【10月24日更新】南アルプス北部・甲斐駒ヶ岳黒戸尾根は黄一色の世界。紅葉情報2024

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甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)、仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)、北岳(きただけ)周辺など南アルプス北部の最新紅葉情報を紹介する。

構成=山と溪谷オンライン

知られざる紅葉スポット、南アルプス北部

日本第二の高峰・北岳をはじめ、大きなカールを擁する仙丈ヶ岳、ピラミダルな山容の甲斐駒ヶ岳など、個性的な山々が連なる南アルプス北部。紅葉の季節には稜線の草もみじに始まり、中腹のダケカンバの黄色、ツツジの赤などが鮮やかに山脈を染める。紅葉の季節まで営業している山小屋が多いほか、甲斐駒ヶ岳の七丈小屋は通年営業なので、紅葉登山を楽しめる期間も長い。

紅葉写真コンテスト2023より、秋の北岳
紅葉写真コンテスト2023より、秋の北岳(写真=mimizu3966

10月24日 黒戸尾根二合目付近は「黄一色の世界」(甲斐駒ヶ岳 七丈小屋)

小屋より上はほぼ終わりですが、標高の低い所では引き続き見頃を迎えています。二合目付近は「黄一色の世界」が広がります。標高を上げると、徐々に赤い紅葉も増えていきます。長く険しい黒戸尾根ですが、ぜひ紅葉を楽しんで下さい。

紅葉に囲まれた朝の第一テント場
紅葉に囲まれた朝の第一テント場(10月24日撮影/写真提供=甲斐駒ヶ岳 七丈小屋)

10月9日 甲斐駒ヶ岳は七丈小屋周辺が見頃(甲斐駒ヶ岳 七丈小屋)

七丈小屋の立つ標高2400m付近の木々は赤に黄色とカラフルな彩りとなり、見頃を迎えました。小屋から上の紅葉は終盤となりました。これから紅葉は小屋から徐々に標高を下げていきます。今週末は天気も良さそうで、紅葉狩りにはベストシーズンでしょう。

標高2400mの小屋付近はまさに見頃
標高2400mの小屋付近はまさに見頃(10月8日撮影/写真提供=甲斐駒ヶ岳 七丈小屋)

この記事に登場する山

山梨県 / 赤石山脈北部

甲斐駒ヶ岳 標高 2,967m

 全国に駒ヶ岳を名のる山は20座を超えているという。その中で最も高いのが甲斐駒ヶ岳である。作家の宇野浩二は、『山恋ひ』の中で、「山の団十郎」と絶賛した。ふもとから仰いだその山姿は、正にその名に価する高貴な山容をもって迫ってくる。  太古、武御雷命(たけみかずちのみこと)が生んだ天津速駒(あまつはやこま)という白馬がいた。羽があって空中を飛んでおり、夜になると、甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったとのこと。これが命名の由来といわれている。  また、天平3年(731)には、甲斐国から朝廷に、身が黒色、尾が白い馬が献じられた。その馬に乗って聖徳太子が甲斐駒ヶ岳を往復したとか。ふもとを巡る川は、それにちなんで尾白(おじら)川と呼ぶ、などの伝説も残っている。  それはともかく、かつては駒ヶ岳講の名において、白装束の講中登山の山であった。開山したのは、信州・諏訪の小尾権三郎(弘幡行者)で、文化13年(1816)6月15日、20歳のときであった。しかし、文化11年編『甲斐国志』には、すでに「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現ヲ安置セル所アリ」と記しているので、その真偽のほどは分からない。  登拝路のメインルートであった黒戸尾根上に残る、おびただしい信仰のモニュメントの数々を目にすると、そんな歴史上の小さな矛盾は消し飛んでいくような気がする。  かつては、白崩山の異称さえあった、真っ白な花崗岩とハイマツの緑に覆われた山頂からの眺めは、さすがに一等三角点の本点だけのことはある。この三角点のやぐら(覘標(てんびよう))は明治24年7月10日に建てられ、同年7月14日に標石を埋めた。同年9月12日から25日まで観測が行われている。南アルプス三大急登の1つに数えられる黒戸尾根を、重さ90kgもある標石を担ぎ上げた先人の苦労には頭が下がる。  甲斐駒ヶ岳は、伊那の人たちは東駒ヶ岳と呼んでいる。目と鼻の先に見える山に、他国の名を冠するほど人間はお人好しではない。  さて、甲斐駒ヶ岳を巡ってたくさんの花崗岩の岩壁がある。この一帯に集中的に挑みルートを開拓していったのは、主として東京白稜会のメンバーであった。1949年から1970年にかけてのパイオニア・ワークは、一頭地抜きん出ている。この会の代表であった、恩田善雄氏の「甲斐駒ヶ岳―わたしの覚書き」は、甲斐駒周辺の地誌、登攀記録、山名の由来、伝説などを網羅したものである(未刊行)。  登山コースは尾白川渓谷から黒戸尾根経由で山頂まで9時間。南西の北沢峠からは双児山、駒津峰を越えて約4時間の登りで山頂へ。

紅葉情報

秋が深まるにつれて、山の表情は刻々と移ろっていきます。北は北海道、標高の高い日本アルプスから九州の山まで紅葉前線を追いかけて、全国の登山エリアの最新情報をお届けします。

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