【10月11日更新】紅葉前線は槍沢下部まで下降。涸沢はピークやや過ぎ。秋山紅葉情報2024

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北アルプスの紅葉前線は稜線から少しずつ中腹へと下り始めている。槍・穂高連峰の最新紅葉情報をお届けしよう。

構成=山と溪谷オンライン

北アルプスの紅葉といえば槍・穂高連峰

険しい岩稜を連ねた3000m峰がそびえる槍・穂高連峰は、ダイナミックな山岳地形とナナカマド、ダケカンバといった落葉樹が織りなす絶景で有名。槍ヶ岳は槍沢や飛騨沢、天狗原といった紅葉スポットが知られているほか、氷河地形が紅葉に染まる穂高岳の涸沢カールは必見の美しさだ。標高が高いために紅葉が始まる時期は早いが、中腹から麓の上高地へと紅葉の見頃が移ろうので、楽しめる時期も意外に長い。
厳しい残暑が続いた2024年は紅葉が遅れ気味だったが、北アルプスを代表する紅葉のメッカは見ごろを迎えている。

紅葉写真コンテスト2023/giwaさんの作品
秋の涸沢カール(紅葉写真コンテスト2023より/写真=giwa

10月10日 モルゲンロートと紅葉(涸沢ヒュッテ)

今朝の最低気温は3℃。数日ぶりに涸沢はモルゲンロートとなりました。紅葉はややピークを過ぎたとはいえ「一生に一度は見たい」といわれる涸沢の紅葉とモルゲンロートの絶景。冬のような寒気に耐えての観賞となりました。くれぐれも防寒対策をお忘れなく。

モルゲンロートと紅葉の涸沢
モルゲンロートと紅葉の涸沢(10月10日/写真提供=涸沢ヒュッテ)

10月10日 紅葉前線は槍沢下部へ(槍ヶ岳山荘)

眼下の紅葉が一気に進みました。ひとひらですが、雪のようなものが舞ったそうです。初雪というには至りませんが、気温が低下し冷え込んできています。朝みた感じでは、天狗原は色づいてることを確認しました。紅葉前線はすでに稜線から下降して、天狗原~槍沢の下へと移動中です。

稜線はいよいよ氷点下
稜線はいよいよ氷点下。9/23に初氷観測(10月10日/写真提供=槍ヶ岳山荘)

10月3日 涸沢カールの紅葉は8割まで進行(涸沢ヒュッテ)

今年は黄色の発色がよいようです。天気がイマイチですが、紅葉は8割程度の色づきとなり週末にはピークとなりそうです。

紅葉は8割程度
紅葉は8割程度の色づきとなり週末にはピークとなりそうです(10月3日/写真提供=涸沢ヒュッテ)

10月2日 南岳小屋方面は紅葉の見頃(槍ヶ岳山荘)

晴れてよい天気となっていますが、絶好の登山日和だった昨日と比べ、やや強い冷たい風が吹き冬の気配を感じます。この冷気に当たり、山の色が変わってきました。紅葉の色がついてきています。全体的にみると見頃にはもう少しという感じです。南岳小屋方面では紅葉の見頃。特に横尾尾根南側斜面のダケカンバの群落は色付きがとてもよく、美しい黄色の絨毯がひろがっていました。

南岳方面の紅葉
秋晴れの登山日和の気候の中、南岳方面は紅葉が見頃を迎えています(10月2日/写真提供=南岳小屋・槍ヶ岳山荘)

10月1日 涸沢カールの紅葉、場所によっては見頃に(涸沢ヒュッテ)

涸沢カールの紅葉は全体的に6割程度の色づきです。場所により見頃を迎えています。朝の気温は6℃程度となりました。防寒着や雨具をお忘れなく。

涸沢の紅葉
涸沢の紅葉(10月1日/写真提供=涸沢ヒュッテ)

9月27日 涸沢カールの紅葉は3割程度。草もみじ進む(涸沢ヒュッテ)

紅葉の進み具合は3割程度。初氷はまだのようですが、朝夕気温低下し防寒着必要です。草もみじは進んでいますが、木々の紅葉はテント場では少し色が変わった程度。涸沢カールの紅葉はまだこれからです。

紅葉は3割程度
涸沢の紅葉は3割程度(9月27日/写真提供=涸沢ヒュッテ)

9月26日 槍ヶ岳の稜線で草もみじ始まる(槍ヶ岳山荘)

9月23日には初氷を観測し、朝夕は一桁気温となり稜線は草もみじが始まっています。木々の紅葉はまだこれから。見頃は10月に入ってからになるでしょう。

初氷を観測しました
初氷を観測しました(9月23日/写真提供=槍ヶ岳山荘)

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この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

奥穂高岳 標高 3,190m

 奥穂高岳は穂高連峰の中央にそびえる盟主である。標高3190mは富士山の3776m、南アルプスの北岳の3192mに次ぐ日本第3位の高峰で、頂上に造られた2mを超す大ケルンの上に立つと第2位になろうかという高峰なのである。しかも堂々と大きい山容がいい。  山頂で綾線が分岐し、南西に延びる岩稜は馬ノ背からジャンダルムの奇峰を経て、間ノ岳、西穂高岳、焼岳へと延びる。  もう1つの岩稜は南東へ吊尾根となってたわみ、前穂高岳、明神岳となって上高地に雪崩落ちていく。  山稜は硬いひん岩(ひんがん、ひんは「王」偏に「分」の字)の破片に覆われ、岩屑の堆積した山だ。南東側は涸沢のカールが削り取った断崖で、南面は岳沢が急角度に落ち込み、上高地や乗鞍岳が見える展望の優れた山頂である。  山頂から100mほど西へ向かってから右に折れる主稜線を、うっかり見落として直進すると急傾斜にセバ谷に落ち込んでしまう。毎年のように事故を起こす「だましの尾根」だ。主稜線を北に下ると白出乗越で、穂高岳山荘がある。  頂上から南西に延びる岩稜は、奇峰ジャンダルムに続いている。前衛峰、門番といった意味のフランス語だが、むしろ独立峰と呼びたい山で、悠々としてとりとめのない奥穂高岳をきりっと引き締めている。  初登頂は明治42年(1909)の鵜殿正雄パーティで、槍ヶ岳への初縦走の途中だった。彼は大正元年(1912)には岳沢から天狗沢に入り、天狗のコルからジャンダルムを経て奥穂高岳の初トレースをしている。穂高岳開拓のパイオニアとして銘記されるべき人である。  穂高連峰の開拓は信州の梓川側が早く、山小屋もほとんど信州人が占めているが、奥穂高岳だけは、白出乗越に飛騨の名ガイド、今田重太郎が小屋を建てて登山者の安全を期した。1度登山者の不始末で全焼したが再建し、現在では近代的な山荘になっている。  一般登山道は涸沢からザイテングラートの岩尾根を登って白出乗越に出、奥穂高岳へ向かう。涸沢から白出乗越まで2時間、それから奥穂高岳頂上まで1時間。  飛騨側からは、新穂高温泉から蒲田川右俣を白出沢出合まで2時間、白出沢を登って白出乗越まで7時間。静かな谷のいいコースで、下りに使えば白出乗越から5時間30分で新穂高温泉に着き、バス停前の無料温泉で山の汗が流せるので、山好きに好評である。  上高地から岳沢を経て前穂高岳、吊尾根、奥穂高岳のコースは9時間で頂上に着く。少しきついが、登り甲斐のある道だ。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

北穂高岳 標高 3,106m

 北穂高岳は穂高連峰の最北端にそびえる。東は涸沢谷、西は蒲田川右俣からの支流、滝谷によって壮絶な岩壁になっている。主稜線は南北に起伏し、南は岩を踏んで涸沢岳へ、北は大キレットを隔てて南岳、中岳、大喰(おおばみ)岳、槍ヶ岳へと続いている。  この山のよさは、西面の滝谷に尽きる。日本でも超一流のロッククライミングのゲレンデである。かつて、名案内人といわれた上條嘉門次が「鳥も止まれねえ」と嘆かせた悪絶な岩壁で、初登攀は大正14年(1925)。早大の四谷龍胤(りようすけ)、小島六郎パーティとR.C.Cの藤木九三(くぞう)、ガイドの松井憲三パーティが、同じ8月13日に挑み、成功している。  滝谷は中間の合流地点からA沢~F沢が分かれ、B沢~D沢の間のルンゼや岩稜、岩壁が主な登攀対象になり、日本を代表する優れたクライマーたちを育ててきた。  北穂高岳は北峰と南峰に分かれている。北峰に三角点があり、直下に北穂高小屋があるので、普通、北穂高岳頂上とは北峰を指す。  登山道は涸沢カールから南稜の急登をがんばれば、3時間で山頂に立てる。上高地からは8時間30分の道のり。

紅葉情報

秋が深まるにつれて、山の表情は刻々と移ろっていきます。北は北海道、標高の高い日本アルプスから九州の山まで紅葉前線を追いかけて、全国の登山エリアの最新情報をお届けします。

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