神隠しにあった少女が発見された、驚きの場所とは?【山怪】
日本の山には「何か」がいる。怪談ブームの火付け役。山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代の遠野物語としてベストセラーになった『山怪』より、一部抜粋して紹介します。
文=田中康弘
狐と神隠し
秋山郷は新潟県と長野県の県境を跨ぐ古い集落だ。江戸末期から明治期にかけて阿仁マタギが数人住み着いた山里でもある。中津川を挟んだ急峻な地形で、日本有数の豪雪地帯だ。それ故に稲作が始まったのは明治に入ってから。それもごくわずかな生産量で、つい近年まで焼き畑で雑穀類を作り、それと栃の実を混ぜ合わせた“あんぼ”を主食にしていた。そんな秋山郷で阿仁マタギの末裔という人に話を聞いた。
「私は特に不思議な体験をしたことなどでねえすなあ……う~ん子供がいなくなった話くらいかなあ」
それは今から五十年ほど前のことだ。ある夫婦が農作業のために山へと入っていった。前述したように、この辺りは焼き畑農法で耕地は山の斜面である。
夫婦は四歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れていった。いったん畑仕事に出ると夕方までは帰らないから、それが当たり前になっていた。夫婦が畑仕事してる間、娘はその傍らで花をむしったり、蝶を追いかけたりして遊んでいる。仕事に精を出しつつ娘の様子をうかがうのが何より夫婦は楽しかった。
昼食に持参した“あんぼ”を食べて一休みする。収穫したモチキビを眺めながら夫婦はたわいもない話をする。娘も横で“あんぼ”を頰張りながらニコニコしていた。今日中にここの畑を終わらせようと、午後はいつも以上に精を出して働いた。途中で娘の様子が気になり顔を上げたが、姿が見えない。辺りにいるはずだが、いくら名前を呼んでも返事は無かった。
集落が大騒ぎになったのは、血相変えて夫婦が山から降りてきて間もなくだった。母親は泣き叫び半狂乱状態、父親も顔色が失せていた。
「急にいなくなったか……神隠しでなきゃええが」
急遽捜索隊が組まれ、畑に近い山を中心に多くの人が探し回ったのである。しかし、いくら探してもどこにもその姿が無かった。少しずつ傾く太陽に誰もが焦り始めていた。夜になると危ない。みんながそう感じ始めた時である。
「帰ってきた、帰ってきたぞ」
その声に皆が駆け寄ってきた。真っ先に駆けつけた夫婦の喜びようは、それは凄いものだった。娘を見つけたのは奥山に木材の切り出しに入っていた男である。どこで娘を見つけたのかを話し始めると、全員が言葉を失った。
「いや、おらの作業場から帰る途中になあ、ちょっと開けた所があっだろう」
誰もが知っている場所だった。奥山の入口だが、なぜか平地があって、狐が出るとか天狗が出るとか言われている場所だ。
「そこの大岩の上にちょこんって座ってニコニコしてたんだぁ」
その大岩は大人でも登るのに骨が折れる大きさなのだ。その上に四歳の子が一人で上がれるとは思えない。いやそれ以前に、その平地まで子供が一人で行ける訳がなかった。
この娘さんは、現在結婚して長野県栄村の中心部に住んでいる。
(本記事は、ヤマケイ文庫『 山怪』を一部抜粋したものです。)

山怪 山人が語る不思議な話
| 著 | 田中康弘 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 880円(税込) |
絶滅の危機にある民話の原石たち(「はじめに」より)
私はもう四半世紀以上にわたり、山関係、狩猟関係の現場を歩いている。現場では山での不可思議な出来事の類い、大蛇や狐に関する謎の現象譚を聞くことが時々あった。それらは本筋の取材対象ではなかったので、詳しく記録したことがほとんど無いが、記憶にはしっかりと刻み込まれ、細かなディティールまでもが鮮やかに残っている。たわいもない話であり、聞けば“そんな馬鹿なことがあるか”と一笑に付す人も多いだろう。しかしながら、私にはなぜか非常に魅力的に思えたのである。
これらのエピソードは民話や昔話とは違って、起承転結がはっきりとある訳ではない。おまけに宗教的または道徳的戒めを含む要素も皆無である。例えば、「この前、山で太鼓の音を聞いたが、あれは多分狸だろう」といった単純極まりない内容なのだ。この手の小話にもなり得ない小さな逸話が、実は現在絶滅の危機に瀕している。
話というものは、本来語られることで生き長らえる。それが現在は語る人も聞く人も少なくなりつつあるのだ。このことに気がついた私は、本気で取材してみようと考えたのである。
その昔、山里は静かで夜は恐ろしく暗かった。今と違って街灯も無く、車もほとんど走っていないからだ。
漆黒の闇、そして獣が支配する深い森は、人々の考え方に大きな影響を及ぼした。特に東北の豪雪地帯は顕著であった。一年の四分の一近くを雪に閉ざされるのである。
大きな茅葺き屋根の下、一年中火が絶えることのない囲炉裏を中心に、人々は肩寄せ合って生きてきた。子だくさんで十人を超える大家族が一緒に囲炉裏の火を見つめながら食事をし、そして話をする。
三メートル以上の雪に埋もれた生活は、のんびりとした面もあった。除雪という作業がかつては無かったからだ。玄関先や明かり取りの窓だけ雪を退け、後は子供たちの通学路のような必要な部分だけを皆で踏み固めるのである。現在は誰もが車を使って仕事に行き、そして買いものや通院をする。そのためには、雪が降れば朝の四時頃から家の周りを除雪しなければならない。多額の税金をつぎ込み、延々と道路を除雪する。その後は、大量の雪を捨てる作業にまた多くの人手と費用が費やされるのだ。昔はそのような作業は一切無い。ただひたすら春になるのを待つだけだった。
「昔は囲炉裏端で爺さん婆さんたちが集まって、一日中縄綯いしたり、春先の準備してたんだぁ。そこでよ、村のどこどこの話とか山の話とか、ずーっとしてるのさ。それを横の子供たちも知らず知らずに毎日聞いていたもんなんだよ」
福島県の南会津で聞いた話だ。
薄暗い家の中で唯一の暖房である囲炉裏の周りでは、飽きることなく同じような話が繰り返されたのだろう。テレビも無い時代だから、それが唯一の楽しみでもあった。そのような中で、山の不思議な話は定番だったに違いない。そこには完成された民話のようなものから、先述したオチも何も無いような単純なエピソードまでが“ごった煮”状態で存在しただろう。何度も何度も人の口の端に乗ることで話は少しずつ熟成して、地元の面白い民話に化けたのかも知れない。
薄暗く、閉ざされた空間だからこそ出来た話の数々。それはまるで樽の中でじっくりと醸成された酒のように、芳醇な香りを漂わせたに違いないのである。
しかるに現在はどうであろうか。山の中の集落でも街灯は道を照らし、家々の明かりは夜ごと眩しい。少子高齢化核家族化で子供のいない家が当たり前、いても子供たちはゲームや習いごとに忙しく、年寄りの話など聞く耳を持たないのである。
「特別に孫に山の話などしねなあ。おらたちもテレビ見てっからなあ……話なんてしてもどうせ聞きやしねって」
取材して回った地域のお年寄りたちは異口同音のことを言う。自分たちがさんざん聞かされてきたような山の話、地域の話を、今は誰にもしていないのである。
古(いにしえ)の時代、目の前に山があったからこそ、そこで生活が出来た。人は山から飲み水、食料、そして燃料や多種多様な材料を手に入れる。自然の中にさまざまな神を感じ、生きる指針もまた見いだしてきた。生きることのすべては山にあったとも言える。その中には“語り”もまた大事な位置にあったはずだ。
この“語り”の根元は本来小さなエピソードだったに違いない。作業の合間や長い夜には欠かせない暮らしの友だったろう。それが今ほとんど消滅しかけているのだ。
地域の昔話や民話などは各地の教育関係者が冊子にまとめたり、語り部の姿が映像で記録されている。しかしそれはいわば完成形であり、私が探し求めているような民話の原石とでも言える小さなエピソードは意識すらされていないのが現状だろう。
このままでは間違いなく消えてしまう、これらの原石を集めたのが本書である。
プロフィール
田中康弘(たなか・やすひろ)
1959年、長崎県佐世保市生まれ。礼文島から西表島までの日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場、特にマタギ等の狩猟に関する取材多数。著作に、『シカ・イノシシ利用大全』(農文協)、『ニッポンの肉食 マタギから食肉処理施設まで』(筑摩書房)、『山怪 山人が語る不思議な話』シリーズ『鍛冶屋炎の仕事』『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(山と溪谷社)などがある。
山怪シリーズ
現代の遠野物語として話題になった「山怪」シリーズ。 秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、山で働き暮らす人びとから実話として聞いた、山の奇妙で怖ろしい体験談。
こちらの連載もおすすめ
編集部おすすめ記事

- 道具・装備
- はじめての登山装備
【初心者向け】チェーンスパイクの基礎知識。軽アイゼンとの違いは? 雪山にはどこまで使える?

- 道具・装備
「ただのインナーとは違う」圧倒的な温かさと品質! 冬の低山・雪山で大活躍の最強ベースレイヤー13選

- コースガイド
- 下山メシのよろこび
丹沢・シダンゴ山でのんびり低山歩き。昭和レトロな食堂で「ザクッ、じゅわー」な定食を味わう

- コースガイド
- 読者レポート
初冬の高尾山を独り占め。のんびり低山ハイクを楽しむ

- その他
山仲間にグルメを贈ろう! 2025年のおすすめプレゼント&ギフト5選

- その他