何度も転がってくるヘルメットの先に“いる”ものとは?【山怪】
山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。べストセラー山怪シリーズ『山怪 参 山人が語る不思議な話』より一部抜粋して紹介します。
文=田中康弘
見つけてください
秋田・宮城・岩手の三県に跨る栗駒山は広葉樹の森が広がる気持ちの良い山だ。秋田県側には大噴湯で知られる小安渓温泉があり、宮城県側にも温泉地が点在している。
その中でランプの宿として有名なのが湯浜温泉の三浦旅館である。その主、三浦治さんに話を聞いた。
「小学校に入るまではここで過ごしましたよ。小さい頃は女の人を時々見ましたね。夜来るんですよ、ここへ」
人里から遠く離れた山の中の一軒屋に時々顔を出すその女性は、この世の者ではなかった。その昔から山越えで各地へと向かう人が通る場所でもある。何があったのかは分からないが、宿を目前にして行き倒れた人も少なからずいて、その人たちが顔を出すのだと三浦少年は感じていた。
「ここまで来れば助かったんでしょうがねえ。可哀想なんですけど」
現在、ランプの宿のすぐ前は栗駒山への登山道の一つになっている。
*
三浦さんはつい最近までマタギとして山々を駆け巡っていた生粋の山人である。父、祖父もマタギで、特に祖父は周囲のマタギを統率するシカリだった。そのようなマタギ家系に育った三浦さんは、ある猟期に不思議な体験をしている。
「仲間たちと六人くらいだったかなあ、山へ入ったんですよ。歩いていたら何かがコロコロ足元に落ちてきたんです」
三浦さんが目にしたのはヘルメットである。それは作業員が被るタイプで、山仕事やキノコ採りの人もよく使用していたどこにでも売っている安価な代物だ。三浦さんは足元からヘルメットを拾い上げるとしげしげと眺めた。どこにも名前らしい物は見当たらず、持ち帰る必要もないだろうと思い、手近な枯れ木の枝へ引っ掛けた。
「それで歩き始めたら、またすぐに何かがコロコロって足元に来たんですよ。えって見たら、それがさっきのヘルメットなんです」
三浦さんは思わず今し方ヘルメットを掛けた枯れ木を振り返る。あれほどしっかりと掛けたはずなのに、そこには何もない。
「何だこれは、って思いましたよ。絶対外れるはずがないんですから。それで後ろにいた仲間に聞きましたね、“おかしいよね? これ”って」
ふたたび拾い上げたヘルメットを手にした三浦さんはその意味を察知する。
「同じ方向から転がってきたんですよ。ああ、この転がる先に“いる”んだろうなあと思いました」
そこで三浦さんが仲間に頼んで見てきてもらうと、やはり彼はそこにいた。それからは警察も来て山の中はしばし賑やかになる。検死の結果は死後三年ほど経過していたそうである。
*
ある晩、三浦さんは気になる夢を見た。知っている林道の奥に何かがある。それが何かまではよく見えないが、非常に嫌な感じがした。とてもそのままにはしておけない。そう感じ翌朝、駐在所に電話を掛けると、心当たりのある場所を伝えた。少し変だから見に行ってくれと頼んだのである。
しばらくして現地へ向かった警察官は、練炭を使って命を絶った骸(むくろ)を見つけた。
*
またある夜、湯浜峠付近を車で走っていると急に熱気を感じた。いきなり暑さを感じるような場所でも気候でもない。それは何とも嫌な感じで体の奥へと入り込む。こういう時はきっと何かがある。
そこでまたも翌朝駐在所に電話を掛けて、峠付近に何か変わったことがあるはずだと伝えた。向かった警察官が辺りを調べると、焼身自殺をしたであろう遺体を発見したのである。
三浦さんはいわゆる“感じる人、見える人”なのだろう。“彼ら”がその研ぎ澄まされた感覚に訴え、何らかのサインが送られるのだろう、自分を見つけてくれと。
(本記事は、ヤマケイ文庫『山怪 参』を一部抜粋したものです。)

山怪 参 山人が語る不思議な話
| 著 | 田中康弘 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 880円(税込) |
はじめに――山と人と怖いモノ
「山さ大根取り行ってくる」
東北地方のある農家で婆ちゃんがそう言って玄関を出た。
「山に大根?」
婆ちゃんが向かったのは家の横にある菜園だった。つまり玄関を出ればそこはもう山だという意味だろう。
築二百年ほどの古民家に住んでいる方を訪ねた。夏のことですべての戸が開け放たれている。通された部屋からは家の裏山が見えた。導水管から清水がどぼどぼと池に流れ落ち、その傍らには苔むした石製の小さな祠が鎮座している。水神様だ。壁が少なく柱で支える古い日本家屋は、戸を全開にするとほぼ外と同じ空間になる。オニヤンマはすーっと通り過ぎるし、蛇もにょろにょろと顔を出す。キャンプ場でタープを広げるのと大差ないようにも感じる。
家の外は山であるが、家の中も山とあまり変わらない空気が満ちていた。もちろん現代の山里の家は高気密であり、窓を閉め切ってエアコンを入れれば都心のアパートと何ら変わらない。それに比べると、昔の山人は家の中でも濃厚な山の気配に包まれていたのだろう。家の外は山、家の中も山……。
何が一番山で怖いのか山人に尋ねると、東北のマタギは雪崩と答える人が圧倒的に多い。つまり“自然が一番おっかねえ”と考えているのだ。これに対して、雪の無い所の猟師からそのような返答、“自然が一番おっかねえ”はほとんど聞かれない。銃を持っていれば獣は怖い存在ではない。大荒れの天候ならば最初から山へは行かないので危ないこともない。だから山中で、自然は特に怖い存在とは感じないのだろう。
それでも彼らに敢えて何が怖いかを尋ねると、多くの人が、“世の中で一番怖いのはやっぱり人間だ”と言うのである。無難といえば無難、面白くないといえば非常に面白くない答だ。ただし、これが一人で山の中にいる女性となると話が変わってくる。奈良県の例(Ⅲ章「奥山の女性」)のように普通の格好をした女性が一人ぽつんと奥山に立っていれば、それはかなりの恐怖なのだ。
人ではなく獣、特に熊(ツキノワグマ)が怖いという人は多い。近年、秋田県でスーパーKと呼称された人食い熊が恐怖の対象となった。それまで熊による人的被害はあったが、明らかに人を狙った事件は北海道の羆に関するものがほとんどである。日常的に山へ入る人にとって、このスーパーKの出来事はかつて無い恐怖となったようだ。実際地元では射殺された熊は別の熊で、真犯人はまだ山の中にいると信じて疑わない人も多数いる。
熊や雪崩は具体的な存在で怖い。それに比べると山怪は具体的ではなく存在すら不確定。だからこそ怖いとも言える。具体的と不確定、どちらも怖がる人がいれば、どちらも平気な人がいる。
もちろん私は前者であり、怖くて仕方がない。自身が山人でなくて正直ほっとしているのである。
プロフィール
田中康弘(たなか・やすひろ)
1959年、長崎県佐世保市生まれ。礼文島から西表島までの日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場、特にマタギ等の狩猟に関する取材多数。著作に、『シカ・イノシシ利用大全』(農文協)、『ニッポンの肉食 マタギから食肉処理施設まで』(筑摩書房)、『山怪 山人が語る不思議な話』シリーズ『鍛冶屋炎の仕事』『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(山と溪谷社)などがある。
山怪シリーズ
現代の遠野物語として話題になった「山怪」シリーズ。 秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、山で働き暮らす人びとから実話として聞いた、山の奇妙で怖ろしい体験談。
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