単独で猛吹雪の日高山脈を行く。北海道分水嶺序章【「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記】

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宗谷岬から襟裳岬まで、雪に閉ざされた670kmの稜線をたったひとりで歩ききった野村良太さん。前人未踏の挑戦の前には、人知れず過酷な単独行を実践した日々があった。書籍『「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記』のプロローグから、冬の日高山脈全縦走のシーンを抜粋して紹介しよう。

文・写真=野村良太、トップ写真=ピリカヌプリより日高山脈中部を展望する

日高山脈核心部、猛吹雪の襲来

日高山脈全山縦走は、核心部に突入しようとしていた。日勝峠(にっしょうとうげ)を出発して、3回目の日没が近づいていた。猛烈な吹雪に右半身を煽られながら1967無名峰(むめいほう)まで登り、良いテント場が見つけられず、少し先で風下側の急斜面に逃げ込んだ。ここであれば風をしのげそうか。これ以上進んでも他に適した場所はありそうにない。その場でザックからショベルを取り出し、小1時間かけて雪面を平らに開削した1畳半ほどのスペースに1人用の小さなテントを張った。

夜中、寒くて目が覚めたので、左手首の腕時計を顔に近づける。3年前、22歳の誕生日に優子がくれた黒と橙色の時計にはプロトレックと印字されている。ALTIと刻まれた高度を示すボタンを右手の親指で押すと、寝る前に確認した標高よりも少しだけ高度が下がっていた。腕時計に内蔵されている高度計は気圧を元に標高を算出しているので、同じ場所にいて高度の表示が下がるということは現在地の気圧が上がってきているということだ。どうやら天候は回復傾向らしい。高度計の左隣にあるライトのボタンを押すと、文字盤にデジタルで3・16 23:43と表示された。

その直後、突然体が何かに押しつぶされ、何が起こったのか分からないまま、肺が十分に膨らまなくなった。呼吸が苦しい。とっさに、雪崩だ、と思った。なにしろこの計画に出発するまでに、テントや雪洞で雪崩に遭った人の本をいくつか読んでいた。だが、どうやら僕のイメージトレーニングとは違って、テントごと流されるほどのものではない。雪崩ではないらしいとほんの少し安心してふと冷静になると、胴体は押しつぶされたが、顔と足元は無事だった。全身に力を込めてじわじわと寝袋からはい出ると、首から掛けていたヘッドランプを頭に点けて、テントシューズのままテントから飛び出した。

闇夜を切り裂くように額の明かりを左右に振り、現状を確認する。風下側にいたので風の音が聞こえず気づいていなかったが、尾根の向こう側からこちら側へ、大量の新雪が無音のままに積もり続けていた。積もった雪はやがてテントを覆い、最終的に吹きだまった雪の重みでテントが潰されてしまったらしかった。

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プロフィール

野村良太(のむら・りょうた)

1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。

積雪期単独北海道分水嶺縦断記

北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。

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