おばあちゃんが子どもの頃に迷い込んだ、幻の白い山【山怪】
日本の山には「何か」がいる。怪談ブームの火付け役。山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代の遠野物語としてベストセラーになった『山怪』より、一部抜粋して紹介します。
文=田中康弘
幻の白い山
隠れ里や迷い家(マヨイガ)の話は遠野物語で有名である。山の中で突然見知らぬ集落や長者らしい家に迷い込む話だ。
これと似た話は宮城県の七ヶ宿町でも聞いた。中心街で民宿を営む婆ちゃんが子供の時の出来事である。
学校から帰ると、近所の友達と一緒に遊びに出掛けた。行く先は山である。集落がもともと山の中なので、当然といえば当然のことだ。春は新緑の中を飛び回り、花を摘んで草イチゴを探す。夏は川で体が冷たくなるまで泳いで回り、秋はヤマブドウを頰張りながら木の実を集めて駆け巡る。それが山里の子供たちの日常だった。
その日もいつも通りに歩き慣れた林道へ足を踏み入れて登っていくと、突然開けた場所に出た。
「あれ? こんな所あったかな」
そこは山の中なのに妙に明るかった。七ヶ宿では珍しく平らな広々とした空間で、学校の運動場のようでもあった。しかし何より驚いたのは……。
「周りの山がね、真っ白なの。雪景色じゃないのに真っ白でね、木が一本も生えてないのよ。そんな景色は初めて見たわ」
不思議な光景であるが、もとより子供のことだ。面白い場所だと思い、友達と一緒に日が傾くまで遊んだのである。
「ここは私たちだけの秘密の場所にしようね。駄目だよ他の人に話しちゃあ」
帰り道、興奮気味に約束をすると、それぞれ家路についた。
夜、布団の中で思い出してみた。考えれば考えるほどに不思議な場所だと思った。なぜ木が一本も生えていないのか。なぜあんなに白く明るい山なのか。そしてなぜ凄く気持ち良かったのか。今まで生きてきた中で最も不思議で楽しい経験だった。早く朝にならないかなあ、早く放課後にならないかなあ。そう思いつつ、その晩は眠りについたのである。
翌日、普段通りに学校に行き、普段通りに授業が終わった。友達に目配せして打ち合わせをすると家に跳んで帰り、鞄を放り込んでふたたび一緒に山へと向かった。
「あれ? 変でねか」
「うん、ここじゃなかったかねえ」
二人は昨日と同じ林道から山へ入ったが、それは見慣れたいつもの姿だった。二度ほど戻って確かめたが、間違いなく昨日と同じ林道から登っている。確かに昨日は、ここから入って二十分も歩くと真っ白で気持ちの良い空間に出たのである。それがいつも通りの鬱蒼とした森が広がっているだけだった。
「あれ一度だけだったねえ、白い山へ行ったのは。何だったのかは分からないけど凄く楽しかったのよ。出来ればもう一回くらいは遊びたかったね」
幻の白い山、ただ少女たちが楽しく遊んだのは事実である。
(本記事は、ヤマケイ文庫『 山怪』を一部抜粋したものです。)

山怪 山人が語る不思議な話
| 著 | 田中康弘 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 880円(税込) |
プロフィール
田中康弘(たなか・やすひろ)
1959年、長崎県佐世保市生まれ。礼文島から西表島までの日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場、特にマタギ等の狩猟に関する取材多数。著作に、『シカ・イノシシ利用大全』(農文協)、『ニッポンの肉食 マタギから食肉処理施設まで』(筑摩書房)、『山怪 山人が語る不思議な話』シリーズ『鍛冶屋炎の仕事』『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(山と溪谷社)などがある。
山怪シリーズ
現代の遠野物語として話題になった「山怪」シリーズ。 秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、山で働き暮らす人びとから実話として聞いた、山の奇妙で怖ろしい体験談。
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