噴火直後の御嶽山山頂付近。生き残るために彼女は走った
生き残った
13時10分ころ、私は覚明堂に飛び込んだ。登山道は黄色いヘルメットを被った登山者で長い列ができ、ロープウェイ駅を目指し下山がはじまっていた。
覚明堂では、小屋番四人が灰をかき出していた。登山者は一人もいなかった。
ここで小屋番にケガをした女性の救助要請をしてもらった。私はてっきり小屋には警察に直接繋がる遭対無線があると思ってお願いしたが、御嶽山にはないらしく電話をかけてくれていた。一斉に多くの人が電話をかけていたらしく、なかなか繋がらない様子だった。
噴火の様子を小屋番に伝えたが、これまでの状況が覚明堂とはあまりにも違うのか、かなりの温度差を感じた。このとき、まだ剣ヶ峰からの登山者は誰も下りてきてはいなく、核心部から生きて帰ってきた登山者は私が一人目だった。
小屋番は、私の言葉を信じたくなかったと思う。頂上周辺は想像以上に残酷な状況になっていた。そのことを長年近くで御嶽山を見守ってきた小屋番は、目の前の事実として受け止めるにはもう少し時間がほしかったのかも知れない。しかし現実は非情であった。
私はここに来て「助かった」というより、「生き抜いた」と感じた。そして「ホッ」とした。
私は登山道ではない噴火口から離れる最短ルート約一キロを疾走してきたので、稜線で会った四人の登山者しか見ていなかった。途中、ケガをした登山者、噴石に倒れた登山者を誰一人見ていなかった。そういった意味では本当の地獄は見ていない。
夫に電話をかけたが、電波の届かない所にまだいるらしく、繋がらなかった。
山の師匠に電話をかけたが、彼の都合で止められていた。他の師匠に電話をかけたが、そちらも緊急事態が起きているようで忙しそうだった。空木岳駒峰ヒュッテで小屋番をしている母に電話をかけたが、ちょうど宿泊の登山者が大勢到着しているらしく「忙しい」と言われ、御嶽山が噴火したことも冗談だと信じてもらえず、電話を切られた。これは、私の普段の行ないからくるものだろうか。ヒュッテのテラスから御嶽山は綺麗に見えるが、このとき御嶽山だけが薄い雲に覆われて噴煙も分からなかったらしい。
途中で会った先輩ガイドに電話をかけた。きっと時間からいって私が頂上にいたと心配していると思った。電話すると、噴火後運休前のロープウェイにギリギリ乗れたらしく、窓に着く火山灰を花粉か何かだと思っていたらしい。鹿ノ瀬駅で噴火を知ったが、大したことないと思っていたようだった。噴火は大変であったが、私は無傷で生きていることを手短かに伝えた。
先輩ガイドがバスのなかでお客さんに「小川ガイドは無事だった」と伝えると、電話越しにお客さんたちの拍手が聞こえた。
その拍手は本当に嬉しかった。心にしみた。
きっと、私が電話した人が通じなかったり、忙しかったりで、私は言ってほしかった言葉を聞いていなかった。この電話越しの拍手は「生きていてくれてありがとう」そう聞こえたのだと思う。それは私が暗闇のなかで、生きて帰れたら一番に言ってほしかった言葉だった。
このとき、生きて帰って来られた実感はまだなかった。短い時間に想像を絶する状況がいろいろあり過ぎて、現実を受け止めきれなかった。それに、これからさらに噴火口から離れるため、山を下りなければいけなかった。
(『ヤマケイ文庫 御嶽山噴火
生還者の証言 増補版』より抜粋)

ヤマケイ文庫
御嶽山噴火 生還者の証言 増補版
| 著者 | 小川さゆり |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,430円(税込) |
この記事に登場する山
プロフィール
小川さゆり(おがわ・さゆり)
南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人、日本山岳ガイド協会認定ガイド。中央アルプス、南アルプスが映えるまち、長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングのため山に登り始める。景色もよく、達成感もあり、すぐに山を好きになる。バックカントリースキーに憧れはじめた25 歳のとき、友人が雪崩で命を落とす。山は楽しいだけではない、命と向き合うリスクを痛感する。「山で悲しい思いをしてほしくない」、そんな思いをもって、中央アルプスをメインにガイドしている。山以外では無類の猫好き。
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