山を嗜むことのないインドア人間だ。著者の大ファンでその著書はすべて読んできたが、それはあくまで「読み物」として――である。そして「読み物」としても、とにかく極上なのだ。
著者は山岳遭難のルポルタージュに関する第一人者。ただ、扱うのはヒマラヤやアルプスといった世界的な山岳ではないし、高名な登山家も出てこない。誰でも行こうと思えば行ける日本の山々であり、登場するのは特別な技能をもつわけではない一般の登山者たちだ。そして、それが羽根田作品の大きな魅力になっている。
どこにでもいそうな人たちが、誰でも登れる山に入る。だからこそ生じる心の隙に、自然環境が容赦なく襲いかかり、人々は遭難へと巻き込まれる。そのさまを、著者はギリギリまで研ぎ澄まされたソリッドな文章で紡ぎ、登山経験の有無に関係なく読者を引き込む。
その際に重要な役割を果たしているのが、「あ」だ。
五十音のいちばん初めにあるこの平仮名一文字が、著者の手にかかると途端に、不穏なニュアンスを帯びてくる。本書も、しかり。
これまでの著書と同じく、本書も幾多の遭難の事例によって構成されている。そのすべてで、登山者たちは油断や焦りにより登山道を大きく外れ、どこにいるかわからない山深い地点に迷い込む。そして、取り返しのつかないミスをしでかした――ほとんどの遭難者たちがそう気付いた瞬間に、まずつぶやく言葉が、「あ」なのだ。
著者のルポの記述は、大半が当事者の視点で展開する。そのため、読者は彼らの行動を追体験している気分になる。その油断や焦りも含めて。だからこそ、「あ」のタイミングで一気に落とされる。「やってしまった――」という心情もまた、共有できてしまうからだ。しかも、余計な修飾を交えずに「あ」という瞬間で描写されることで、その事実は抜群のリアリティとともに冷たく突き刺さってくる。まるでホラー小説だ。
一方、本書の事例にはもう一つの共通点がある。それは、遭難者たちが生還できた要因だ。彼らはいずれも、「あ」の後でも驚くほどに冷静さを保ち続けている。そのために、救助を求める可能性がより高い選択肢を考え、それを行動に移すことができているのだ。
この事実は、登山に限らず、日常の局面でも役立てることができるだろう。仕事やプライベートでも、「あ」という瞬間に襲われることは誰でもある。そうした際、焦って闇雲に動けば状況はかえって悪化する。自分の置かれた状況を把握し、その上でどうすれば最悪の事態を避けることができるのかを判断する。そうした冷静さを、ピンチの時ほど失ってはいけない。
読み物として充実している上に、人生の教訓も得られるのだから、羽根田作品は本当にありがたい。

ドキュメント 生還2
長期遭難からの脱出
| 著 | 羽根田 治 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,760円(税込) |
羽根田 治
1961年生まれ。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー。主な著書に、ドキュメント遭難シリーズ『気象遭難』『滑落遭難』『道迷い遭難』『単独行遭難』のほか、『野外毒本』『これで死ぬ』(すべて山と溪谷社)など多数。本書は『ドキュメント 生還――山岳遭難からの救出』第2弾。
評者
春日太一
1977年生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』『日本の戦争映画』(いずれも文春新書)、『時代劇入門』(角川新書)ほか多数。
(山と溪谷2024年7月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
登る前にも後にも読みたい「山の本」
山に関する新刊の書評を中心に、山好きに聞いたとっておきもご紹介。
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