秘境・川内山塊の最高峰が錦繍をまとうとき。粟ヶ岳ルポ
観光開発が進む日本の山岳エリアにあって、未だに秘境の趣を残すのが新潟県の川内(かわち)山塊だ。紅葉の季節を待って最高峰の粟ヶ岳(あわがたけ)をめざした。
文・写真=打田鍈一(トップ写真=粟庭から振り返る頂上稜線)
残雪期そして秋の三条コースへ
眺めそこなった山頂の展望と未知の三条(下田)コースが気になりつつも、いつの間にか30年以上経った。2021年4月上旬、一人で飯能の自宅を朝に発ち三条コースへ向かう。
某ガイドブックでは登山口から山頂往復4時間30分とあり、そんなワケないだろと思いつつ易きに流れて登山口発は9時30分。雪山だが新潟では鋲付き長靴の人が多い。私も鋲長で登ったが歩くうちにゴムの亀裂から水がしみ込むのに気が付いた。登るほどにすれ違う下山者が増え、彼らはみな6時から7時には出発しているという。
13時過ぎ、加茂コースの粟ヶ岳ヒュッテを同高度に眺める七合目で時間切れ。粟ヶ岳の全容を見上げて休憩し撤退と決めた。しかしカップ麺を食べるうちに足が攣り始める。濡れによる冷えも大きな原因だろう。下りは足攣り地獄だった。他の登山者は皆下り、私一人となったのを良いことに大声で「イテーッ、ウワオーッ」と叫びつつ、芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を何度も飲み、ロキソニンも飲んでようやく下山。ブナの新緑とカタクリ、ショウジョウバカマ、イワウチワなどの花々を登りでは楽しんだが、下りは必死に歩を進めるのみ。七合目までの登りは3時間35分、下りは2時間14分。山頂に届かず、また宿題ができてしまった。
失敗が悔しくてその年の10月10日に3人の仲間と向かった。今回は三条市内の宿に泊まり、駐車場のある一合目登山口を6時10分発。2時間弱で粟薬師。薬師石像が覆堂に7体祭られ、信仰の山を物語る。しかし隣接する避難小屋は内部が悪意的に荒らされ、残念ながら2024年9月現在でも立入禁止だ。ブナ林のみごとな登山道だが、尾根に出るとより美しく、前回撤退の七合目も快調に過ぎる。山頂を間近に見上げる八合目の先で午(うま)の背の岩稜が現われたが、さして緊張するほどでもない。
躍り出た粟ヶ岳頂上は悪天候時の記憶より広く、登山者でにぎわっていた。二等三角点標石、展望図盤、新潟の山に多い鐘も立ち、無風好天のもと、30年以上も希求していた山岳大展望をほしいままにできた。東に目立つ鋭鋒は御神楽岳(みかぐらだけ)。その手前には矢筈岳、五剣谷岳など道なき曾遊の山々。中央の青里岳を踏めてないのが残念だ。すぐ東に突き立つ一本岳までは、ここから尾根通しに踏み跡があるものの、往復1時間以上かかりそう。南には守門岳(すもんだけ)と、浅草岳(あさくさだけ)の向こうに燧ヶ岳(ひうちがたけ)の双頭が顕著だ。西には弥彦山(やひこやま)、角田山(かくだやま)、そして巨大な佐渡がその奥にかすむ。しかしそれ以上に目を向けるべきは東面の足元に広がる川内の低山帯だ。仙見川(せんみがわ)、逢塞川(おおそこがわ)などの支流は山稜に無数の食込みを見せ、豪雪に磨かれた側壁群が凄まじい。
紅葉にはまだ早いが、山頂の大展望と三条コースを満喫。下山後にはスーパー銭湯「いい湯らてい」で入浴し、三条市・正広のカレーラーメンも食べる余裕でその日の内に帰宅。登り4時間50分、下り3時間35分、山頂では1時間も長居する充実の一日であった。
この記事に登場する山
プロフィール
打田鍈一(うちだ・えいいち)
1946年鎌倉市生まれ東京・中野育ち。埼玉県飯能市在住。低山専門山歩きライター。群馬県西上州で道なき薮岩山に開眼。越後の山へも足を延ばし、マイナーな低山の魅力を雑誌や書籍などで紹介している。『山と高原地図 西上州』(昭文社)を平成の30年間執筆。著書に『薮岩魂―ハイグレード・ハイキングの世界―』『続・薮岩魂 いつまでもハイグレード・ハイキング』『分県登山ガイド10 埼玉県の山』(いずれも山と溪谷社)、『晴れたら山へ』(実業之日本社)、『関越道の山88』(白山書房)のほか、『関東百名山』(山と溪谷社)など共著多数。
(プロフィール写真=曽根田 卓)
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