うつろう時代を見つめて。小屋番82歳、三伏峠小屋を下りる
時代とともに変わる山小屋と登山者
大鹿村育ちの小笠原さんは、7人兄弟の4番目だ。58歳で勤めていた公共施設の料理人を辞め、2000年にお兄さんが小屋番をしていた三伏峠小屋に手伝いにきた。
「最初は1週間ほど来てくれと言われてやってきた。1カ月いっしょにいて仕事を覚えたら兄貴が下山した。それが引き継ぎだった」
なんて乱暴な、と思う。「考えてみればよくやったと思うよ。なんにも山のことは知らなかったんだから」と小笠原さんも思い返す。
当時は、水場に近いもっと下のほうにも、もう一軒小屋があり、宿泊料の回収が仕事だった。現在個室が並んでいる新館は、以前は一斗缶を広げて壁一面を覆い「みすぼらしいもんだった」という。それが山小屋だった。
5年経つと登山ブームがやってきた。登山者が小屋に入りきれないくらいやってきて、あふれかえってブルーシートに寝かせたこともある。9時に見回りをして寝ても、翌朝3時には起きる毎日が当たり前だった。
「おれが小屋に来たときは、器は最初50人分しかなかった。それを150人分に増やした。カレーとカボチャコロッケとハンバーグが交代で出ていたのを、これじゃ金はとれないと思って、料理も食器も全部替えた」
山小屋もサービスを意識した経営に変わっていく。
「商売は下とは100%違う。いつも材料不足で、限られたものの中で作る。ハンバーグや揚げ物は年寄りには敬遠される。野菜が確保できるから、そこはほかの小屋と違って喜ばれる」
最近でこそ行政が乗り出したものの、以前は山小屋が、小屋に至るまでの桟橋の多い登山道の整備を担っていた。小屋の周囲の板敷のスペースや枕木の階段も、小笠原さんがヘリポートから材料を担いで作ったという。
「昔は、(登山者が)ゴミは捨てるし、(山小屋の)穴や隙間に詰め込んでいた。トイレットペーパーも持っていかれたから余分には置けなかった。もっともトイレはポットンだったから下から風が吹いてくる」
トイレの水洗化や小屋の増改築も実現していった。登山者のマナーが上がり種類も変わった。コロナを機に宿泊者の人数も落ち着いた。
「若い衆の小屋泊まりはなくなった。年金暮らしの宿泊客が増えたね。昔はツアーは少なかった。顔見知りのツアーの添乗員が『また来年も来てくれ』と言ってくれるのはうれしい」
スタッフも学生ばかりだったのが「フリーターに切り替わ」ると気遣いも増えた。連続で来てくれるスタッフは少なく、それでも歩荷や毎年小屋開けの手伝いに「協力してくれる人がいて助かる」。口は多少悪くても根はやさしい小笠原さんの人柄があってこそだろう。
プロフィール
宗像 充(むなかた・みつる)
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。
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